ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

「敗戦記念日」に思う事。

2017年08月15日 18時40分24秒 | 歴史と風土
私は1947年に生まれている。
いわゆる戦後生まれと呼ばれる世代に属しています。

学生の時、何かのきっかけで戦前、戦中の「国家主義イデオロギー」と言われる事象に興味を持ち様々な書籍に目を通したことがあった。

日本が国家として行った戦争についての研究は様々な分野での研究者の成果がありますが、戦争当時の国民の意思の集約の過程に関する考察が、少ないように感じております。

西洋のある哲学者はかって次のように言ったそうである。
「人民は、彼に相応しい政府を選ぶ」と。


かって、軍服を好んだ文学者がいたことを思い出した。
彼は市ヶ谷で自害したのだが、彼の過ちは腹を切った事にあるのではない。
政治や軍事が現実的課題である事を認識しようとしなかったことにあるのだと思う。

政治やそれの発展としての軍事は現実の課題である事を、忘れてはならない。

「けんかエレジー」でも言ってることでしょう。
「勝てない相手とは喧嘩するな、逃げるが勝ちだよ」と。

「敗北の美学」や「滅びゆくものヘの美学」などは、文学上の綺麗ごとに過ぎない。
「逃げるが勝ち」の時だってあるのだ。


戦中の国家指導者は戦後に「極東軍事裁判」の法廷に引き出され、彼らの罪科を問われたわけであるが、そのことに関して、現在も閣僚の地位にある女性政治家のあるトーク番組での発言を思い出した。
彼女は次のように言っていたのである。
「戦争は国家と国家がやった事なので、個人にその責任を負わせるのはおかしい」、との発言であったと記憶している。
何というばかげた事を言っているのかと耳を疑いました。
国家にはどんな形であれ主権者というものがいて、その主権者が戦争をすることを選択したのだろう。そして、その主権者を担ぎ出して、戦争に向かわせた政府指導者の責任は、問われるのが当然だろうと思います。
本来なら、自国民がその責任の所在を問うべきなのであるが、敗戦後のわが国にはそれらの裁判を担う主権は自国には存在しなかった。
だから、主権が自国に取り戻された時点で、改めて自国民による「戦争の責任」を問うべきであったと思う。
そのことをしないままに既に70余年もの歳月が過ぎてしまった。

自国民による責任の所在の在り方がおざなりにされたままでは、死んでいった者の無念さは一体どこへ行けば良いのだろう。







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