内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

スタロバンスキー「文学と世界の美しさ」―『失われた時を求めて』に見られる文学生誕の倫理的・哲学的契機について

2017-04-23 17:21:17 | 哲学

 昨日の記事で言及したスタロバンスキーの文学芸術論集 La beauté du monde の中でその編者 Martin Rueffによってスタロバンスキー自身による序論という位置づけを与えられているエッセイ « La littérature et la beauté du monde » には、文学と世界の美との関係についての考察を通じて、文学生誕の契機、美の知覚とその深化、印象と表現との関係などについてとても重要な哲学的・倫理学的洞察が展開されている。
 私たちを取り巻いている世界が思いもかけず見せてくれるその美の一面を前にして、それに触れられかつ触れることで深く心を動かされると同時に、その感動的な光景を言葉によって十全に表現できないもどかしさを感じることは誰にも多かれ少なかれあることだろう。
 しかし、そのとき、感動に相応しい言語表現の欠如、前者の豊穣に対する後者の貧困が感動する者の心に罪悪感を引き起こし、そこに真理と明晰さへの要求が生れるかどうかに文学の誕生にとって決定的に重要な契機がある。このことを、スタロバンスキーは、上掲の序論「文学と世界の美」の中でプルーストの『失われた時を求めて』第一篇『スワン家のほうへ』の一節の読解を通じて示している。
 スタロバンスキーが引用している『スワン家のほうへ』の箇所を原文のまま引く。

Après une heure de pluie et de vent contre lesquels j'avais lutté avec allégresse, comme j'arrivais au bord de la mare de Montjouvain devant une petite cahute recouverte en tuiles où le jardinier de M. Vinteuil serrait ses instruments de jardinage, le soleil venait de reparaître, et ses dorures lavées par l'averse reluisaient à neuf dans le ciel, sur les arbres, sur le mur de la cahute, sur son toit de tuile encore mouillé, à la crête duquel se promenait une poule. Le vent qui soufflait tirait horizontalement les herbes folles qui avaient poussé dans la paroi du mur, et les plumes de duvet de la poule, qui, les unes et les autres se laissaient filer au gré de son souffle jusqu'à l'extrémité de leur longueur, avec l'abandon de choses inertes et légères. Le toit de tuile faisait dans la mare, que le soleil rendait de nouveau réfléchissante, une marbrure rose, à laquelle je n'avais encore jamais fait attention. Et voyant sur l'eau et à la face du mur un pâle sourire répondre au sourire du ciel, je m'écriai dans mon enthousiasme en brandissant mon parapluie refermé : « Zut, zut, zut, zut. » Mais en même temps je sentis que mon devoir eût été de ne pas m'en tenir à ces mots opaques et de tâcher de voir plus clair dans mon ravissement (À la recherche du temps perdu, « Bibliothèque de la Pléiade », 1987, tom I, p. 153).

 スタロバンスキーは引用箇所の最後の文に特に注目する。この回想の中で想起されている当時の若き散歩者は、自分を取り巻く光景に恍惚となりながら、その光景について、不透明な言葉に自足することなく、より明晰に見ることを自分の義務として感じないわけにはいかなかった。しかし、その倫理的・哲学的要求はそのとき満たされることはなかった。
 世界が無償で私たちに贈与してくれている美に応えてそれに見合う表現ができないことに若き散歩者は罪悪感を感じる。世界に到来する外なる光に対して、より明度の高い言葉によって、つまり言葉の光によって応えなければならないのに、それができないことが少年の心に罪悪感を引き起こしている。
 外なる世界の美を享受する心から発するであろう内なるこの言葉の光は、しかし、長い経験と修練を必要とする自己解読と明晰化作業との結果としてしか獲得され得ない。上掲の見事というほかない叙述がそのことを自ずと証示している。











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