ほぼ週刊 元祖ブルーォグラス

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Bluegrass Lockdown Music Festivalに関する所感

2020年05月23日 | フェス
2020年5月4日19時に、オンラインブルーグラスフェス「Bluegrass Lockdown Music Festival」が開催された。
開催動画は《前回記事》参照

YouTubeを利用したストリーミング配信には常時200人を超える視聴者を集め、盛況のうちに幕を閉じた。実験的な試みとしては大成功だったと思う。

何をもって「成功」とするかは議論の余地があるだろうが、私はここではとりあえず「参加者満足度」をもって、成功だったと言いたい。今回のフェスは、参加者の満足度はかなり高かった。本当に感激した。
主催者であるマッドサイエンティスト、Drあずまぐ氏には最大限の敬意を表したいと思う。

イベントのコンセプトは次の通り。

「ブルーグラス演奏動画を募集し,ライブストリーミング配信を行う。家でちょっと撮ってみた動画,遠隔多重録音でメンバーと作ってみた動画,過去うまく行ったライブの演奏動画や,バンドで練習したけどお蔵入りになっていた曲などを気軽に投稿してもらいたい。普段,地理的要因や時間的要因等でメンバーが集まりづらくライブやフェスティバルのステージに露出が低いようなバンドや,コアすぎて目立ちにくい演奏などにもスポットが当たるような,外出都合をつけず,かつイベント的一体感のある,即時性と非同期性を両立するインターネットの良さを生かした一つのライブイベントの形式として開催し,ブルーグラスの発展に寄与したい。」

新型コロナウイルス による緊急事態宣言下の外出自粛という前代未聞の事態に、最も対応した手法として爆誕したこのフェス。

そのコンセプト通り、普段一人で演奏していて演奏機会がない、メンバーが遠距離でバンド練ができないなど、リアルフェスに対してハンデがある演奏者に対しても演奏機会の門戸を広げることができたように思う。

残念ながらストリーミング配信は一定時間経過後に消滅したのだが、この記念すべきイベントの誕生を記念して、何かしら文字に残しておきたいと思い、この記事を書くことを思いついた。

蛇足だが、ここで述べることは全て私見であり、異論の余地は大いにある。
そして、出演者それぞれに対する評価はここでは行わないことをお許しいただきたい。

【よかった点】
・開催時間
30バンドで5時間弱。これは通常のフェスに慣れている人にとっては余裕の進行だったのではないだろうか。
19時開始で日が変わる前に終わる、間延びもせず集中しながらものんびり楽しめるプログラムだった。

・出演者のバランス
イロモノと正統派、このフェスのために製作された映像とライブ映像、バンドサウンドと一人で作ったサウンドなど、全てのバランスがよかった。
自由エントリーにしてはかなり高いレベルの作品が集まり、飽きが来なかった。
このフェスでしかできない表現を駆使した作品も散見されたのもよかったし、逆に過去のライブ映像が挟まれることでフェス感が向上したと感じる。

・プログラム
なにより、それら30バンドを絶妙な配置でプログラムしたDr.あずまぐのオーガナイズ能力の賜物であることは疑う余地がない。
自由エントリー性のイベントの怖いところである、未知の出演者のレベルの不安も事前に確認できるのもこのシステムの利点だろう。
しかし、事前にエントリーが急増したにもかかわらず、開始までにプログラムを組み上げたDr.あずまぐの能力には脱帽した。
このイベントの成功の全てはオーガナイザーであるDr.あずまぐの狂気に満ちた企画開発によるものであることは言うまでもない。

・進行
基本的に「いいですね」しか言っていない、批判しないMCが良かった。
また、あずまぐ一人ではアングラ感が漂ってしまうところを、キキちゃんとスージーという肯定の権化のような二人がやさしくサポートしているのがよかった。
さっぱりとした進行で、グタグタ感が全くと言っていいほどなかったのがよかった。

・システム
何よりよかったのは、何人見てるかわかる、チャット機能でコメントを打つことができるなど、視聴者で同じ時間を共有していることがハッキリとわかったことだ。
そして、生放送で視聴者の反応を見ながら進行していたこと。
演奏者、視聴者双方の参加者が「時間」と「コンセプト」の両方を共有できたことが成功の鍵なのではないかと思っている。

・天気
そして、インドアフェスであればほぼ当たり前の話であるが、アウトドアフェスにつきものである、イベントの成否が天候に左右されることがない。通信トラブルさえなければ(今回は全くなかったが)、観覧者にとっては快適な環境の極みである。


