内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

相互信頼という倫理にどこまでも支えられた科学者の自律的共同体

2017-05-14 23:59:59 | 読游摘録

 スタロバンスキーとジェラール・マセの対談 La parole est moitié à celuy qui parle... には、スタロバンスキー自身が医学者でもあったことから、医学への言及がしばしば見られるのですが、その中には科学に信を置く積極的な意味での「啓蒙の哲学」を読み取ることができます。その科学への信の根拠は、しかし、科学こそが真理を明らかにするからというところにはないのです。

Or aujourd’hui encore, dans une médecine très avancée, notre connaissance des faits repose sur la confiance que nous faisons à des travaux sérieux, accomplis par des gens qui ont respecté cette éthique de la recherche qui est la précision dans le relevé des faits, la loyauté dans l’exposé des résultats. Nos certitudes sont produites par la communauté des chercheurs. Et les membres de cette même communauté peuvent à tout moment les remettre en question (p. 16).

 医学が進歩しうるのは、事実の記録における忠実と研究結果の共有における正直・誠実という研究倫理をどこまでも遵守する研究者たちの相互信頼に支えられた共同体があってのことであり、この共同体が共有している確実性はその同じ共同体内においてそのメンバーよっていつでも再検討されうるものなのだとスタロバンスキーは言うのです。
 これは医学に限らず、科学一般について適用できる原則ではないでしょうか。そうだとすれば、ここから導かれる論理的帰結の一つは、科学の健全な進歩は、その成果の経済的・政治的利権からの独立性をその条件とする、ということになります。しかし、この条件を現代世界で遵守することはほぼ不可能なように見えます。
 相互信頼という倫理にどこまでも支えられた科学者の自律的共同体、それはそもそもユートピアなのでしょうか。今日、「啓蒙の哲学」はもはや過去の哲学だと一笑に付されてしまうことが多いのも、その楽天性が現実の問題解決にとって無力だからでしょう。
 しかし、理性に基づいた揺るぎない相互信頼と徹底して自由な共同作業に換わる新しい学問の原則を今日の私たちが見出しているわけでもないことも認めざるを得ないのではないでしょうか。












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