内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

日仏往還作文技術あるいは思考の明確化の訓練

2016-11-19 18:21:52 | 日本語について

 フランス語で書くときは、いきなりフランス語で書く。そのほうが速いし、翻訳の際に発生する問題、特にフランス語から見ての日本語の曖昧さを予めすべて回避できるから、その意味で、それだけ楽に書ける。
 日本語で書くときも、できるだけ曖昧度の小さい文章を書くように心がけているけれど、一旦書いた日本語の文章を自分で仏訳しようとすると、まるでCT検査で病巣がはっきりと映し出されるかのように、曖昧なところが「影」となってそこだけくっきりと見えてくる。
 これには様々な原因が考えられるが、私自身の経験では、冠詞の選択、単複の区別、指示詞の不確定性に起因することが多い。フランス語の場合、定冠詞・不定冠詞・無冠詞のいずれかによって大きく意味が違うことがしばしばある。対象が単数か複数か決定しなければ書けない。指示詞が指している語句・内容が何か不確定だとたちまち混乱を来す。
 ところが、これらの選択・区別・指定を無視して日本語は書けてしまう。もちろん、日本語で書いていても、ここは、フランス語なら、どの冠詞あるいは無冠詞か、単数か複数か、指示詞の示すものが曖昧さなく特定できるか、などと自問しながら書くことはできる。そのように心がけて、フランス語に訳す段になって、はたと困らない文章を書くように務めることはできる。
 しかし、そうして出来上がった文章でも、それを人がそれらの点についての顧慮なしに読むときには、やはりフランス語ならはじめから回避できる誤解が生じてしまうことがある。それに、これらの問題にあまりこだりながら日本語で書くと、いわば日本語に無理強いをすることになるので、結果として、読みくい日本語になっていまいかねない。
 やたらに「この」とか「その」が多くなり、「諸」とか「いくつかの」あるいは「一つの」と煩いくらい付け、「それ」「そのこと」など指示語も目に見えて増える。仕方なしに、それらをまたできるだけ削る。そのとき、文脈上、その削除が曖昧度を増大させないように注意する。
 面倒ではあるが、このような作業を通じて思考が明確化されていくことは確かである。











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