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さて、ここからはあえて、課題を書いてみる。
なぜそんなことをするかというと、そんなことをする人が他にいないと思うからだ。
そして、主催者もそれを臨むところではないか、とも思う。

イベントの開催に水を差すつもりは毛頭ない。むしろどんどん開催してどんどんレベルの高いイベントにしてほしいと願っている。

なお、「課題」という言葉を使ったが、「課題」というのは、一般的には、「理想の状態」が存在し、そこと現状の「差」という意味で使われるものだ。
なので、「理想の状態」とは何であるかということをどのように認識するかで、変わりうるものであると思う。
それを念頭に置いた上でお読みいただきたい。


【課題】
・マイナスな反応が伝わりづらい
観客の反応は、YouTube(Google)のアカウントを持っていないと書き込めない仕組みになっていた。
イマイチだと感じる時にも、なかなかマイナスな書き込みはしづらいように感じた。

・主催者頼み
良くも悪くも主催者のキャラに頼ってしまう傾向は、リアルフェスにももちろんある。
もちろん今回は初回なので当然と言えば当然だが、動画を募集してのオンラインフェスでは、コンセプト、募集方法、運営、プログラムなど、主催者頼みになる傾向はより強くなるように感じた。

・内輪感
アマチュアイベントはどこまでいっても内輪感のあるものにならざるを得ない。これは厳然たる事実だと思う。
今回のイベントは参加者満足度は非常に高かったと思う。それは間違いない。
だが、あえて言えば、置いていかれた人もいると思う。
今回の手法は、Twitterやパソコンに強い人(というよりは悪い言い方をすると依存している人)を対象としたイベントであるように感じた。
この手法に合わない人も一定数いると思う。 そして、その人たちの「声」はあまり発信されないのではないか。

今回のオンラインフェスを通じて感じたことは、リアルでの関係性がすでにあり、その人たちがオンラインで既に繋がっているからこそ、このイベントへの参加したい気持ちになった人が多く、全くの初見の人が参加するにはやっぱり敷居は高いのではないかということだ。
「敷居」というのは参加者が知らず知らずのうちに作ってしまうものである、と思う。
「敷居」とは、言い換えれば「内輪感」と同じ意味だ。

進行に関しては、決して内輪感を感じさせるものではなかったし、Dr.あずまぐはそれをかなり意識的にやっているように感じた。
それでも、初見の人の参加の敷居のハードルが下がっていたかというと、若干の疑問がある。
このあたりは、なかなか主催者の意気込みだけでは如何ともし難く、参加者同士が意識的に適度な距離感を保たないと、馴れ合いのように見えてしまい、それが初見の人の「敷居」になってしまうものだと思う。
(それが一参加者たちの責任であるとは言っているわけではない。)

「内輪感」というのは、実はもちろんこのイベントに限った問題ではない。
オフラインのフェスの方がよっぽど内輪感は強い、と見ることもできるだろう。
「内輪感」とは、実は楽しさと表裏一体であるのだ。
それを拡げることによってイベントの規模を大きくすることもできる。必ずしも課題だと捉える必要もないだろう。

・オンラインフェスは果たして敷居が低いのか
これは少なくとも開催時には全く未知数であった。
だが、観客の反応がダイレクトに伝わるシステムになっていることがわかった以上、次回の開催時には気軽に応募できるかどうかはまたわからなくなったな、とも思う。


いずれにせよ、この「Bluegrass Lockdown Music Festival」が狂気の祭典であったことは間違いない。
200人を超える人たちを常時引きつけた魅力は本物であると思う。
名古屋大学ブルーグラスサークル出身者を中心に、このようなブルーグラスイベントが開催されたことを本当に誇りに思うし、音楽を続けてくれていることにも本当に感謝と敬意を改めて表したい。

そして、第二回にはまた新たな化学反応が起きるのではないかと期待し、今後の展開を陰ながら見守りたいと思っている。




長文の上に、立場や観点がとっ散らかったこの文章を最後までお読みいただきありがとうございました。
この文章は暫定のものであり、後日修正または削除することがありますのでご了承下さい。

Bluegrass Lockdown Music Festival アーカイブス

2020年05月23日 | フェス
2020年5月4日19時に、オンラインブルーグラスフェス「Bluegrass Lockdown Music Festival」について、YouTube上で確認できる動画の紹介記事です。
動画は当日のプログラムとは関係なく、ランダムに掲載しています。
当日の雰囲気をお楽しみください。
なお、当日放映されたその他の動画について、情報がありましたらコメントでお寄せください。





























