朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き連ねるのみ。

リバタリアニズム入門

2012年05月31日 10時10分55秒 | 社会
「自由はどこまで可能か」(森村進)読了。



「リバタリアニズム入門」という副題がついている。

最初に「リバタリアニズム」を
「個人的自由」「経済的自由」をそれぞれどのように尊重するか、という
座標軸に位置付ける。
その中で「リベラル」「保守派」「権威主義」との相違を示している。
これはざっくりした位置付けだと思うが、全体像を把握する上では有効。
本来「リベラル」というのが「リバタリアニズム」とイコールなのだろうが、
「リベラル」という言葉に手垢が付いている、という問題意識があるのだろう。

また、現在の様々な主張(橋下、慎太郎、TPOへの賛否、等)が
現状をどのように捉え、どのような社会を目指そうとしているのか、を理解する上で、
2種類の自由を尊重する/しないの組み合わせは
一つの視点になるだろう、と感じた。

その後、各章で「どのような権利を認めるか」及び
国家・制度・社会といった面での多くのリバタリアンの考え方、
一部は筆者の意見を紹介していく。

筆者の紹介する「リバタリアニズム」の自由や個人の選択重視・
国家機能を極小化する主張は、極論と言えば極論かも知れないが、
全体としては、あまり違和感を持たなかった。
特に「日の丸・君が代」を強制して「国民」意識を持たせつつ、
「自己責任」を強調して国による保障を切り捨てていく流れに比べれば、
遥かに首尾一貫していると思う。
# 「リバタリアニズム」の中でも、
 国家の代わりに家庭や社会が強制力を発揮し、
 個人の抑圧を肯定する主張もあるのだろうが。

ただ、現実に可能か、それは良い状況か、というと疑問はある。
煎じ詰めれば、それは個人が本当に「正しい」選択をできるのか、
という感覚かも知れない。
リバタリアニズムの発想では「正しい」選択、なんてものはなく、
各個人が刹那刹那で良いと考える選択が正しい選択である、ということかも知れないが、
将来の自己の権利や自由を侵害するような選択を
ある時点でしてしまう、というのは普通にある話。
それを「自己責任」と言ってしまうのは可能だと思うが、
果たして人間はそれに耐えられるほど強い存在なのかな、と感じる。
また、様々な資源(情報・金・時間など)が限られた中で
「自由に選択したから」とその結果責任を本人に負わせるのが、
果たして妥当であり、納得を得られるものなのかどうか。

もう一つは、複数の制度が存在する状況で、
「リバタリアニズム」は競争優位な思想かどうか、ということ。
因襲に捉われ、発展の足枷がある際にそれを外す時、
いきなり「自由」というのは弱い道具ではないだろうか。
また、既に発展している地域から、「自由」によって解放された地域に
安い製品が流入し、その地域の経済を破壊し、
「契約自由」の名において不利な契約を結ばされる事態が発生し得るだろう。
それは結局、ある押し込められた範囲の中での自由であり、
押し込める側の利得のために「自由」が利用されている、ということではないか?

様々な疑問はあるのだが、
少なくとも現在の日本で、様々な制度や価値観を見直す上で、
そしてこの主張がまず弱者を「自己責任」の名において抹殺するために
利用する人々の道具に堕さないように監視しておけば、
有効な「アンチテーゼ」ではなかろうか、と感じる。
# 筆者が「生存権実現の責務を国家に負わせる」のは、
 若干、「リバタリアン」の主張としては違和感がある。
 何が生存権か、の決定を国家が担うことに対する危惧。

この本は、約10年前に書かれた本ではあるが、
巻末の参考文献も充実しており、
「リバタリアニズム」の全体像や価値観を把握する上で良い手引書かな、と思う。
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「内部告発と公益通報」書感

2012年03月15日 17時13分56秒 | 社会
「内部告発と公益通報」(櫻井稔)読了。
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「公益通報者保護法」なる法律が2006年に施行されているのだが、
その内容について全く知らなかったので読んでみた。

「内部告発」を巡る論点が簡潔に分かりやすく整理されている。
また、それを踏まえての法の目的、内容についてもよくまとまっており、
説明の順序が良く、論理展開も明快で分かりやすい。
就業規則違反との衝突が問題になる「内部告発」について
どのような場合に懲戒解雇・不利益取扱が無効とされるか指摘されており、
人事の実務としても役立つと感じた。

