城郭探訪

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沓掛南砦 近江国(西浅井・沓掛)

2016年03月25日 | 

お城のデータ

所在地:長浜市西浅井町沓掛(旧西浅井郡西浅井町沓掛)

区 分:山城

築城期:室町期   

改築期:織豊期(天正11年期の賎ヶ合戦)

築城者:熊谷氏   

改築者:丹羽五郎左衛門尉長秀

城 主:熊谷下野守直房

陣 主:丹羽五郎左衛門尉秀長

標 高:176.5m 比高差:40m

遺 構:櫓台、堀切、土橋、

目標地:集福寺バス停

駐車場:集福寺バス停の横空き地

訪城日:2016.3.23

お城の概要

下沓掛バス停を過ぎた左手側に八幡神社が鎮座している。その一つ南東側の細尾根上が城跡。

獣除けの柵で、城山に入れない。集福寺若山城から大川沿いに登城、帰りの獣除けの柵、大川沿いを集福寺若山城へ

日計山の北東斜面の端部で南から北方向に伸びる細尾根上に約100mの細長い削平地が二段設けられている。

下段の先端は、南奥を片堀切とし、東側が土橋になっており、先端部は約30m四方の北面に櫓台を備えた独立性の強い郭となっている。

塩津海道の監視を意識した砦である。城域の南端は、日計山に向け斜度がきつくなる所で堀切を設け、遮断している。

獣除けの柵で、城山に入れない

お城の歴史

弘治元年(1555)の師走の12月26日には、塩津の熊谷平治郎は三千騎を率いて、疋田城を攻撃した」・・とあるように、熊谷氏が或る時期に隣国で隣接の越前の疋田氏と敵対関係にあった事。その事が塩津街道の周辺に構築された諸砦の存在と関連付けらる。

また、甫庵太閤記巻第六:丹羽五郎左衛門尉長秀志津嶽之城へ籠入事長秀其比は若州并江州之内志賀高嶋両郡を領し、坂本を居城とし有しにより、北国勢を押へん為、勢を分敦賀表に三千、塩津海津に七千賦り置、江北を静めける処に ・・・云々

塩津海津に七千騎もの、雑兵を入れるのは、塩津街道(塩津浜~沓掛)沿いには、この砦しか無い!

 

集福寺若山城から大川沿いに沓掛南砦へ

上の城域

国道8号線へ

帰りの獣除けの柵、大川沿いを集福寺若山城へ

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査 

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