Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

今日 泉太郎イベントです。

2011年01月08日 | 身体と映像
「さまよえる三つ子の魂」が今晩(1/8)行われます。
詳細はここで。

チラシにあるのと随分違ったものになるようです。イベントと言うよりも、泉太郎の新作といった方がよいのではないか、と思います。ぼくもただのトークゲストとして呑気に座っているわけにはいかないようです。乞うご期待。

といって、今日は、SNACで神村恵、VACANTで蓮沼執太があり、こりゃこりゃですね〜。


身体と映像の件は、資料を集めている最中です。昨日、講義が終わったので、ようやく週明けくらいから着手できそうです。

ところで、昨日大学に行ったら「ミュージック・マガジン」の新刊が来てまして、講義の後読んでいました。大学院時代の同輩輪島裕介が演歌についての新書を書いたんですね、書評が出てました。読みたいっす。あと、「ミュージック・マガジン」を読む楽しみの1つが、土佐有明さんの演劇評を読むことですが、ぼくが見逃してしまったFUKAI PRODUCE羽衣「も字たち」を取りあげてました。んー、見ときゃよかった。

ちなみに、特集が2010年のベストアルバムで、ロック(アメリカ/カナダ)部門の一位が

Sufjan Stevens「The Age of Adz」

でした。もうほんとに全然フォローできていないので、こういう特集はお勉強になるのだけれど、なるほどね。Vampire Weekendもそういうとこあるけど、アフリカンテイストが流行っているんですな、NYあたりで。ハピネスな香りがします。ところで、昨年末12/30にこれ聴きながらビッグサイトに行ってきました。そういう日だったんだと思うんですけれど、BL女子のかたまりをはじめて肉眼視してしまいました。圧倒されてました。妻の方がノリノリで(余談ですが3日目に筒井宏樹くんが編集した雑誌も出品されたようで、妻はその執筆者でした)、しばらくBL的読み替に熱中していて、横にいて辛かったです。どうしてこう、BLのトークというものは男子をこれほどいたたまれない気持ちにさせるのでしょう。ぼくも対抗して『神のみぞ知るセカイ』にはまってみました。これ、すごい。ギャルゲーの神と呼ばれる男の子が、ひょんなことから、リアルの女の子をギャルゲーの攻略法で口説いて行くという設定なのですが、なによりこれが少年サンデーの漫画というところに、驚かされます。「指令と応答」のアイディアは、いま、パフォーマンス的アートのなかでさまざま展開されていますが(今日の泉くんのイベントもそうしたものになりそうです)、「攻略」ってキーワードでさらに展開するひとがいたら面白いかも、なんて思ったり。

身体と映像の運動論(仮)

2010年12月30日 | 身体と映像
来年度、「身体と映像の運動論」(仮)なる講義をしようと思っていて、その準備のノートをこのブログにアップしていこうと思っています。ダンスやパフォーマンスを考えるのに、映された身体(の運動)という論点を無視しては片手落ちになるということは以前から思っていたのだけれど、あらためてちゃんとやろうというのが動機です。先日のベクトルズでもアニメーションと実写のことを話しましたが、まだまだ考察が不十分だったなと反省してたりして、もしよかったらときどき覗いて読んでみて下さい。

少しは来年にならないうちにいろいろと書けると思っていたのですが、育児やらなにやらでなかなか進まず、まとまったノートにまだなっていません。でも、ちよっとこんなもの見て考えてますというイントロのイントロみたいなものでよかったらと、いくつか。

Walt Disney "Merbabies"

Walt Disney "Dumbo--Pink Elephant"

Walt Disney "Three Caballeros"

Max Fleischer "Betty Boop--Minne the Moocher"

いやー、ディズニーは深いですなー。面白いでしょ、結構すごいでしょ。

あと、フライシャーは「ロトスコープ」について考えるのが楽しみ。でも、こうあらためてこの時代(1930年代)のアニメーションを見ていると、これはミュージカル映画といってもいいんじゃないか、と思わされますねえ。

リレーショナル・アート

2010年12月28日 | 身体と映像
リレーショナル・アートについてのトーク(備忘録的に貼りつけておきます)。

さまよえる三つ子の魂

2010年12月20日 | 美術
TERATOTERAのイベントで2011年1/8に泉太郎のイベントに参加します。

(以前ここにアップした情報に変更がありました。)



