金融ロシアンルーレット By PAUL KRUGMAN 2008.9.14
アメリカの金融システムは今日、あるいはここ数日で崩壊してしまうのだろうか? 僕はそうは思わない、ただ確信を持ってはそういえない。リーマンブラザース、主要投資銀行のひとつが、あきらかに破産しようとしている。次に何が起きるかは、だれにもわからない。
この問題を理解するためには、古いタイプの銀行、お店が大きな大理石のビルにあって、預金を受け入れ、長期の顧客に資金を貸し出すような銀行は、ほとんどなくなってしまったことを知る必要がある。それは一般に「影の銀行システム」というものに置き換わっている。預金をする銀行、大理石のビルで働いているようなやつは、預金者から貸出者への資金のチャネルとしては、いまや大した役割を果たしていない。金融ビジネスのほとんどは、「預金を扱わない」金融機関がアレンジする、複雑なとりひきを通じて行われているのだ。そういった金融機関が、今は亡きベアー・スターンズやリーマンというわけだ。
新しいシステムは、リスクを拡散したり減らすのが上手いと考えられていた。ただ住宅バブルやその結果の金融危機をみてみると、リスクは減ったというよりは、隠されていたと見るほうがよさそうだ。あまりに多くの投資家は、どれほどリスクに無防備かわかってなかったというわけだ。
知られざる未知が、知られる未知になり、金融システムは、現代の銀行取付け騒ぎを経験することになった。これは一見すると、昔起こったこととは異なっているようだ。固く閉じられた銀行の扉の前に殺到する、錯乱した預金者の嘆きについては、ほとんど例外なくふれられていない。その代わりに、金融機関が融資限度額を引き上げたり、契約相手のリスクを手仕舞いしようとするときに、狂ったように電話をしたりマウスをクリックするのが話題になっている。ただし信用が収縮し、資産価格がダウンスパイラルにおちいるような経済的な影響は、1930年代の大銀行への取付け騒ぎと同じだ。
つまりこういうことだ。当局は取付け騒ぎの再来を防ごうと準備をした。主に預金を扱うような金融機関で、連邦銀行の信用枠にかかわるようなところ、つまり現在の危機の中心ではない大理石のビルにいるようなやつらを守ろうとしたわけだ。これが、2008年にも、1931年の再来が起きる可能性を現実のものとした。
現在、政策担当者はリスクに気づいている。世界を救う責任がある以前に、ベン・バーナンキは大恐慌での経済について最もよく知っている専門家の一人だ。だから昨年は、連邦銀行と財務省は協調して、一連の臨機応変な救済策を講じてきた。発音もできないような頭文字の特別な信用枠が、預金を扱わない金融機関でも利用できるようになっている。連邦銀行と財務省は、ベアー・スターンズの取引先を保護するための取引がまとまるように取り計らった。取引先とは、株主のことではなくて、取引の相手方という意味だが。そして先週財務省は、政府が出資している巨大な不動産融資会社であるファニー・メイとフレディー・マックを配下におさめた。
しかしこういった救済策は、当局を神経質にさせている。ひとつには、税金で大きなリスクをとっているからだ。たとえば、今日連邦銀行のポートフォリオの大部分は、担保が不完全な債務に塩漬けになっている。また当局は、こういった救済策が将来、よりリスク指向的な行動をとらせることにつながらないかも心配している。つまり、コインの表がでれば自分の勝ち、裏がでれば税金で埋め合わせればいいといったような風潮を生むのを心配してるわけだ。
リーマンの話をしよう。多くの不動産関連の損失を抱えて、信用危機に直面している。多くの金融機関同様に、リーマンも巨大なバランスシートをかかえ、巨大な資産と、その反対側に巨大な負債がある。この巨大なバランスシートをすぐに清算しようとすると、金融システムをパニックにおちいらせてしまう。これが政府当局とプライベートバンクがニューヨーク連銀に集まって、週末を費やして、リーマンを救うか、少なくとも破滅をゆっくりにする取り組みをしている理由だ。
財務省長官のヘンリー・ポールソンは、断固として、より税金を投入するような取り組みはしなかった。多くの人は、はったりをかましているだけと思っていたのだが。僕は今日のコラムをもうすこしで「リーマンが危ないなら、助けるしかない」とはじめるところだった。(訳注:実際の意味は複雑で、When life hands you lemons, make lemonade. にかけて When life hands you Lehman, make Lehman aid. と書いてる。レモンしかないなら、レモネードを作るしかない、つまり事態が悪いときには、その中でできるだけのことをするという意味)。しかし実際には、助けはなかったし、あきらかに取り組みもない。ポールソンは、金融システムがリーマンの破産のショックを乗り越えられるほうにかけたわけだ。金融システムが特別な信用枠で強化されることは、言うまでもないが。ポールソンが勇敢なのか、バカなのかは、すぐに分かることだろう。
今回の騒動への本当の答えは、もちろん、こんなことになる前に予防的な措置をとらなければならないということだ。明らかに規制する必要のある影の銀行システムを放置しておいて(つまり銀行のように救う必要のある機関なら、銀行のように規制しなければいけないはずだ)、なぜ今回のようなショックに、なにも準備をしていなかったのだろう? ベアー・スターンズが破産したとき、多くの人は破綻した投資銀行の「整然とした清算」のメカニズムの必要性について主張した。そう、六ヶ月前にだ。メカニズムはどこにいったんだ?
