稲毛聖書教会

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週報

2017年05月14日 | 信仰的メール交換
二〇一七年五月十四日   NO・四四―七      聖 書 日 課   
   礼 拝 次 第           (日)ダニエル  八章(月)  〃   九章
         司会 みつ子師(火)  〃   十章(水) 〃   十一章 
           奏楽 内 間姉(木)  〃   十二章(金)ホセア    一章 
招詞祈祷  詩編二四編一~十節     (土)  〃    二章
頌  栄  聖 歌三八四番             (お 知 ら せ)
信仰告白  使徒信条           ◎早天祈祷会(月~土)午前五時三十~五五分。
讃  美  讃美歌 九 番         ◎十八日(木)午後二時より祈祷会です。
主の祈り                  ◎本日午後一時より、責任役員会。     
交 読 文  詩編百四十八編        ◎次週は「ルター」の学び会です―宗教改革前夜―。     
讃  美  讃美歌三二四番       
献  金  感謝の祈り      平林姉 だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、 
讃  美  聖 歌五二〇番       何をするにしても、
説  教 Ⅰコリント十章二三~十一章一節   すべて神の栄光を現すためにしなさい。 
讃  美  聖 歌六〇五番         わたしがキリストに倣う者であるように、       
祈  祷             高澤兄  あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。
頌栄祝祷  聖 歌三八三番             Ⅰコリント十章三一節・十一章一節
   
   パウロにならう
 今日の箇所は、八章から語られてきたことの結びである。ここまでパウロは「偶像に供された肉を食べることの可否」について詳細な勧告を与えて来た。私たちはここから、ある事柄について意見や認識が対立する場合に、キリスト者はいかに振舞うべきかの原則を教えられる。

 キリストによって罪と死とから(さらに律法から)救われて与えられた「キリスト者の自由」をパウロは大前提して認める。また「地とそこに満ちているものは、主のもの」(二六節)であることを知るキリスト者は、この世にあるすべてのものを感謝して受け取ることが出来る。同時にこの自由は「いっさいの人間的因習と価値基準からの自由」(ブルトマン)でもある。しかしその自由をパウロは、人を躓かせないために自分は行使しないと主張する―「わたしは、だれに対しても自由なものですが、すべての人の奴隷となりました」(九章十九節)―。それは「すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。」(九章二二節)、「人を救うために、自分の益ではなく多くの人の益を求めて、すべての点ですべての人を喜ばそうとする」(三三節)との動機からである。

 そして最後に「わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい」の勧告をもって締めくくる。パウロの考えや行動の基準はどこまでも「キリスト」である。キリストは神の子の位を捨てて人となってわたしたちの所まで降りて来て下さった。この神から人とへの下降は、自らの自由意志による。それは「すべての人が救われるため」に他ならない。このような行動をキリストになさせたのは「愛」である。だからパウロは「愛は造り上げる」(八章一節)と言い、さらに十章二三節で「すべてのことが許されている。しかしすべてのことがわたしたちを造り上げるわけではない」言うのである。真の自由とは、勝手気ままに自分のしたいことをすることではない。「自分の益」を最優先させる自己中心から解放されて、人の益のために自分を用いることである。それは自分の欲求を我慢することではなく、豊かな愛に、つまりキリストの愛に生かされ繋がることに他ならない。
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