健ちゃんの街道を歩く

「司馬遼太郎の街道を行く」と同じ所を歩くことで、彼の思想、哲学の一端に触れる。

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2016-12-23 23:32:32 | 司馬遼太郎

司馬遼太郎の街道を行くは、各街道に纏わる歴史、民族、風習を通じて、司馬遼太郎自身の思想、哲学を語っているのだが、書物の上での彷徨に留まっている自分にとっては、もうひとつ腹に落ちない所があった。本を読めば、頭の中には入ってくるが、体の中に入ることは難しい。体の中に入るということは、場の空気、雰囲気を体感することである。 それ故、彼の思想、哲学の一端に触れる為には、同じ街道を歩くしかない。
民俗学者の赤坂憲雄は司馬遼太郎の街道を行くについて次の様に述べている。
街道を行くは紀行としては逸脱している。風景描写は希薄だ。ひたすらに思索の旅。司馬は書物を旅する人だったのである。
司馬遼太郎は常々言っていたらしい。「[街道をゆく]はいつのまにか、僕の娯楽になりましたね」と。
最終的には濃尾参州記まで43巻、原稿用紙だと1万8千枚におよぶ壮大な作業を娯楽と言える司馬遼太郎には驚かされる。
ジャンル:
文化
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