内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

存在はけっして一ではない ― ジルベール・シモンドンを読む(129)

2016-10-17 11:50:57 | 哲学

 シモンドンの個体化の哲学がスピノザやライプニッツのように存在の根底に実体を措定する哲学とは相容れないことは容易に理解できる。唯一の実体であれ、無数の個体的実体であれ、存在の根底に不変の実体を措定するあらゆる実体主義的哲学は、シモンドンによれば、生成としての存在を捉えることができない。唯一の実体であれ、無数の実体であれ、それ自身に常に同一であるものは、存在の本来的な姿ではないとシモンドンは考える。
 以下、スピノザ批判後のILFIの原文を数行ごと掲げ、説明的語句を組み込んだ意訳をその後に提示する。

Selon la doctrine que nous présentons, l’être n’est jamais un : quand il est monophasé, préindivituel, il est plus qu’un : il est un parce qu’il est indécomposé, mais il a en lui de quoi être plus que ce qu’il est dans son actuelle structure ; [...] l’être n’est pas plusieurs au sens de la pluralité réalisée : il est plus riche que la cohérence avec soi (p. 326).

 存在はけっして一ではない。単相状態にあり、前個体化状態にあるときでも、存在は一以上である。存在が一であるときは、まだ複数相に分解されていないからにすぎず、その単相的初期段階でも、己自身の内にその現在の構造においてそうである以上のものになるのに必要なものをすでに具えている。存在が複数相に転位するのは、複数の実体としてではない。存在はそれ自身との整合性以上に豊かなものなのである。

L’être un est un être qui se limite à lui-même, un être cohérent. Or, nous voudrions dire que l’être originel de l’être est un état qui dépasse la cohérence avec soi-même, qui excède ses proprems limites : l’être originel n’est pas stable, il est métastable ; il n’est pas un, il est capable d’expansion à partir de lui-même ; l’être ne subsiste pas par rapport à lui-même ; il est contenu, tendu, superposé à lui-même, et non pas un. L’être ne se réduit pas à ce qu’il est ; il est accumulé en lui-même, potentialisé (ibid.).

 いわゆる一なる存在は、己自身に限定された存在、それ自身に対してそれ自身の内で整合的な存在である。ところが、本源的存在は、己自身との整合性を超出し、己自身に固有な限界を超過している状態にある。本源的存在は、本来安定しておらず、安定はいつも仮初のものでしかない。本源的存在は、一ではなく、己自身から拡張可能な存在である。存在は、己自身との関係において持続するのではない。内に秘めたものがあり、緊張を孕み、それ自身に対して重層的である。存在は、己がそうであるところのものに還元されない。それ自身において積み重なっていくものであり、つねに潜在性を孕んでいる。

Il existe comme être et aussi comme énergie ; l’être est à la fois structure et énergie ; la structure elle-même n’est pas seulement structure car plusieurs ordres de dimension se superposent ; à chaque structure correspond un certain état énergétique qui peut apparaître dans les transformations ultérieures et qui fait partie de la métastabilité de l’être (ibid.).

 存在は、エネルギーでもある。存在は、同時に構造であり且つエネルギーである。構造自身も、単に構造であるのではない。なぜなら、そこには複数の異なった次元の秩序が重なり合っているからである。各々の構造はあるエネルギー状態に対応しており、その状態は後に発生する変化・変容の中に現れうる。このエネルギー状態が存在の準安定性の一部を形成している。











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