稲毛聖書教会

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週報

2016年10月16日 | 週報
 二〇一六年十月十六日  NO・四三―二九      聖 書 日 課   
   礼 拝 次 第       (日)箴  言  二十章(月)  〃   二一章
       司会 高 澤兄(火)  〃   二二章(水)  〃   二三章
       奏楽 慰 子姉(木)  〃   二四章(金)   〃  二五章 
招詞祈祷  詩編一編一~三節      (土)  〃    二六章
頌  栄  聖 歌三八四番             (お 知 ら せ)
信仰告白  使徒信条           ◎早天祈祷会(月~土)午前五時三十~五五分。
讃  美  讃美歌三〇番         ◎二十日(木)午後二時より祈祷会です。
主の祈り                   ◎本日午後一時より「祈りのこころ」の読書会です。   
交 読 文  詩編百十九編コフ・ レシュ  ◎次週の礼拝は粂川信夫師をお招きしての礼拝です。
讃  美  讃美歌二七〇番         
献  金  感謝の祈り      高澤姉  さて、兄弟たち、 
讃  美  聖 歌五二一番         わたしたちの主イエス・キリストの名によって
説  教  Ⅰコリント一章十~十七節   あなたがたに勧めます。  
讃  美  聖 歌二〇一番        皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、            
祈  祷            みつ子師  心を一つにし思いを一つにして、
頌栄祝祷  聖 歌三八三番        固く結び合いなさい。  Ⅰコリント一章十節  
                 
   主イエス・キリストにある一致  
 十節の言葉こそ、パウロがこの手紙を書いた主要動機といってよい。それは教会員の「一致」である。キリストの名の下における一致である。

 それは教会内に分裂という争いが起こっていたからである。それは「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロにつく」「わたしはケフアにつく」さらに「わたしはキリストに」というように、である。ここに「人間崇拝・英雄崇拝」の根がある。これはこの世界にとっては当然のことである。しかしキリストの教会においては、決してあってはならないことである。キリスト者とは、本来、人間崇拝から解放された者である。キリストを知る者は、どんな人間も絶対化することなく、相対的な存在、鼻から息をする存在として覚めた落ち着いた目で見ることができるようになる。

 では、キリスト教界に多く教派がある現状を、私たちはどのように受け止めたらよいのだろうか。教派の起源は、ある時代、ある地域に、ある人物を通して、神が御業をなされて生まれたものであり、大きな働きをなし意味を持つ。しかしここで決して忘れてはならないこと、なしてはならないことは、自分の所属する教派を絶対化しないことである。なぜならそれはキリストという一つの体の一器官にすぎないからである。教派は、各自その神学的特徴を有し、それを強調する。しかしあくまで一器官であることをわきまえ、謙遜でなければならない。もし己を絶対化し、他教派を批難排斥するならば、それはここでパウロが警告している罪過に陥っているのである。キリストを頭とする教会は、各教派をキリストの体の一部として尊重し、認め合い、福音宣教に従事すべきであろう。

 キリスト教会は、この世のあらゆるサークル、クラブ、団体と全く別個のものであり、区別される。それはある一つの関心や目的のために、また個人的な趣味のために集まったものではなく、キリストが、各自を招き集めてくださった集いだからである。それゆえ時代、民族、国の違いを超えて、全世界にあるキリスト教会はひとつである。ここに人類の悲願である、違いを超えての一致、平和の原型がある。
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