2011年1月8日(土)開催!
TERATOTERA 途中下車の旅 停車駅:荻窪ベルベットサン
泉太郎「さまよえる三つ子の魂」

『TERATOTERA途中下車の旅』は、TERATOTERAがプロジェクトを展開するJR中央線高円寺駅から吉祥寺駅区間に点在するアートスポットに焦点をあて、コラボレーションを行いながら、個々のスペースの活動を広く紹介していく
試みです。
TERATOTERA途中下車の旅、第7回目の停車駅は、ライヴハウス「荻窪ベルベットサン」。2010年にリニューアルオープンし、インプロビゼーション・ジャズをメインに、展覧会やトークイベント等、多彩な表現を 〈ライヴ〉 という形で展開しています。今回は、中央線エリアゆかりのアーティスト・泉太郎をフィーチャーし、ライヴハウスの空間を活用した、3つの生バトル「さまよえる三つ子の魂」を開催します。会場全体が演劇空間と化し、来場者自身も演出の一躍を担う、そんなライヴ=生を感じる一夜となります。

チラシ

日 時: 2011年1月8日(土)19:30-21:30(19:00開場)
会 場: 荻窪ベルベットサン(杉並区荻窪3-47-21 サンライズ ビル1F)
入場料: 1,500円(ワンドリンク付き)
定 員: 50名(要予約)

<ご予約方法>
メールタイトルを「途中下車の旅:荻窪ベルベットサン」とし、
本文にお名前と参加人数を明記の上、
info(at)teratotera.jp まで送信、ご予約下さい。
※(at)を@に変えて送信してください。

バトル壱.....ライブ
会場に仕掛けられた作品を操る泉太郎とバンドの即興バトル。

バトル弐.....トーク
批評家の木村覚をゲストに迎え、泉太郎の創作活動の真髄に迫るトークバトル。

バトル参.....グラビア撮影会
フラッシュの光が煌めく空間で、泉太郎がさらに撮りまくる撮影会バトル。

◎泉 太郎 Taro Izumi
1976年奈良県生まれ。東京在住。2000年多摩美術大学美術学部絵画学科卒業。02年同大学院美術研究科修士課程修了。主な個展に10年「くじらのはらわた袋に隠れろ、ネズミ」アサヒアートスクエア(東京)、09年「山ができずに山できた」NADiff GALLERY(東京)等。主なグループ展に10年「TRUST-Media City Seoul」ソウル市立美術館(ソウル)、09年「日常場違い」神奈川県民ホールギャラリー(神奈川)、「ヴィデオを待ちながら 映像、60年代から今日へ」東京国立近代美術館(東京)。神奈川県民ホールギャラリーで個展「こねる」を終えたばかり。http://taroizumi.com/

◎木村 覚 Satoru Kimura
2003年に「踊ることと見えること 土方巽の舞踏論をめぐって」で第12回芸術評論募集佳作入選(主催:美術出版社)。以後、『美術手帖』などで、ダンスや演劇を中心とした批評活動をはじめる。主な著作に『未来のダンスを開発する フィジカル・アート・セオリー入門』(2009)、『ステッチ・バイ・ステッチ 針と糸で描くわたし』(2010)、『こねる』(2010)。現在、日本女子大学で講師をつとめる。
http://blog.goo.ne.jp/kmr-sato/


※次回は「TERATOTERA祭り」
日時:2月5日(土) 井の頭公園にて大友良英による船上ライヴ(日没後)開催!

TERATOTERA
http://teratotera.jp

雑感

2010年12月18日 | I日記
昨日は、朝九時半から夜の八時過ぎまで、しゃべりつづけた。
午後に二つの講義を挟んで、その前後にひたすら卒論の面接をした。十人以上の学生と三十分ずつは話したろう。最後は、舌と脳がまったくまわらなくなった。
あとは、ハプニングなくちゃんと提出してもらえたら。
本当は、それぞれの論文に対して残念な気持ちがある。もう少し、こうすることが出来たんじゃないかとか、不甲斐ない思いがしゃべりつづけからっぽになった自分のなかに充満する。ふー。
学生は、提出できたらそれでいいんだろうなー。それでも、それぞれの論文にちょこちょこ輝くところがある。そこに着目すれば、嬉しい気持ちにもなれる。

こんな感じの師走をぼくはしばらく送るのかな。退職の68才までこれやるのか、それはよくからないけど(大学が少子化のなかでどうなって行くのかも分からない、楽観はできない)。ぼくの人生は、大学で研究したり教えてりすることであといいのか。あまりいいような気がしないので、こんなこと書くのだろう。

