話題作
と
いう
理由だけ
で
飛びつくほど
ミーハー
じゃない
し
時間
も
ない
でも
流れ
で
そのセカイ
へ
と
導かれたならば
それは
きっと
いま
必要だった。
の
かもしれない
小説「君の膵臓が食べたい」
は
映画「君の名は」
の
時
に
感じた
そんな
自己解釈
を
再び
憶い出す
作品
だった
ワタシ
は
この手の話
が
ニガテ。
だ
云い換えれば
この手の話
が
羨ましく。
て
たまらない
この小説の中にも
記されていた
〜ヒトとヒトが 出逢い
惹かれ合ったり
啀み合ったりするのは
偶然でも
運命でも
ない
それぞれ
が
選択。
してきたから〜
だと
ワタシ
が
半世紀近く経って
ようやく
うすうす
勘付いて来た
縁の神秘。
みたいなモノ
を
物語の中なれど
うら若き青の時代
に
見い出し
確かめ合える
奇蹟を
目の当たりにするのが
心底
ニガテ
で
羨ましくて
仕方ない
のだ
自身のその頃
を
振り返ってみたら
全くもって
正反対だった
ような
気がする
色んな真実
を
知るのが
怖くて
そう
自身で
創り出した
闇の中
を
目を瞑って
彷徨っていた
誰か
との
永遠
を
信じないモノ
特有
の
自身
で
生み出し
いつでも
目を見開けば
終わらせるコト
が
出来る
闇
本質など
見ようともせず
知ろうともせず
手探り
で
掴んだモノ
を
愛
とか
友情
とか
名付けたりして
月日をかけて
目
を
恐る恐る
開けた時
に
そのセカイ
は
実に
眩しかった
すっかり
若さ
は
垂れ流し
放り出されていた
けれど
ようやく
全身
で
生きている心地
が
した
恐ろしい
と
想い込んでいた
闇すら
与えられたモノ
ならば
然りと
目を開けていられるから
不思議だった
見届けてやろう
と
覚悟
を
決めれば
闇
は
闇
なりの
見えてくるモノ
が
在る
と
知った
ワタシ
は
あと
どれくらい
選択。
を
するだろう
そして
あと
どれくらい
出逢って
好いたり
憎んだり
するんだろう
考える
と
高揚
と
眩暈
が
同時
に
押し寄せて
きそう
だけれど
いまなら
解る
闇
も
眩しさ
も
誰のせいにも
手柄にも
しない
自己責任
と
自己解釈
の
元
に
そういう
選択。
を
していくだろう
と