筆者は元々労働基準監督官であり、
その後人事コンサルタントをやっている、とのこと。

説明の順序として、まず「内部告発」と「密告」、
「公益通報」の相違を描く。
その後具体的な内部告発事件を紹介し、
内部告発を巡る論点を横断的に整理する。
それを背景として、「公益通報者保護法」の内容を説明し、
その法に対する批判を紹介、筆者の意見を書く。
最後の章では少し趣きを変え、
「現実に守ることができない」日本の法律の現状を描き、
それがコンプライアンスを守る妨げとなるのでは、と問題提起して
採るべき対策を提案する。

全体を通してポイントとなるのは、
「公益通報者保護法」は、
今まで「内部告発」とされてきたケースについて
典型的なものを「公益通報」として明確に成文法化したものであり、
反対解釈としてここに記載されていない類型の「内部告発」を
抑制する目的ではない、ということと、
この法の趣旨が内部に組織体を設け、
システム・風土を改善して内部での解決を目指しなさいよ、と
言っていることだと思う。

最後の章はタイトルの「内部告発と公益通報」とは異なる内容ではあるが、
書かれていることそのものは妥当と思う。
ただ、「法があるべき姿を描いたもの」であり、
ある種「現実には実現しないもの」という思考習慣を変えるのは
かなり困難だろう、とも感じた。

最後の章については分量・内容とも若干不足感があるにしても、
「内部告発」を巡る全体的な枠組の理解は
この本で必要十分かと思う。
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行く年、2011年(社会)

2011年12月31日 11時50分28秒 | 社会
「今日こそは大晦日」(「掛け取り」より)。

一番大きかったのは何といっても「東日本大震災」だろう。
震災による甚大な被害、
そしてそれを覆い隠してしまった原発事故と放射能「汚染」、風評被害。
原発事故がなければ、
東北・関東の地震・津波そのものによる被害に対する手ももっと打たれ、
もっと早く復旧・復興への道筋が付けられたろうに。
その意味でも原発事故・東電、
内部統制の不備を認めてきた政府・マスコミの責任は重い。
そしてその電力を享受し、
政府やマスコミの原発推進を黙認し、現地の声を無視してきた
私たちの責任も。

政治では、民主党の迷走っぷりが取り上げられたが、
個人的には外部環境が変わる中で自民党でも対応できたとは思えん。
そのあたり、二大政党制でどちらに投票しても変わらんだろう、と思う人が、
「無投票」という選択をしたり、
「橋下新党」に期待を抱いたりする。
「正+反→合」で積み上げていくのではなく、
全部壊し、そこから作っていく姿勢を「改革」と思って魅かれる。
「リセット世代」云々言われているが、
別に若い世代だけではない。
ただ、求める変化スピードに現実の変化が付いていかないから、
不足感を持って危険な方向に魅かれてしまうのだろう。
「変われば良い」と思うのは未熟であり、非常に危険であるのだが、
「どのように一歩一歩変えていくか」処方箋・シナリオを誰も書かない、
あるいは書かれたシナリオを読ませてくれる人が少ないので、
「結局変える気はないのではないか?」と不信感を持ち、
「変える」と叫ぶ煽動家に付いていってしまう。

2012年が、どのような年になるのか。
消費税増税を巡って民主党は「一部離党」のみならず
「分裂」含みで年を越す。
では自民党は「消費税増税反対」で結束するのか、「増税賛成」で結束するのか。
あるいは自民党も分裂して
「消費税増税賛成党」と「消費税増税反対党」がそれぞれ結成されるのか。
このあたり、大きく変化していく年になりそうな気はする。
逆に、ここで変化せずにダラダラ続くと、
今度はポピュリスティックな政党支持の噴出に向かって、
マグマが加速度的に溜まっていくことになるだろう。
いずれにせよ、状況は要注視、だろうな。
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共犯関係

2011年04月16日 18時38分04秒 | 社会
新聞でピーター・バラカンが触れていたこともあり、
The Timersの「Love Me Tender」を聞いてみた。



広告料をもらっている電力会社の走狗にとっては、
以前も今も放送しづらい歌だな。

ただ、歌詞を額面どおり受け取って済ませる訳にもいかない。

事故前も事故後も、情報を伝えられていなかった。
騙されていた。
東電は隠蔽体質だ。
東電が悪い、政府が悪い、
俺たちは被害者だ。
加害者を非難するぞ。

そう声高に叫び続ければ、癒されるだろう。
しかし、本当にそれで済ませることは正しいのか?
俺たちに罪はないのか?