「ブルーグラス」とはなんであるか ①

2018年11月27日 | 自由研究
ブルーグラスとはなんであるか。

これは私にとって究極の命題である。
そんなことグダグダ論じる前に弾くか歌うかしろや、と怒られそうな話ではあるが。

いつの間にか21世紀も10何年も経ってしまって、このテーマを議論していた大切な先輩も何人も亡くなった。
いったい何をしているんだろう。自分がしてきたことは正しかったのだろうか。考え続けてるだけじゃダメだ。

だから今、これまで自分が何を目指してきたか、本当は何を目指したいか、あえて誰も読んでいないここで、初心に帰って振り返ってみたいと思う。

ブルーグラスとはなんであるか。

行き当たりばったりなので、とりとめのない文章になると思うし、更新は何ヶ月も(もしかしたら何年も)止まるかもしれない。

もしも読んでしまった、続きが読みたいという奇特な人がいたらどんな手段でもいい、教えて欲しい。その教えはきっと私の連載に対する動機の一助になるだろう。人は人の目を気にすることでしか動くことのできない打算的な生き物だ。

とはいえ読者がいなくても、まあとにかく書きはじめないといけないし、実際もう書きはじめてしまったのだ。
いつかやりたいと思っているうちに人は死ぬ。

帰ってきた口パクファミリーバンド

2018年05月08日 | 自由研究


本ブログで一世を風靡したあの「The Punches Family」が時を経て、大きくなって帰ってきました。
今日のファミリーバンド



すでに口パクではなく、貫禄すら感じさせる演奏。
お父さんも愛娘達の演奏にご満悦の表情。
にしても変わらないこの異様なステージ風のPVは一体どういうシチュエーションなんでしょうか。


「継続は力なり」という言葉がぴったりの、仲睦まじいファミリーにもう一度大きな拍手を。

アメリカ民謡研究会の研究

2018年03月22日 | 自由研究
6年くらい前にmixiに書いた記事を改変して掲載。
記事中の年数、HPの内容は当時のものです。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ブルーグラス界の東の草分け的存在、A山学院大学では軽音楽同好会の中で「ブルーマウンテンボーイズ」は1961年(昭和36年)に初代が結成してから、‘86年(昭和61年)に24代目がお茶の水「日仏ホール」で最後の解散コンサートを開くまでの間、26年の長きにわたり、その歴史の幕を降ろしました。

H海道大学のブルーグラス研究会はフォークソング研究会から35年前に分離独立しています。現在のフォークソング研究会はロック、Jポップをやっています。サークルというものには年や時代の流行によって、そうした変質があるのだと思います。

特に大学サークルなどでは、設立から現在に至るまでの間、年を経るにつれてに当初の理念から大きく変質していることが少なくありません。

ブルーグラス演奏者の出身にも多い『アメリカ民謡研究会』という団体もその一つです。
『アメリカ民謡研究会』というサークルが現在どのようになっているか、現存するものを見てみましょう。

(以下各団体ホームページより抜粋・改変)

【W稲田大学】
アメリカ民謡研究会では月一回のライブを中心にオールジャンルでの音楽活動を行っております。学生会館地下1階B127にある部室は機材がそろったスタジオになっています。

【R教大学】
アメ民(アメリカ民謡研究会)はバンドサークルです。
毎年40人前後の会員がいます。昭和47年の設立当時はアメリカのアコースティックな音楽を演奏していたらしいのですが、今はいろんなのをやってます。

【N山大学】
アメリカ民謡研究会(通称アメ研)とは愛知県名古屋市昭和区・南山大学における部活動です。
主に同学年の中でバンドを結成し、オリジナル曲を作曲しての活動を行なっていくことを目的としています。バンド単位での活動が基本となり、制約も特にない自由な雰囲気の部活動です。

【K戸学院大学】
アメリカ民謡研究会です。あ、アメ民っていってもアメリカ民謡は研究してません! オールジャンルでバンドやってます!

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「研究してません」って言い切るのすごいな・・・。

まあこんな感じで、団体としての名前はあるけど活動内容が変わるってこともよくあるんだろうと思います。音楽に限らず。

また、T山商船高専の『ブルーグラス同好会』が、設立から数年後に「バンジョーを弾ける人ががいなくなった」という理由で『アイリッシュ同好会』と改称した時には、その手があったか!と衝撃が走りました。

長い時間の経過の中では、こうして活動内容に合わせて改称しているパターンも相当数あるのでしょう。

もちろん、そうした活動の変容や改称がいいか悪いかというのは一概には言えません。当事者たちにとってはその時の活動が楽しければそれでよいのでしょう。 部外者にそれを強制することはできません。

でも、たまにはその名前に込めた先人達に想いを馳せてみてもいいのではないかと思ったりもするのです。