こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第32主日(ルカ20:27-38)滅びるいのちに生きる者でなく

2016-11-06 | Weblog
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(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/161106.mp3

(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
16/11/06(No.854)
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年間第32主日
(ルカ20:27-38)
滅びるいのちに生きる者でなく
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年間第32主日C年の福音朗読は、復活を否定するサドカイ派の人々との問答です。わたしたちキリスト者にとって復活の信仰はなくてはならないものですが、当時のユダヤ人にとっては、復活を信じる決定的な出来事を持ち合わせていませんでした。復活したイエスをよりどころとするわたしたちとは違っていたわけです。

先週木曜日、文化の日に福岡の大神学院で行われた神学院祭に子どもたちを8人連れて行きました。広島教区の新しい司教様、白浜司教様が参加者のため、召命の実りのために神学院のグランドで野外ミサを司式してくださいました。司教様は説教の中で自分が神学校に入るきっかけとなった出来事をお話しくださいましたが、その時の説教は心を揺さぶられる説教でした。

白浜司教様は中学2年から長崎の小神学校に編入しました。上五島新魚目町の小学校を卒業した時、神学校に行かないかと進めてくれる人は誰もいなかったそうです。中学校は地元の中学校に進み、バレー部で部活動をしていましたが、同級生の中に一人、部活動を断った友達がいたそうです。

中学校に入ったら部活動で汗を流すのが当たり前と考えていた白浜少年は、なぜ彼が部活に入らないのか知りたくて、部活が休みだったある日、彼の家に遊びに行きました。すると彼は、学校から帰るとすぐに家が飼っていた山羊を連れ帰り、薪で風呂を沸かし、炊飯器でご飯を炊いて共働きの両親の帰りを待っていました。しかもその作業を一日も欠かさず、毎日続けていたのです。

ところが同級生は、高熱にうなされる病気になってしまいました。上五島では治療できる病院がないため、本土に移されましたが、懸命な看病も報われず、13歳でこの世を去ってしまいました。白浜少年はいのちのはかなさに衝撃を受け、同級生の分も生きるため、そして後悔しない生き方をするため、中学2年生から神学校に編入したそうです。

白浜司教様は説教中何度も声が詰まってしまいました。その様子にわたしは思わずもらい泣きをしました。わたしは白浜司教様の中学1年生の時の同級生のことを思うのです。彼はどうなるのだろうか。もし本日朗読された福音書のサドカイ派の人々が考えるように復活などないと言うのなら、彼が黙々と果たした両親を助ける奉仕は誰が報いてくれるのでしょうか。

わたしは、13歳で亡くなった同級生も含め、善人も悪人もいっしょくたになってどこかに置かれているとはとても思えません。神が十分に報いてくださり、復活して、喜びの宴でいつまでも神とともに住む。そういう姿を信じたいです。白浜司教様は、自分が道をそれないために、あの同級生は天国からいつもわたしを見守っていてくださると信じていると言いました。きっとそうなのだと思います。

もちろん、当時のユダヤ人の疑問にはきちんと答えなければなりません。サドカイ派の人々が持ち出した難問は、復活後の人間の姿を、今の姿を物差しにして考えたために誤解していたのです。

この世にあって人が自分の名を残していくためには子孫が与えられなければなりません。そのため、子孫を残さずに家系を絶やすことは決して認められなかった。そこで今回のような問題が起こってしまいました。

「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。」(20・34-36)家系を土台にした人間関係ではなくなり、神とわたしの関係が何より大切にされる状態に移されるのです。

このことを決定的に明らかになさったのはイエス・キリストです。復活についての問題は、人類に先だって最初に復活されたイエス・キリストの示しを待つほかはなく、イエス・キリストに耳を傾ける以外に答えを見つけることはできないのです。アブラハム、イサク、ヤコブやモーセも、復活されたイエス・キリストが生かしてくださるのです。

わたしたちの復活の信仰を人に自信を持って語るために、わたしたちにはよりどころがあるでしょうか。司祭・修道者は復活の信仰を人に語るよりどころになると思います。

司祭・修道者はこの世に名を残しません。それでいいのか?と問われるなら、「次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない」と答えることができます。今この世にあってすでに、復活にあずかる者として生きている人なのです。司祭・修道者は復活を信じて生きる人のよりどころだと思います。