原発が危険なことくらい、
少し考えて、調べたら分かること。
それを見ず、考えず、調べてこなかった。
見たくないものを見ず、見て考えることを忌避する姿勢が、
原発が危険だと語る声を抑え、黙らせてきたのではないのか?
それが今では「隠蔽」と呼ばれる、
都合の悪い情報が晒されない「楽な」状態につながったのではないか?

目を瞑って見えないのは当然だ。

慎太郎は己の「我欲」を棚に上げて語る、指弾すべき老醜。
だが、都会の「我欲」が原発立地の頬を札びらで張り、
微妙なバランスで発電された電気をジャブジャブ使って、
その姿勢を省みないことは反省する必要があるだろう。
(原発立地が、張られた札びらで今まで潤ってきた事実も無視するものではないが)

この構造の中で作られた原発を黙認し、電力を享受してきた以上、
東電、政府が加害者だ、
自分たちは関係ない、という言説は無責任。
共犯者である、と認識する必要があると感じる。

【おまけ】

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語りえぬものなれど

2011年03月12日 15時52分34秒 | 社会
私は愚かだから、
他人の不幸を見なければ自分の幸福を認知できない。
他人の飢えを見なければ自分の満腹を有難く思えない。
他人の死を見なければ自分の生を意識できない。

都会にごくありふれた電気、ガス、水。
それとて自然の余禄。
自然がそれを奪い返すにつき、
抗うことなどできやしない。
自然に生かされている、生かしてもらっている。
殺されるのも仕方がない。
自然を相手に戦って、勝てるはずがない。
「お天気は何億年も前から、ずっとお天気をやっている」(by 枝雀)。

生かしてもらっているだけで幸福。
今出来るのは、私のこの幸福を少しでも分かち合うことのみ。

亡くなった方の冥福を祈り、合掌。
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全部、阿呆

2011年03月09日 07時26分18秒 | 社会
asahi_com(朝日新聞社):試験場に漢字の答え 椅子「投」げるな 広島の高校入試 - 社会

>県教委は、8校の受験生1255人について、この問題を正解にすることにした。

何か、体から力が抜けるようなバカバカしい話。
その後、何とも言えない情けなさを感じてしまった。

まず、椅子に「投げるな」って書いてあることが情けない。
当たり前やん、で効かないのか。
「投げるな」と書いていないから投げた、
問題が起こったのは「投げるな」と書いていないせいだ、
責任者出て来い!
とでも言われるのが恐いのか?

次に、問題の内容について。
最初ニュースの概要を見たとき、
高校入試で「投」の書き取りを出題することに唖然とした。
ただ問題としては、「投」の字を書けるか、ではなく、
文章の中で「投」を使えば良いと理解しているかを
試験する問題なのだろう、と思い直した。
だとすると、別に「投」が見えたところで問題はないと思う。
そのあたりを考慮せず、「投」が見えた、不公平になるかも知れない、
だから公平になるように全員に点を与える、という発想は、
公平なようではあるが、単に不真面目なのではないか?

個人的には、字が分からなかった受験生が、
そこで椅子の後ろに書かれた「投」に気付いて答えられたのだとしたら、
そんな余裕のある受験生は能力があり、合格させても良いのでは、と感じる。

そして、この話を受けて、来年どうするんだ?と心配になる。
椅子のラベルを一つ一つ剥がすのか?
窓の外に見える看板で字が分かるかも知れないから、
店にお願いして看板を外してもらうのか?
服のワンポイントで綴りが分かるかも知れないから、
そんなシャツを着ることは禁止するのか?
バカバカしいし、そのコストは誰が見るんだ?
自分には(一見)コストがかからないから、
言いたい放題言っているように見える。

何だろう、抗議した人間、抗議する人間、
その抗議を受けて対応する人間など全てが、
目的やその仕事の意義を念頭におかず、
目の前のことしか考えず、行動の影響を想像していない、
または自分に影響ないから無視する、てな思考(というか感情)で
事態を進めているような気がする。

阿呆だ。

# まあ、この記事を元にいろいろ書いている私もバカなんだろうけどね。
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「行動経済学」書感

2010年11月03日 07時37分12秒 | 社会
「行動経済学」(友野典男)読了。
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現在のメインの経済学は、論理的に説明できる部分に範囲を限定し、
数式でガチガチに理論武装し、科学でございと言っているように感じる。

