稲毛聖書教会

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2017年06月18日 | 週報
二〇一七年六月十八日  NO・四四―十二      聖 書 日 課   
   礼 拝 次 第         (日)ヨ ナ    三章(月)  〃   四章
         司会 みつ子師(火)ミ カ    一章(水) 〃   二章
           奏楽 内 間姉(木)  〃     三章(金)  〃    四章 
招詞祈祷  イザヤ四三章四~五節    (土)  〃     五章
頌  栄  聖 歌三八四番             (お 知 ら せ)
信仰告白  使徒信条           ◎早天祈祷会(月~土)午前五時三十~五五分。
讃  美  讃美歌 一三番        ◎二二日(木)午後二時より祈祷会です。
主の祈り                    ◎本日は「ルターの学び」―九五箇条の提題について。     
交 読 文  詩 編 三 編        ◎本日、責任役員会。     
讃  美  讃美歌二八七番        ◎次週二五日は、大掃除の予定です。
献  金  感謝の祈り      平林姉  
讃  美  聖 歌四〇四番           わたしはあなたがたに最高の道を教えます。
説  教 コリント十二 章三一~十三章三節 たとえ、預言する賜物を持ち、 
讃  美  聖 歌三九三番           あらゆる知識に通じていても、
祈  祷             高澤兄     愛がなければ、無に等しい。
頌栄祝祷  聖 歌三八三番             Ⅰコリント十二章三一・十三章二節
   
   愛の卓越性
 パウロは、十二章で「聖霊の賜物」を取り上げたが、ここでパウロは個々の賜物に優る道を十三章で示す。それは「愛」である、と。
 ここでパウロは、「愛」を個別的な聖霊の賜物の一つと考えていないようだ。たとえば、「信仰」の賜物(十二章九節)のように。ただガラテヤ五章二二節で「聖霊の実」として「愛」をあげている。

 一~三節は「愛の卓越性・絶対性」を聖霊の賜物などと比較して印象的に明らかにしている。ここでパウロは「わたし」という言葉を用いて語っているが、それはパウロが自分に当てはめて、自分の確信を吐露しているのである。

 一節―パウロは最初にコリントの信徒が最大に評価していた「異言」の賜物を取り上げ、愛がなければ、それらは騒がしくやかましいものに過ぎないと言い切る。なんという皮肉!
 二節は、「預言の賜物」と「神の奥義」と「この世の知恵のすべて」に通じていることと愛を比較する。まさに二節の能力を持つ者は、この世における最高の知者、最大の人物と言ってよい。しかしそのような者であっても、その人に愛がなければ「無に等しい!」とパウロは言うのである。
 三節は「全財産を施す」と「殉教する」ことと愛を比較する。これらは愛なくしてできるだろうか、と疑問に思うかもしれない。しかし確かに自分のためにまた「自己称賛」のためにできるのである。しかしそのような最大の犠牲的行為も愛がなければ「何の益もない」と言い切る。

 ここでパウロが述べている「愛」はキリストを通して示された「神の愛」である。決して人間の努力や精進で生まれる愛ではない。だから十三章に記されている愛が自分にはない、と嘆くのは的外れであり、自己過信の裏返しである。「キリスト教共同体は、「賜物」が欠落しても存続可能であるが、愛がなければ死に瀕する」(F・F・ブルース)。ローマ五章五節に「聖霊によって神の愛が私たちの内に注がれている」とあるが、個々の賜物は持てなくても、愛は、求める者すべてにあたえられるのである!
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