一昨日は、午前に演習の授業を終えた足で、神戸に向かった。妻の祖父を見送るため。5時頃着くと祖母にもお会いできた。そのことがたまらなく嬉しかった。一時間ほど過ごすと、すぐにまた電車に乗って、帰路へ。こうやって、関東からはなれると、関東のひとの暮らしぶりがなんだかぎすぎすしていると感じてしまう。女子学生の佇まいとか、違うなと思う。関東あるいは東京をベースに日本人のことを考えるのはちょっと間違いを起こすことになりはしないかなんて思ってしまう。

文フリが終わって2週間近く経つ。ぼくは「KAT」という雑誌を学生たちと一緒に作ってみているけれど、そのことはそれなりに意味のあることではないかと思っていて、でも、あまりそのことに気づいてくれる人はいない。一本の記事(インタビュー)は、発売直前に没なってしまった。直接の理由はそうじゃなかったけれど、おそらくこの雑誌の「格」に対する反応なのだろうと思わされた。芸術の現場には多くの女性たちがいるのだけれど、また芸術を愛しているひとにも女性が多くいるはずなのだけれど、必ずしも芸術の現場は女性に優しくない。「KAT」を作ったメンバーの多くは、演劇やダンスや音楽やオタク系文化の優秀なユーザーで、彼女たちがどんな思いで芸術に触れているのかということは、それなりに知ってメリットのある情報だと思うのだけれど、あまり興味を世間はもってくれていない。女性×批評というテーマを出来たらいまのKATメンバーで展開してみたい。イベントを行うとか(「アラザル女子会」さんと協働してとか)、あるといいと思うのだが、なにぶんこればっかりは、彼女たちがその気にならない限りは、なにも動かないだろう。ほくがひとり盛り上がって見せても、無理矢理彼女たちをけしかけても、そんなのは意味がない。いま、芸術の分野でなにが不足しているって、「女性」についてちゃんと考えることではないだろうか。そのことをでも考えている人にあったことがない。基本的に芸術の現場はきわめてマッチョだと思う。それでも、ある瞬間、堰を切ったようにそのことはきっとはじまるだろう。予想だにできなかった仕方で、それは起こるだろう。でも、な、KATメンバーはいまリクルートスーツを着て就活をはじめた。なかなか、そういう意味でも、誘いにくい。ちょっと切ない。二年前だったら、早くても、就活にはいるのは後期の講義が終わってからだったはず。異常だ。学習や好奇心を育む余裕を企業は学生から奪っている。なぜそれがゆるされているのか分からない。

と、ひねたことを書きましたが、「KAT」「KAT vol. 2」ぜひ、ご一読を。近々通販でご購入できるよう検討しています。

明日(12/8)はベクトルズ(@SNAC)

2010年12月07日 | ダンス
一昨日は、文フリにて『KAT』お買い上げ頂き、まことにありがとうございました。
予想をやや上回る45冊売れたのだそうです。強気の800円としては、相当画期的な売り上げではないでしょうか。
(といって、ぼくは12:00にIと一緒に会場に到着するとブースにはほとんど居ることなく、ロビーのカーペットに倒れ込み、学生の1人にIをまかせて寝込んでいたのでした。急性胃腸炎で38どの熱が出て、おなか下してました)

なにかいろいろ出会いがあったらしく(アラザル女子会さんとか)、出来たら女子×批評でイベントなど出来たらいいのになあと思いが膨らむのでした。学生たちは、いまから就活氷河に冒険に行くところなので、実際問題としては難しいかも知れないんですけれど。

ご購入頂いたみなさん、感想をいただけたらと。雑誌の最後のページにアドレスが載っていると思います。よろしくお願いします。

ところで、明日はベクトルズの集会があります。

SNACで。タイトルは「ダンス的美学の未来」

今回は、桜井さんとぼくとでダンスについて語りまくろうと思います。かなりフランクに好きなダンスの話を延々しようかと。佐々木さん、大谷さん、呆れないでくださいね。You Tubeで見られるものに限定しようということになっていて、基本的に、お客さんにはスマートフォン持参で起こしいただけたらと(なくてもなんとかなるようにします)。

例えば、こんなのについて話しますよ〜
http://www.youtube.com/watch?v=Vw-qlHuktJs

桜井さんの話はまだまったく聞いてませんが、個人的にはとても楽しみ。桜井さんのダンスをチョイスするセンスは半端じゃないですから。楽しい時間になること間違いなし、きっと、たぶん、。

明日、清澄白河で会いましょう。

KAT vol. 2 会場でお会いしましょう!