「経済人」の措定も、その一環だろう。
現実には存在しないが、そのような人物像を設定した上で、
論理的に「このようになるはずだ」と結論を導き出す。
このような営みは、複雑な社会関係を抽象化し、
仮説やモデルを作る上では有意義だと思うのだが、
若干独り歩きしている感じもする。
あくまでも前提を設けた仮説であるはずが、
現実がその通りにいかないことを見て
「現実がおかしい」と言ったり、
あるいは「予想が当たらない、経済学は役に立たない」と一足飛びに言われたりする。

「行動経済学」は、このような現在の経済学に対するアンチテーゼなのだと思う。
「人間は経済人ではない」や「選好が固定的でない」点など、
自然と言えば自然だが、
現在の経済学が理論としての純度を高めるために捨象してきた点を拾っているようだ。

若干、「言ったもの勝ち」感はある。
調査結果から「こう考えられる」と説を挙げているようなのだが、
他の結論にも到達できるだろうし、
その説が誤っているか、検証できないケースも多いように見える。
反証可能性がない、だから科学ではない、と言うこともできそう。
もっとも、「科学」に拘って現実から遊離し
理論ゲームに堕している現在の経済学に対するアンチテーゼなのだから、
気にしなくても良い部分かも知れない。

この本は、論点が列挙されており、良いカタログだと思う。
「進化」に対する考え方など、
内容については首を傾げる点が何点かあるのだが、
「行動経済学」が既存の経済学のどのポイントにツッコミを入れているかは把握できる。
各論点の詳細は、ここで紹介されている本を読んだ方が良いだろう。
まあ、新書としての役割は果たしてしていると思う。
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「まぐれ」書感

2010年10月23日 08時32分18秒 | 社会
「まぐれ〜投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」(タレブ)読了。
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トレーダーとしての経験、見聞きしたところから
「儲けたのは実力、損したのは不運」と考える人間(トレーダー)の傾向を描く。
儲けたのも運であり、今後も儲け続けるとは限らない、と言い、
確率の適用方法などの誤り(あるいは嘘)を綴っていく。

原文が「話し言葉」を意識した独特の文体らしく、
翻訳もそれを生かそうとしているようだ。
トレーダーの日常生活など、話が少し回りくどい、と感じるところもあるが、
確かに語り口調っぽい。

読みづらいところ、言葉の意味がよく分からないところもあるが、
まあ楽しく読めるし、いろいろ考えさせられる本。

読んで感じたのは、人間は「期待値」で考える力が弱いのだな、ということ。
例えば、99%の確率で1万円得をして、残り1%で百万円損をするとすると、
期待値としては「−100円」になる。
計算問題として出題されると、おそらく解ける。
しかし現実には、ずっと1万円得し続けると
「これは損をしない取引だ」と帰納的に考えてしまう。
様々なバブルの崩壊は、
このような人間の思い込みが一つの原因になっているのだろう。

また、トレーディングの世界で他のトレーダーと競争している前提では、
他のトレーダーよりも儲けを大きくするため、
失敗した場合の損失を大きくする傾向が強くなるらしい。
先ほどの例との比較で考えると、
99%の確率で100万円得をして、残り1%で1億損をする方が、
客としては「100万円得をする方が、1万円得するより良い」と考えて
飛び付いてくるということなのだろう。
期待値としては−1万円になっているし、
損した場合の被害額は甚大なものになっているのだけど。

このように考えがちな人間の脳の構造などについても、少し触れている。
このあたりは、並行して読んでいる「行動経済学」が役に立った。

結論としては、
「帰納的に考えてリスクを切り捨てたり、勝手に因果関係を見出したりしがちな傾向に注意せよ」
というところか。
全てが分かってから行動する訳にはいかないので、このような思考は生きていく上で必要だが、
様々な失敗を招く原因でもある。
このあたりに目を向け、「分からないまま行動している」と謙虚に捉えるべきなのだろう。

あと、「論文ではないので、信憑性を上げるための参考文献などない」と
(若干露悪的に)言いつつ挙げられている参考文献が、
けっこう詳細で良い。
この中から、また何か読んでいこうかな。
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事前予防か?事後対応か?

