パンダの虎たけなわの頃、nipparatさんとちょっと囲碁ソフトに関して議論した。
しかし私がnipparatさんの
「医療倫理に医者は日々悩んで働いているのに、プログラマーはソフトの進歩によって楽しみが奪われる(?)かもしれない人がいることも知らず、ただひたすらソフトの能力向上にいそしんでいる」
という怒り(?)を共有できず、あまり議論は噛み合わなかった。
私自身は倫理に、日々悩んだりしない人間であるし…。
ただその一方で、この囲碁ソフトがいつか人間を越えるかもしれないという命題に対し、自分がどう思っているのか表現が上手くできなかった、もどかしさがあった。
そんな中この議論の影響かは知らないが、19!さんが見事に私の考えとほぼ一致する意見をまとめてくださった。
そうそう、こういうことが言いたかったんですよ。
多分。
双方にトラックバックを飛ばして、結んでみることにしよう。
意味あることなのかどうかは、分からないけれど。
nipparatさんと19!さんが、幸せな邂逅をするよう願いつつ…。
追記オマケ:
ソフトが優勝してしまった9路盤大会の話。
関連があるかわからないが、面白い囲碁ロボットと人との話(?)だったので。
しかし私がnipparatさんの
「医療倫理に医者は日々悩んで働いているのに、プログラマーはソフトの進歩によって楽しみが奪われる(?)かもしれない人がいることも知らず、ただひたすらソフトの能力向上にいそしんでいる」
という怒り(?)を共有できず、あまり議論は噛み合わなかった。
私自身は倫理に、日々悩んだりしない人間であるし…。

ただその一方で、この囲碁ソフトがいつか人間を越えるかもしれないという命題に対し、自分がどう思っているのか表現が上手くできなかった、もどかしさがあった。
そんな中この議論の影響かは知らないが、19!さんが見事に私の考えとほぼ一致する意見をまとめてくださった。
そうそう、こういうことが言いたかったんですよ。
多分。
双方にトラックバックを飛ばして、結んでみることにしよう。
意味あることなのかどうかは、分からないけれど。
nipparatさんと19!さんが、幸せな邂逅をするよう願いつつ…。

追記オマケ:
ソフトが優勝してしまった9路盤大会の話。
関連があるかわからないが、面白い囲碁ロボットと人との話(?)だったので。











例のブログ拝見しました。言われていることはよく理解できますよ。もしこの方が、「人間の科学技術の進歩を止めることはできないので、そのすべてを受け入れるべきである」という考え方であるとすれば、全く噛み合わないと思います。おそらくそうではないと思いますが。
「囲碁のPCが人間の最高峰を越えても、一人の強豪の出現であるし、囲碁技術の進歩に貢献するから良し」という考え方は私とは違います。理屈というより感覚的な考え方の違いだと思います。
私も含めて囲碁ファンの多くは、PCによっての囲碁理論や技術の発達も人間より強いPCの出現も望んでいないのです。
真理はいつまでもわからないままで良いし、それも魅力の一つだと感じているのです。最高峰のPCを作ろうとする方は、この辺りの人間の気持ちをよく検討した方が良いと思います。少なくとも、人工知能の研究発展のために囲碁をだしにするようなことは避けてほしいのです。
チェスの子供の話も私は逆に受け取ります。すでにチェスを趣味にしている大人は何とか理屈をつけて自分の心を納得させようとするが、無垢な子供は本能的に嫌な気持ちがしたのではないでしょうか?
「不老不死はなぜいけない?」と言っても最終的には理屈で説明できないのと同じです。
今回はちょっと過激になっちゃいました。
それと、怒りという感情は全くないですのでご心配なく。
今回の囲碁プログラムの記事は全く独立して書いたものです。nipparatさんのブログは本日初めて閲覧しました。
私が当該記事で言いたかったのは一つだけです。
1 コンピュータが、あるボードゲームの人間名人に勝利した。
2 コンピュータが、あるボードゲームの必勝法を解析した。
1と2のニュースは本質の違う事柄である、ということ。これについて、賛成・反対の感想を持ってもらえるなら、とても良い気分です。
nipparatさんのブログでのご意見、こちらへのコメントは全て読みましたが、十分理解できましたので質問はありません。
このコメントを読む前に、nipparatさんの記事を先に読んだので、どうなることかとちょっと心配していました。
お二人とも理性的ですから、キチンと双方が相互認識されたようでホッとしています。
同時に私だけ混乱していて、ちょっと置いてけぼりの気分(笑)。
どうしてもnipparatさんの
「囲碁ソフトの発展を止めるべきだ」
という感覚が共有できないのです。
いずれは抜かれる(ただし囲碁は死ぬまで大丈夫そう?)ものを、
「止めさせる」
という形で止める意義が、ピンとこない。
こう書くとnipparatさんを本格的に不快にさせてしまうかもしれませんが、
「たかが」囲碁という一ゲームに、「研究を止める」という非建設的(?)方向でアプローチすることに違和感を感じるのです。
この感じ方の違いが、私の一方的な
「噛み合わなかった」
という表現に繋がっているのかもしれません。
確かにちょっと「噛み合わなかった」という言葉は不適切ですが(笑)。
尚、オマケでも一つリンクを追加しました。
申し遅れました。
飛ばなかったのかぁ(涙)。