2010年12月02日 | Weblog
12/5の文学フリマで、学生たちと作っている雑誌「KAT」を今年も販売します。

今年も、強気な

800円

です。すいません。学生たちが「どうしても安売りしたくない!」(アンチ・ファスト文化らしいです)というもので。

昨年販売したvol.1も置く予定です。どうぞ、2冊お買い求め下さい。

今日は、表紙を決めて、紙を折っていたんですけれど(徹底的にローテクで進めています。製本は全部自分たちの手とコピー機だけです)、昨年同様二枚重ねで、薄い青の紙に下のクリーム色の紙がすけていて、かなりフェティッシュです(肌色上に履いた青色のストッキングみたいな、、、)。こんな色味の雑誌は、文フリで他にはないと思いますよ。

内容も、面白く仕上がっていると思います。ぼくとしては、学生たちと同年代の男の子、女の子に読んでもらいたいです。エリイのインタビュー読めば、就活で暗くなっている文化系B&Gも元気になるに違いない!篠田千明のインタビューも、彼女の幼少の頃から、来年の計画まで、「こんなことまで聞く?」ってところまで、根掘り葉掘りしてます。これは、女子大学生ならではのインタビュー集です。


マッチョな芸術界・批評界に、明るくてさわやかなガーリーパワーが飛び跳ねている88ページ、みたいな雑誌です。


ふろくは、彼女たちで「編集後記」をおしゃべりした音源がCD-Rで付きます。聴きながら読むと、なんていうか、、、「臨場感」あり、です。

当日学生たちが手売りしてます(ぼくも行きます。ひょっとしたらIと一緒です)。

KAT vol. 2ただいま編集中!

2010年11月23日 | Weblog
日本女子大学の三年生六人とすすめているKATが今年も雑誌を作ってます!
と、以前も紹介しましたが、乞うご期待です。

twitterもはじめました。
アカウントは、

kkatkatkatt

です。よろしくお願いします。

12/5は文学フリマにお越し下さい。ぜひぜひ。ブースはU-08です。

今回は、インタビューがテーマ。学生たちが、緊張でばくばく心臓いわせながら果敢に挑戦してきました。
ラインナップは、「エクス・ポ」に負けないぞ(笑)!

エリイ(Chim↑Pom)、小泉篤宏(サンガツ)、武田力(チェルフィッチュetc.)、tomad(Maltine Record)、篠田千明(快快)その他、あのひともこのひとも!

いまは、ふろくの話で盛り上がっております。

「CD-Rつけよう!」

「じゃ、なに入れる?」

「クリスマス・プレゼント?」

……


今日は、「トランスフォーメーション」(東京都現代美術館)→託児所→飴屋法水作品と遠征予定。合間に、3331でエイブルアートジャパンに立ち寄れれば。佐々木卓也さんの作品がみたいな、と。

11/20は

2010年11月22日 | 美術
美術作家の平川恒太くんの展示が原爆の図丸木美術館で行われており、ぼくは20日にトークで呼ばれて行ってきた。最近は、土曜日のおでかけは、車で妻とIとでというのが多い。思いのほか渋滞がはげしくて、予定の倍近い時間がかかってようやく到着。丸木美術館なかなか素晴らしい田舎にありました。

はじめて見た「原爆の図」は、ぼくには裸婦群像に見えました。子供も描かれているけれど、大人の男は基本的に描かれていない。描かれている女はほぼ全員が裸。この裸は衣服が焼かれてということではなく、まただからか裸体はとてもきれいなのだ。そして、ふくよかで柔らかで美しい。女性の、おそらく子どもを産んだ女性のつよく柔らかい美しさが、屏風にほぼ等身大の大きさで描かれている。だから、裸体の女性に直接出会っている感じに近く、そこには、例えばピカソの「アヴィニヨンの娘たち」を見るような手応えさえある。美しい裸体がしかし、単に美しいだけだったら、あまり説得力はないのだけれど、そこに赤・黒・青などの色が強くその美しさを汚している。両者のバランスがなんともすごくて、ここに圧倒されてしまう。うーん、やっばり、これはいい作品ですね。見ておいてよかった。