2010年08月04日 10時43分01秒 | 社会
高齢者不明:全国で100歳以上の男女18人 所在不明に - 毎日jp(毎日新聞)

こんなもの、今に始まった話ではないと思う。
偶々取り上げられる機会があったから、芋づる式に出てきたのだろう。
# 18人って、年間3万人自殺する国で何を言っているんだか、とも思う。
 見えやすいところに飛び付いているなあ。

「虐待」といった話はもちろん別に考えるべきだと思うが、
それ以外の点で、何を騒いでいるのか、と個人的には感じる。
問題や虚偽報告があれば、
「返還させる」とか、
届出義務違反や国民年金の不正受給を処罰する、といった形で
事後に対応すればいいんじゃないの、と思う。

それを政府や地方自治体が職員を増やして、
家庭に立ち入って調査し、事前に防止する、とか、
「○○さん生きていますか?生きていたら顔を見せて下さい」なんて
訪問して歩くのは行き過ぎでお節介だし、
税金の使い道として不適切だと感じる。
大して不正のケースが多いわけでもないだろうし。

何でも「事前」に手を打って、
問題がそもそも起きなければ良い、というのは
幼稚に過ぎる気がする。
「取り返しが付かない」ことや、
「事前に手を打った方がコストがかからない」こと以外は、
事前予防ではなく、事後対応が良いと思う。
(「取り返しが付かない」ことだって、必ずしも事前予防が良いとは限らない。
 寿命が縮むと分かった上でもタバコ吸いたい人は、吸ってもいいじゃない。)

「自由」というのは、そういうものではないのか?
今回のケースは、事前に手を打つ方がコストがかかるだろうし、
別に「取り返しが付かない」ことだとも私には思えないのだが。

少し別の話。
個人的には、長生きした人を国や地方自治体が大々的に祝うのにも違和感がある。
長生きする/しないは、基本、個人のしかも偶然の問題であり、
それを公的に税金を使って祝う筋合いでもない気がする。
私自身「おめでとう」とは言うし、祝うけど、
それは私が「めでたい」と思ったから祝うだけのことであり、
別に「お上」が「めでたい」ことだと表彰し、権威付けしたからではない。
祝意まで規定されたくないし。

まあ、実際には、祝う対象は長生きした人でなく、
その周囲で支えた人や医療機関、地域や国を
「よく頑張ったね」「日本も長生きできる良い国だね」と
自ら褒め、慰めるだけのことであり、
真ん中で寝たきりの人は
そのダシに使われている被害者かも知れないが。
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名古屋場所

2010年07月24日 07時21分27秒 | 社会
バレ太鼓を打つ櫓

水曜、初めて相撲を見に行ってきた。
せっかく話題になっているので。

青春18で大阪から移動。
人身事故の影響か、2時間くらい遅れていた。
米原までにさらに10分遅れ、
大垣行きの乗り継ぎに20分くらい待たされる。
結局着いたのは15時前。

1人用の桟敷を取っていた。
後ろの方ではあるが会場そのものがあまり広くなく、
まあまあ見えた。
足を伸ばして見れたのが有難かった。
7000円以上するのは少し高いかなあ。

着いたときは幕下上位くらいの取組であり、まだガラガラ。
【全体の光景】
東〜向正面 向正面〜西
最終的にも、4人用の桟敷はけっこう空いていた。
後ろ2列分はほぼ空いている感じ。
2人用桟敷や椅子席は比較的埋まっていたので、
「4人セットで売る」のが今日日のスタイルでないのかも知れない。

取組を見て知ったこと、感じたこと。
・幕下と十両以上では取扱の違いが大きい。
 例えば幕下では塩を撒かないし、体を拭きにも行かない。(力水は付けていたかな?)
 当然、1番当たりの時間もかなり違う。
・ご当地力士への声援が大きい。
 近くの人が見に来る、ということか。
 琴光喜にかかる声援も凄かったんだろうなあ。
・正面からぶつかり合う相撲が多く、良かった。
 幕内上位ほど「変化」で済ませる相撲が多かったように思う。残念。
・小さな力士が大きな力士を倒す方が面白いし、
 歓声・拍手も大きい。
・懸賞が少ない分、懸かっている時のどよめき、拍手が大きい。
 (鶴竜−豊真将が、懸賞が懸かった最初の取組だった)
 広告料いくらなんだろう。懸賞は1本6万、というけど。
 取組表にも載るし、場内アナウンスでも流れるので
 6万ならば安いと思う。
 マクドナルドは結びの一番に5,6本付けていたが、
 商品やキャッチコピーが繰り返されて、それはそれで面白かった。
・魁皇がこの日から休場。見られなくて残念。
・白鵬は、上手い、と感じた。
 いつの間にか巻き替えて投げていた。
 あまり力強さは感じないが、確かに負けない横綱だな。

取組が少ないので早く終わるか、と思ったが、結局18時前までかかった。
今回との比較も兼ねて、また見に行こうかな。

【おまけ:体育館に掲示されていた標語】
防ごう犯罪と非行 助けよう立ち直り
今の相撲協会に合っているような、合っていないような。
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