ごちそうさん

ごちそうさん、終わりました。

大阪編になってから途中でお膳ではなくちゃぶ台での食事になって、食事中に楽しい会話が生まれたり、ちゃぶ台になることで取り分ける料理になったりと、道具の変化と家族の変化、食事の変化がリンクしているのが興味深かったです。

ちゃぶ台もそうですが、「箸」も食事の際の道具の一つ。

箸と言えば世界的に見ても「日本だけが純粋な箸食」(「箸の文化史」 一色八郎)。
中国や朝鮮半島は匙主箸従型で、日本だけが椀を持って食事する箸文化だそうです。

和食が「割(さ)いて烹(に)る」料理文化というのも箸文化と密接に関係しています。
逆に汁物が多い韓国料理が匙が多用されるのも納得。

韓国ではお弁当文化があまりない、というのもこういう道具と料理文化の関係が影響しているのかもしれません。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


美の壺の再放送を見ました。
テーマは「棚」。
シャルロット・ペリアンの棚や建築要素としての棚、司馬遼太郎記念館やコルビュジエの棚など内容満載でした。

札幌で棚というと渡辺淳一文学館でしょうか。

番組では長岡勉氏や中村好文氏の建築なども紹介されていました。
その両氏の建築で、棚に座っている子供や中村氏自身の姿が印象的でした。

座る、ということを考えるとき必ずしも椅子という道具でなくてもいいんですよね。

日本で椅子が発達しなかったのも、座るということないしは場所が建築に固定していたからかもしれません。
そういう意味では椅子が発達するためには座ることが建築から自由になる必要があったとも考えられます。

そういえば川添登氏の論文でこんな箇所がありました。
「かつて雲水は、笠をかぶり、杖一つもって放浪の旅に出かけた。笠は屋根―すなわち建築の道具化された極限値であり、杖はイスの極限値であった。日本人の死の理想は、山水の自然の中に埋没していくことに求められていたとともに、タタミの中で安楽に大往生をとげることであった。したがって、この両者は相補の関係にある。そして、ここに日本人がイスを否定していった歴史の根源を見出すことができる。それは家具を空間化し、ついて空間を家具化していくプロセスであった。ハコが環境デザインのファニチュア・デザインに投影されたものであるとした意味は、イスの否定の中に求められる。逆に、イスをインテリア・デザインの中央においたヨーロッパが、産業革命をなしとげた理由は、ツクエがプロダクト・デザインの、インテリア空間における投影であるとした理由を解明するであろう。」
(ジャパンインテリアデザイン64年5月号)

また大橋晃朗氏の文章にもこんなのがありました。
「スペインの民芸も、名も知らぬ岩石も、大量に生産される段ボール箱、廃棄された自動車の座席も、芸術化したハイ・デザインも、全ゆるものが家具の形をとって、並列的に私たちの前にある。ずっと以前から生活のすべてが記号的選択に他ならなくなっているのは、ここからも想像し得るだろう。」
(ジャパンインテリアデザイン80年2月号)

建築から自由になった座るための道具としての椅子はさらにシンボル性が高まることによって発展したと考えることができるのでしょう。

台から玉座へ。

まさに大橋晃朗氏の椅子の世界です
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

room-within-a-room

最近気になる椅子は、


元記事dezeen

空間を作る椅子ってかんじです。

dezeenの記事にもありますが、Patricia Urquiola(Moroso)のこの椅子も心地よくこもる感じでいいです。


元記事dezeen

デザインの力を感じさせる椅子だと思います。
日本は部屋が小さいからこういう椅子のデザインは生まれないか。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

あの有名卓球選手も現在八尾市民です

 なんだか突然「八尾」がフューチャーされています。

 前まで八尾なんて知らない人がほとんどだったと思いますが、ここ数日で八尾市は一気に知られるところとなったと思われます、好むと好まざると関わらず。


 さて、八尾の人はみんな知っているあるいは持っていて、八尾の人以外は全く知らないと思われる本があります。

 「Wao! Yao! 八尾の入り口」という本で、今年の3月発売され、発売一カ月で売り切れ増刷されたものです。

 何故か我が家にも一冊あります。アマゾンでは手に入らない特製手提げ型クリアファイルの特典まで持っています。


 少なくとも北海道民にとっては全く遠いワンダーワールドの本です。





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

The Great Gatsby

 グレート・ギャッツビーが映画化されたんですね。

 グレート・ギャッツビーといえば、そのペーパーバックをいつか辞書片手に読もうと20年ぐらいずっと本棚に置いたままです。

 いつ読むんだろう。




 ところで。
 もう今は配信されていませんが、春具さんの「オランダ・ハーグより」というメルマガが大好きでした。その中でグレート・ギャッツビーに言及されている回があります。

 第133回 「父の言葉」

 かなり昔に配信されたものですが、強く印象に残っています。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