ホミ・バーバ『文化の場所』(法政大学出版局,2005)
必要があって,ポストコロニアリズムの基本文献の一つである本書を繙く。
全体の通読後に第1章を丁寧に追尾してみたのだが,他者を表象=代表する言説がつねにすでにアンビヴァレンスをはらまざるをえないこと,そして,そのアンビヴァレンスを拙速に統合してしまうのではなく,矛盾しあう対立項が分節化される瞬間に遡行する「時間性」を意味する「交渉」として理論を再定義することによって,理論と実践(あるいは,その変奏としての西洋と東洋)という対立を無化する新しい「政治」の地平を探究することを目指している。
これ自体,とくに目新しい主張ではないのだが,バーバのいう「時間性」が,ポストモダン系の議論がおびる傾向にある「空間性」に対して,どのように切れ込んでいるかに着目しながら,以降の各章,とりわけ第9,11章を読み解く予定。
それにしても,翻訳と原文を対照しながら読んでいるのだが,翻訳はもう少しどうにかならないだろうか。あまりにも予断が入りすぎていて,原文をあまりにもないがしろにしているように感じる。この種の理論的傾向が強い書籍の翻訳の場合には,もちろん日本語として成立していない訳文は論外ではあるが,しかし,一言一句を慎重かつ繊細にあつかう態度があってもいいのではないか。流暢な日本語を目指すあまりに,理論的厳密性が疎かにされてしまっている気がしてならない。自戒の念も込めて。
必要があって,ポストコロニアリズムの基本文献の一つである本書を繙く。
全体の通読後に第1章を丁寧に追尾してみたのだが,他者を表象=代表する言説がつねにすでにアンビヴァレンスをはらまざるをえないこと,そして,そのアンビヴァレンスを拙速に統合してしまうのではなく,矛盾しあう対立項が分節化される瞬間に遡行する「時間性」を意味する「交渉」として理論を再定義することによって,理論と実践(あるいは,その変奏としての西洋と東洋)という対立を無化する新しい「政治」の地平を探究することを目指している。
これ自体,とくに目新しい主張ではないのだが,バーバのいう「時間性」が,ポストモダン系の議論がおびる傾向にある「空間性」に対して,どのように切れ込んでいるかに着目しながら,以降の各章,とりわけ第9,11章を読み解く予定。
それにしても,翻訳と原文を対照しながら読んでいるのだが,翻訳はもう少しどうにかならないだろうか。あまりにも予断が入りすぎていて,原文をあまりにもないがしろにしているように感じる。この種の理論的傾向が強い書籍の翻訳の場合には,もちろん日本語として成立していない訳文は論外ではあるが,しかし,一言一句を慎重かつ繊細にあつかう態度があってもいいのではないか。流暢な日本語を目指すあまりに,理論的厳密性が疎かにされてしまっている気がしてならない。自戒の念も込めて。