それでトークは、平川くん、ぼく、楠見清さんとバトンを渡しながら進んだ。平川くんは、これだけ表現的には「戦争」や「平和」を連呼していながら、そうした言葉は本当は使いたくない、自分は日常に向き合っていたいと話していた。そして、おそらくそのことと関連して、自分はアートを超えたいのだとも話していた。正直、彼の描く油彩画はなかなか素晴らしく、説得力があり、その方向も決して忘れて欲しくないなあと思うのだが、彼が今回「The Never Ending Story」と題して展示した作品群は、戦争と平和のテーマを、コンセプチュアルな方法で展開するものだった。彼の敬愛するボイスに確かに似ているところもある。ぼくは、そうした彼のコンセプチュアルな作品のなかにも滲み出てくる、彼らしいかわいらしさやユーモアに惹かれてしまう。透明な旗の連なる万国旗に、反戦のメッセージが描かれているものには、旗のエッジに切れ込みが1センチごとくらいにあって、それによって透明プラスチックがきらきらと光るのだけれど、こういうセンスが彼らしく、また魅力的だ。

ぼくは以前、ここにも描いた、9月の広島の旅の話をした。ヒロシマをテーマに描いた芸術家の作品よりも、広島平和記念資料館やヒロシマの人々が描いた絵の方がずっと優れているのではないかという話をした。すると、楠見さんが、それは自分の力を表現するpaintと客観的な事実を伝えようとするpictureの違いなのではないかというまとめをしてくれた。なるほど、ぼくはpictureの可能性について興味があるのかも知れない。

「けいおん!!」のことを下に書いた。と、いうより、これいいと思うと書いた。さっきお風呂に入りながら「サイゾー」の11月号(2010)を読んでいたら、アニメーションの合評が載っていた。中川大地なるひとが言うには、

「性愛や闘争といった近代的ドラマツルギーの一切をあえて排除し、成熟社会における最大限の可能的「幸福」のイメージを結晶化することで、「抵抗」が失効した世界でのロックやパンクの代替的モデルを新たに示す達成が本作だ!」

という整理をしていた。といっても、中川氏本人は、それを「信者な皆さんの心情」とし「わかるし、否定しない」として、肯定はしない。その理由として「普遍性は低い」から。つまり、「学園」ものは卒業してしまえば終わってしまうので、そんな幸福論は、人生の一時期のみのものだから空しい、ということだろう。「おれたちの身体も入りうる、その先の「楽園」像を、諦めずに探そうぜ」というのだ。

多分、「けいおん」が終わって生き甲斐を亡くしたみたいなネット上の誰かの発言に対するリアクションなのだろう。その意味では分かるのだけれど、また相も変わらず「学校」モデルにしがみついてしか物語(ここで展開されるのは、物語なき物語だろうけれど)が描けない(=普遍性は低い)のかという意味の批判としても分かるけど、大事なことは読み手がそこから転じて自分でなにをするのかに委ねられているわけで、物語がある場面を舞台にする限り「普遍性は低い」のは当然だし、もし普遍性が高い物語を描こうとしたらいいのかといえば、ぼくは疑問に思う。といって、ぼくはまだアニメーションをまったく見ていないので、なにかをいう資格はないのだけれど。

ところで、「おれたちの身体も入りうる」のくだりあたりで気になることなんだけれど、以前も書いたでしょうか、同性集団を描く物語がいま多いですよね。あるいは、歌のグループでも同性集団がとても多い。ここに、身体の入りがたさを気にするひともいるのだろうけれど、人気があるところを見ると、それがいいということもあるはずで。AKB48「ヘビロテ」なんか見てても、監督した蜷川実花の金魚を撮ったシリーズみたいな、かわいさとグロテスクさを感じる。そのあたりが気になるなあ。

と、久しぶりにちょっと長く書けた。昨日は、Iと二人でいて、そうするとパソコンの前で文章を書くなんて全然出来なくなる。しかたないので、体力作りで、長沼公園を散歩。山下達郎のラジオを聴きながら、ぷち遭難を繰り返す(たぶん、人口密度としては高尾山の100分の1というか、藪のなかを登ったり降りたりしているのはぼくと負ぶったIだけだった)。秋を堪能。Iは最近、ぶぶっーと口を尖らせてつばを飛ばすのがお気に入り。食べながらそれをするもんだから、米とかなんだとかが飛び散りまくる。インプットとアウトプットは別々にして下さい。

utauyo Miracle

2010年11月21日 | 極私的ベスト5
放課後ティータイム「utauyo Miracle」歌詞は、本当に素晴らしい。
と一緒にどうぞ。

なにをいまさらといわれること必死は覚悟で、いいよな、ともらします。

今年一番、ぼくのなかでは。

負け組とか、格差とかってしょげる場合じゃないって気分も合わせて。