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途切れない糸:ヒューストンとの絆

2016-05-25 | 地球の姿と思い出
「5.展望(24):日本の工業製品」から続く。

1.偶発的な旅行
長い人生、時には思いがけないことが起る。

人は「無いと思うな運と災難」というとおり、たとえば、宝くじに当たったとか事故にあったとか、思いがけない幸運や不運に出会う。しかし、これらは確率の問題として説明できる。一方、これとは別に、こころの奥に潜む願望が何かがきっかけで、ある日突然にかなえられることもある。まれなことだが、多くの人が思い当たることではないかと思う。

今回の話は、次のように始まった。

昨年(2015年)秋ハノイに住む娘とのFaceTimeで、孫の夏期スクールの話がでた。iD Tech(夏期講座)の開催地にヒューストン大学があるという。【参考:iD Tech Camps for ages 7-17(7-17歳の子供対象のコンピューター教室=全米の主要大学150校+、テキサス州では8大学が開催)】

ヒューストン大学といえば、筆者の母校である。ハノイの孫がその夏期スクールに参加するのであれば、当然、筆者も付き添いで参加したい。・・・話はトントン拍子に進み、筆者・娘・孫の3世代3人揃って来月(6月)下旬にヒュートンを訪れることになった。筆者(横浜)と娘(ハノイ)の何気ない会話(iPadのFacetime)が思いもしなかったヒューストン再訪につながった。何かしら奇縁を感じた。

さらに、この話には奇縁より不思議なことがある。それも偶然だが、このブログで昨年の今ごろ、コンパクト・シティーの関係で「5.展望(16):ヒューストンの昨今(2015-03-25)」を紹介した。紹介しながら非常に懐かしく思ったが、心臓に病歴がある筆者は、アメリカへの長旅などは考えもしなかった。(成田-ダラス13時間)

本当は行きたいが、諦める。それは願望の封印、しかし、中途半端に封印された願望は、だれかに招かれたように突然に封印を破って現実の世界に姿を現す。それが今回の旅行だった。それは、地底深くに眠る活断層が、ある日地震となって地表にその姿を現すのに似ている。

2.途切れない糸
ここにむかし兄が撮った一枚の写真がある。これはヒューストンに向かう筆者を見送る姉たちの写真である。偶然だがこの光景からちょうど50年、今回のヒューストン行きが決まった。この写真にテキサスの輝く太陽、ダウンタウンのバス停から見あげた電光温度計の「104°(40℃)」を思い出す。
 
            Bon Voyage(行ってらっしゃい)・・・姉たちの見送り(1966)
            

わざとピンボケにしたが、姉たちは今も健在、幸い1ダースほどの孫に恵まれ活気がある。過去のいきさつをよく知る姉の一人は、今回の話に鳥肌が立つといった。

◇◇◇

今回のヒューストン行きのように思い掛けないことは突然にやってくる。それが本人だけに起るのならばただの妄想とか独りよがりで片付くが、結果は必ず周囲の人を巻き込むので不思議である。現代の自然科学の知識では説明できないが、不思議な力は確かに存在する。ちなみに、筆者の不思議な経験はすべて「あゝ良かった」で終わっている。

思えばバンコクの心筋梗塞も不思議だった。2003秋にヒューストン大学聴講を終了、その8ヶ月後の2004年8月にバンコクで仕事中に心筋梗塞が起こった。複数ヵ所の冠動脈梗塞だったが、その後横浜で最終検査を終えたのは06年10月だった。心臓冠動脈の修復に5回のカテーテルで2年3ヶ月もかかった。

あの8月9日(月)朝一番の偶然の一つは、老練な心筋梗塞専門医と「魔法の指先」をもつ若い医師が共に在席、日本以上の即断即決の手術に救われた。タイは仏教国、不思議な体験も多いがあの時ばかりは仏様たちに救われたと今も感謝している。このブログのタイトルはknt2004-99、この「2004」は生命の減算が加算に転じた年である。

心臓に挿入された直径2.6ミリと2.3ミリの長さ2センチほどの2つのステント、それらは工業製品だが詰まることなく長持ちしている。十年以上も休みなく自分の生命を支え続ける2本の金属パイプ(ステント)、心から感謝している。

人生は偶然の連続、現時点でも次に何が起こるのかは分らない。遠い昔に国連を目指してヒューストンに始まった細い糸、それは命を懸けた一縷の望みだった。細々と続くその糸は50年もの間、さまざまな出来事に出会いながら今も途切れずに続いている。

ここ十数年の出来事を要約すると:バンコクの心筋梗塞と一命取り留め(2004)、孫の誕生(2006)、娘一家ハノイに転勤&孫の国連ハノイ校入学(2013)、今回のヒューストン再訪(2016)、どの出来事も偶然で二度と起きないようなことだった。しかし、結果的には個々の出来事は互いに細い糸で繋がっている。
 
まずは現実に戻って、娘と孫はエコノミーだがヒューストン行きのJAL便が楽しみである。

このようないきさつで、6月25日は休み、7月10日から数回に分けて久し振りのヒューストン再訪を紹介する。次回のヒューストン再訪(1)に続く。


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