もしわたしたちの復活が夢物語だとしたら、名を残さない司祭・修道者はこの世でいちばんみじめな生き方です。しかし事実は違います。復活はイエスが約束してくださったのでわたしたちの希望のみなもとです。この世に死んで、神のいのちに生きるキリスト者の生き方は、必ず報われる生き方です。わたしたちはもっと力強く、証する必要があると思います。

復活を信じるわたしたちは、本当の意味で生きている生き方を選びました。滅びるいのちに生きるのではなく、復活して永遠に神の喜びにあずかる生き方に生まれ変わりませんか。今週わたしたちが持ち帰り、伝えるべき言葉です。

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‥次の説教は‥‥
年間第33主日
(ルカ21:5-19)
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ちょっとひとやすみ
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▼先週の説教本文中に引用したラテン語の文章、単語を一つ間違えていた。<<hodie>>が<<hoide>>とタイプミスしていた。日常タイプミスはありがちで、その都度目を光らせているつもりだが、今回は説教中に気づいた。<<hodie>>ならば意味が通るが、<<hoide>>という綴りでは通じない。
▼試しにもう一度、該当する単語をキーボードで叩いてみた。そういうことかと分かったが、やはり間違いのほうのタイプをしていた。これはどうやら癖のようで、右手でタイプするキーのほうが左手でタイプするキーよりもやや早く打っている。そのためiがdよりも早く入力されたらしい。言い訳にはならないが。
▼最近まれにみるさんざんな日に遭遇した。教会信徒に誘われ、船で釣りに出かけた。通常「ほい来た」と二つ返事で出かけるが、翌日平戸地区の司祭会議があり、書記でありながら先月の議事録を準備してなかった。「大丈夫かなぁ」と思いながら出かけた。
▼魚は釣れた。一匹だけだが、収穫はむしろ釣るポイントをあちこち見せてもらったことだ。ただし、平戸瀬戸の流れの速さを甘く見るなよとばかりに、1個1000円はする釣りの道具を海底にひっかけ、10個失った。
▼船頭をしてくれたHさんが、「神父様、高い授業料でしたけど、魚がいることは分かったから、次挽回しましょう。」と慰められ、「どうです気分転換に、この魚を刺身にして司祭館で晩餐会でも」と提案してきた。もはや議事録のことは頭の隅にもなかった。
▼釣った魚と焼酎で、大騒ぎしてHさんは奥さんの迎えの車で帰った。勉強部屋に戻ると、書き残しのままの議事録。「この酔っ払った状態ではパソコンには向かえない・・・」ほんのちょっとと思って布団に。はっと気づいたら夜中の2時。しまった・・・
▼議事録を持たずに会議に出席するわけにもいかず、それから3時間、朝の5時まで議事録と格闘。朝ミサをしたあとフラフラになって会議に出席し、帰りには出かける時点で決めていた通り、田平教会のご婦人が開いている散髪屋に立ち寄った。
▼「おーい。いつもの通りに切って。ひょっとしたら居眠りするかもしれないけど。」すると散髪屋のKおばちゃんが目を丸くしてこう言う。「あらー神父様。神父様にうってつけの話を仕入れましたよ。」何だろうと思って話を聞くと、これこそ天の恵み。
▼「午前中に、Oさんが散髪に来たんです。Oさんの話では、『わしも八十歳になるし、腰も痛い。そろそろ持っている船を処分しようと思っている。しかし処分するのに20万円の費用がかかる。もらってくれる人がいれば、ただであげてもいいのだが、どうしたものか』と言ってました。」「本当の話なの?だったらその処分の話ちょっと待ってよ。応分の謝礼を払うから譲ってほしい。」「今から電話してみましょうか?」「頼む~」
▼そこで電話をかけると、Oさんは明日にでも業者を呼んで船を引き渡すつもりだったらしい。散髪屋で言うのもなんだが、間一髪だった。散髪した帰り、心はスキップして帰ったのは言うまでもない。人生山あり谷あり。自分の落ち度でひどい一日のはずが、わたしに味方してくれる人を通して天の恵みを授けてもらった。来週に続く。

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今週の1枚
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第461回目。カマキリ。サッシの網戸に足をかけて、動けない様子だった。

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文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
ありがとうございます。C年の文庫本がまた見つかり、
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† 神に感謝 †
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