内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

言葉が開かれるとき ― 日仏共同セミナーを終えて

2017-02-09 16:12:20 | 雑感

 一昨日火曜日は一日、法政大学哲学科の学部生十五名(+卒業生で現在別の大学の修士の学生一名)とストラスブール大学日本学科修士の一・二年生十二名(残念ながら一年生の一名が病欠)との合同ゼミが日仏大学会館(Maison universitaire France-Japon)で行われた。半年前から一学期かけて共通テキストの加藤周一『日本文化における時間と空間』をそれぞれに読んできた学習成果を発表する機会であり、演習あるいは特講の仕上げでもある。
 午前は、同書第一部「時間」をめぐって、修士一年六名の個別発表と法政側の一グループの発表とが行われ、発表後若干の質疑応答が行われた。どちらの側の発表も十分に準備されており、それぞれによくまとまっていて、議論を深めるに値する論点もいくつも提出されたのだが、時間の制約と発表形式、まだ雰囲気として打ち解けるに至っていない等の理由で、活発な議論と言うには程遠かった。
 午後は、同書第二部「空間」をめぐって、修士二年生六名の個別発表と法政側のもう一つのグループの発表が行われた。こちらも内容的にはとてもよかったと思うのだが、発表後は若干の質疑応答以上には議論は発展しなかった。
 これには、すべてが日本語でなされるというストラスブール大生の側にとっての大きなハンディあることを措くとすれば、発表内容・形式の問題もあるように思う。今回の結果を受けて、来年度以降、全体の形式そのものを考え直したほうがいいのではないかと思い始めた。
 発表後は、四つのグループに分かれてのディスカッションにしたのだが、これはとてもうまく行った。私の予想はいい意味で裏切られ、どのグループでもフランス人学生たちが実に積極的に発言しているのを聴いて大変嬉しく思ったし、彼らが「隠し持っていた」日本語口頭表現能力に驚かされもした。
 発表時とは、会場の空気もすっかり変わって、活気に溢れた熱度が感じられるようになった。それぞれのグループ・ディスカッションの中で、さまざまな具体例が挙げられながら、論点が次第に絞られ明確になっていった。その日もう少し時間があれば、あるいは翌日にも議論する時間があったとすれば、さらに議論は発展し深められたであろうと残念に思ったほどである。共同セミナー後の継続的な学習が可能になれば、さらに充実した成果を上げることができるであろう。
 この共同ゼミのストラスブール側のオーガナイズを担当するようになってこれで三年目になる。前二回もそれぞれに成果を上げることはできたと思うが、今年は、言葉が単なる一方的な発表言語から双方向的なコミュニケーションの言葉に変わってゆく過程が特に鮮やかに感じられた。自分の言葉が相手の心に届き、相手の言葉が自分の心に届くことで、複数の人間が協同する言語空間が開かれていく、端的に一言で言えば、学生たちの間に「言葉が開かれていく」瞬間に立ち会うことができたのは幸いなことであった。
 共同ゼミ後の宿泊場所での懇親会も見ていて楽しいものであった。午前零時に散会した後、法政の学生さんたち何名かと午前二時までラウンジでおしゃべりしたが、それもまたとても楽しい一時であった(翌日授業があったのでちょっとしんどかったけれど)。
 彼らのプログラムは明日金曜日まであり、翌日土曜日に帰国の途につく。全日程を恙無く終え帰国されることを心より祈念しています。