内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

哲学の方法としての「膨張」(その五)― 私たち自身を私たちから隠してしまう現在という遮蔽幕

2017-06-18 16:56:49 | 哲学

 私たち自身の生命の拡張によって、私たちは生命そのものの拡張を経験する。私たち自身の存在のこの動態性は、私たちに存在そのもの動態性を再発見させてくれる。しかし、これらのことは哲学の専売特許ではない。芸術もまた与えてくれる。

L’art nous fait sans doute découvrir dans les choses plus de qualités et plus de nuances que nous n’en apercevons naturellement. Il dilate notre perception, mais en surface plutôt qu’en profondeur. Il enrichit notre présent, mais il ne nous fait guère dépasser le présent (Bergson, « La perception du changement ». In La pensée et le mouvement, op. cit., p. 175).

 しかし、知覚世界の中で私たちがそれまで気づかなかったことに気づかせてくれるという点では、芸術は哲学と共通するとしても、芸術による知覚の拡張が主に表面と現在に限定されているのに対して、哲学においては、その拡張が奥行きを持ち、過去と未来へと広がっていく。
 哲学的拡張は、現在が過去を保持しつつさらなる厚みを持つようになることでもあるし、現在のうちに未来が部分的に描き出されることでもある。それは、さらに、私たち自身のそのような過去と未来への広がりを覆い隠してしまい、私たちから私たち自身を隠してしまう現在という遮蔽幕から距離を取ることを可能にする。
 このような芸術と哲学との区別の仕方にはもちろん反論もあることだろう。しかし、その問題はここでは措く。哲学的拡張が与えてくれるものが、私たちの生命の単なる現在における拡張ではなく、過去と未来への奥行きをもった拡張であり、その拡張が現在の変容をもたらすものであることだけをここでは確認しておく。











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