内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

3月から8月までに予定されている研究発表・講演・集中講義について(1)― 言葉の受肉、あるいは logophanie

2018-01-22 20:45:38 | 哲学

 3月から8月までの半年間に予定されている研究発表・講演・集中講義のテーマについて、それら全体を包括する見通しを立て、概念的考察のレベルでの相互的な脈絡をつけるために、今日からの五日間、このブログの中で一日に一テーマずつ取り上げ、その概略を整理しておきたい。
 最初は、3 月 21 日から三日間にわたってストラスブール大学で開催される国際演劇・視覚芸術学会シンポジウム「身体とメッセージ/ 翻訳と翻案の構造」で行う発表のテーマについてである。昨年6月の応募の際には、「行為的身体の詩学 ― 舞台における言葉の顕現あるいは「言葉の受肉」」というタイトルで発表するつもりで、タイトルに合わせて数行の要旨もシンポジウムの学術責任者に送っておいた。
 ところが、最近になって、発表内容がタイトルと要旨から遠ざかる方向に展開しはじめてしまった。これはこれでしかたがない。もうプログラムは印刷に回されてしまっているだろうから、タイトルはそのままにし、発表当日になんとか辻褄をあわせることにする(ちょっと苦しいが)。
 この発表では、多声部からなる詩作品が舞台空間で複数の人物によって演じられた場合を想定し、その仮想的舞台空間の中でその詩作品の演劇的効果を分析することを試みる。分析対象となる詩作品は、『万葉集』巻第八の山上憶良の「七夕の歌十二首」(1518-1529)である。
 実際、この一連の七夕歌は、多声部からなる複数の短歌の掛け合いとして宴席で披露されたと考えられ(伊藤博『万葉集の歌群と配列〈下〉(古代和歌史研究)』、『萬葉集釋注』)、複数の登場人物と作者のナレーションからなる演劇性をもった歌群として読むことができる。このような読み方によって、複数の肉声の交響の中の「言葉」の顕現、あるいは「言葉の受肉 logophanie」をこの歌群の中に捉えることがこの発表の目的である。












最新の画像もっと見る

コメントを投稿