稲毛聖書教会

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2017年07月16日 | 週報
 二〇一七年七月十六日  NO・四四―十六      聖 書 日 課   
   礼 拝 次 第       (日)ゼカリヤ   九章(月)  〃   十章
        司会 高 澤兄(火)   〃   十一章(水) 〃   十二章
        奏楽 内 間姉(木)   〃   十三章(金)  〃   十四章 
招詞祈祷  イザヤ六一章十~十一節   (土)マラキ     一章
頌  栄  聖 歌三八四番             (お 知 ら せ)
信仰告白  使徒信条           ◎早天祈祷会(月~土)午前五時三十~五五分。
讃  美  讃美歌 二三番        ◎二十日(木)午後二時より祈祷会です。
主の祈り                   ◎本日は「ルターの学び」―九五箇条の提題の波紋・ 
交 読 文  詩 編 七 編         宗教改革者ルターの誕生―です。     
讃  美  讃美歌三三八番        ◎「天路」の原稿を七月末までにお願いします。  
献  金  感謝の祈り      平林姉    あなたがたが集まったとき、 
讃  美  聖 歌五九〇番          それぞれ詩編の歌をうたい、教え、啓示を語り、
説  教 Ⅰ コリント十四 章二六~四十節 異言を語り、それを解釈するのですが、
讃  美  聖 歌二〇一番     すべてはあなたがたを造り上げるためにすべきです。         
祈  祷            みつ子師   すべてを適切に、秩序正しく行いなさい。
頌栄祝祷  聖 歌三八三番            Ⅰコリント十四章二六・四十節
   
   礼拝の目的―教会を造り上げるために
 この個所は、初代教会の礼拝形式の一端を垣間見せてくれる。当時は現代の多くの教会のように「礼拝式次第」に沿って礼拝が行われたわけではない。また一人の人が説教をするというわけでもなかった。

 二六節は、礼拝出席者各自が、ある人は讃美を、ある人は教え、ある人は啓示・異言を語るというように、礼拝に能動的に参加していたことがわかる。ただコリント教会は、霊的に富んでいたので、無秩序になる傾向にあった。そこでパウロは「神は無秩序の神ではなく、平和の神です」(三三節)と言い、「すべてを適切に、秩序正しく行いなさい」(四十節)と勧めている。

 この忠告からわかるように、私たちは、初代教会の礼拝スタイルが、理想であるという幻想を抱くことから救われる。だから当時の礼拝形式に近づけなければならない、というのは誤りである。それは決して聖書に忠実と言うことではない。礼拝形式は、時代に沿ったもの、あるいは各国で固有のものでよいのである。ただ次の一点だけは時代を超えて不変である。つまり礼拝は「すべてはあなたがたを造り上げるためです」(二七節)ということ。「あなたがた」は原文になく、他の訳では「信仰」「教会」「徳」となっている。これは三~五節で繰り返し言われていたことで教会を造り上げることである。

 三四~三五節は、現代では到底受け入れられない言葉である、と言える。そして多くの学者は困惑し、説明に苦心している。たとえば十一章五節には女性が礼拝で預言することを認めているから、全面的に禁止されているわけではない、とか…。私の理解は、パウロが七章二十節で「おのおの召されたときの身分にとどまっていなさい」と言い、奴隷は奴隷のままで、と言う姿勢がここにも反映していると思う。パウロは当時の政治の形態を容認しており、革命を目指していない。そして当時一般的に女性は公衆の前で話すのは控えられたのである。そこでここでもパウロは女性の在り方について当時の生活様式・常識に従っている。それゆえ先の礼拝形式と同様に、私たちはこれに縛られる必要はない。それは決して聖書を無視することではない。パウロが現代にいたならば、女性の役割を男性と同等に認めただろう。
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