だから事ここに至って、ポールソンはアメリカ金融システムで、ロシアンルーレットをやってみるのが一番いい方法だって思ったんだろう、うわぁー。
アメリカの金融システムは今日、あるいはここ数日で崩壊してしまうのだろうか? 僕はそうは思わない、ただ確信を持ってはそういえない。リーマンブラザース、主要投資銀行のひとつが、あきらかに破産しようとしている。次に何が起きるかは、だれにもわからない。
この問題を理解するためには、古いタイプの銀行、お店が大きな大理石のビルにあって、預金を受け入れ、長期の顧客に資金を貸し出すような銀行は、ほとんどなくなってしまったことを知る必要がある。それは一般に「影の銀行システム」というものに置き換わっている。預金をする銀行、大理石のビルで働いているようなやつは、預金者から貸出者への資金のチャネルとしては、いまや大した役割を果たしていない。金融ビジネスのほとんどは、「預金を扱わない」金融機関がアレンジする、複雑なとりひきを通じて行われているのだ。そういった金融機関が、今は亡きベアー・スターンズやリーマンというわけだ。
新しいシステムは、リスクを拡散したり減らすのが上手いと考えられていた。ただ住宅バブルやその結果の金融危機をみてみると、リスクは減ったというよりは、隠されていたと見るほうがよさそうだ。あまりに多くの投資家は、どれほどリスクに無防備かわかってなかったというわけだ。
知られざる未知が、知られる未知になり、金融システムは、現代の銀行取付け騒ぎを経験することになった。これは一見すると、昔起こったこととは異なっているようだ。固く閉じられた銀行の扉の前に殺到する、錯乱した預金者の嘆きについては、ほとんど例外なくふれられていない。その代わりに、金融機関が融資限度額を引き上げたり、契約相手のリスクを手仕舞いしようとするときに、狂ったように電話をしたりマウスをクリックするのが話題になっている。ただし信用が収縮し、資産価格がダウンスパイラルにおちいるような経済的な影響は、1930年代の大銀行への取付け騒ぎと同じだ。
つまりこういうことだ。当局は取付け騒ぎの再来を防ごうと準備をした。主に預金を扱うような金融機関で、連邦銀行の信用枠にかかわるようなところ、つまり現在の危機の中心ではない大理石のビルにいるようなやつらを守ろうとしたわけだ。これが、2008年にも、1931年の再来が起きる可能性を現実のものとした。
現在、政策担当者はリスクに気づいている。世界を救う責任がある以前に、ベン・バーナンキは大恐慌での経済について最もよく知っている専門家の一人だ。だから昨年は、連邦銀行と財務省は協調して、一連の臨機応変な救済策を講じてきた。発音もできないような頭文字の特別な信用枠が、預金を扱わない金融機関でも利用できるようになっている。連邦銀行と財務省は、ベアー・スターンズの取引先を保護するための取引がまとまるように取り計らった。取引先とは、株主のことではなくて、取引の相手方という意味だが。そして先週財務省は、政府が出資している巨大な不動産融資会社であるファニー・メイとフレディー・マックを配下におさめた。
しかしこういった救済策は、当局を神経質にさせている。ひとつには、税金で大きなリスクをとっているからだ。たとえば、今日連邦銀行のポートフォリオの大部分は、担保が不完全な債務に塩漬けになっている。また当局は、こういった救済策が将来、よりリスク指向的な行動をとらせることにつながらないかも心配している。つまり、コインの表がでれば自分の勝ち、裏がでれば税金で埋め合わせればいいといったような風潮を生むのを心配してるわけだ。
リーマンの話をしよう。多くの不動産関連の損失を抱えて、信用危機に直面している。多くの金融機関同様に、リーマンも巨大なバランスシートをかかえ、巨大な資産と、その反対側に巨大な負債がある。この巨大なバランスシートをすぐに清算しようとすると、金融システムをパニックにおちいらせてしまう。これが政府当局とプライベートバンクがニューヨーク連銀に集まって、週末を費やして、リーマンを救うか、少なくとも破滅をゆっくりにする取り組みをしている理由だ。
財務省長官のヘンリー・ポールソンは、断固として、より税金を投入するような取り組みはしなかった。多くの人は、はったりをかましているだけと思っていたのだが。僕は今日のコラムをもうすこしで「リーマンが危ないなら、助けるしかない」とはじめるところだった。(訳注:実際の意味は複雑で、When life hands you lemons, make lemonade. にかけて When life hands you Lehman, make Lehman aid. と書いてる。レモンしかないなら、レモネードを作るしかない、つまり事態が悪いときには、その中でできるだけのことをするという意味)。しかし実際には、助けはなかったし、あきらかに取り組みもない。ポールソンは、金融システムがリーマンの破産のショックを乗り越えられるほうにかけたわけだ。金融システムが特別な信用枠で強化されることは、言うまでもないが。ポールソンが勇敢なのか、バカなのかは、すぐに分かることだろう。
今回の騒動への本当の答えは、もちろん、こんなことになる前に予防的な措置をとらなければならないということだ。明らかに規制する必要のある影の銀行システムを放置しておいて(つまり銀行のように救う必要のある機関なら、銀行のように規制しなければいけないはずだ)、なぜ今回のようなショックに、なにも準備をしていなかったのだろう? ベアー・スターンズが破産したとき、多くの人は破綻した投資銀行の「整然とした清算」のメカニズムの必要性について主張した。そう、六ヶ月前にだ。メカニズムはどこにいったんだ?
だから事ここに至って、ポールソンはアメリカ金融システムで、ロシアンルーレットをやってみるのが一番いい方法だって思ったんだろう、うわぁー。










