境内の説明板に・・・抜粋
古墳・城跡
神社の北側の小丘は古墳時代(7世紀)の円墳(遺跡名唐崎神社古墳)と言われている。
村の人からは庚申塚と呼ばれてきたところである。又、この附近は、北と南に御禊川、殿田川の小川があり、
東は湖水に接し、西は沼田に接する要害の地で、安土桃山時代に「知内城」(知内浜城)が築城され、
中世、戦国時代の城(砦)の特色である竹藪・堀・土塁のなごりが現存している。
川裾宮 唐崎神社
お城のデータ
別 名:知内城
所在地:高島市(旧高島郡)マキノ町知内 map:http://yahoo.jp/7jC1Jv
現 状:唐崎神社
遺 構:土塁・堀、説明板
区 分:平城
目標地:唐崎神社
訪城日:2014.6.28
お城の概要
知内浜城は、知内川と百瀬川に挟まれた三角州の地形に位置する、現在の唐崎神社付近にあったと推定されている。
県の調査によると、境内裏手に「海津城跡」の碑が建っていたとあるが、見つけることが出来ず。
遺構も目ぼしきものはなく、神社のぐるりを巡る馬具足川が不自然にL字型をなし、堀跡に思える。
歴 史
境内の説明板に
・・・抜粋
古墳・城跡
神社の北側の小丘は古墳時代(7世紀)の円墳(遺跡名唐崎神社古墳)と言われている。
村の人からは庚申塚と呼ばれてきたところである。又、この附近は、北と南に御禊川、殿田川の小川があり、
東は湖水に接し、西は沼田に接する要害の地で、安土桃山時代に「知内城」(知内浜城)が築城され、
中世、戦国時代の城(砦)の特色である竹藪・堀・土塁のなごりが現存している。
川裾宮 唐崎神社
本能寺の変後の天正10年(1582)6月、近江高島郡は丹羽長秀に与えられた。翌年3月に賤ヶ岳の合戦が起こり、羽柴秀吉方の長秀は、柴田軍の南下を阻止するために知内浜城をはじめ、森西城・沢村城等を修築したと伝わる。
その時、知内浜城にいたのは丹羽長秀の家臣、村上義明であったという。
また、往時はマキノ町一帯がすべて海津村域であったようで、知内浜城と海津城が同一とも、現在の海津・西浜に所在したと伝わる諸城もすべて同一であったとも受け取る事ができ、詳細が判らない。
堀跡
現在は、唐崎神社となっていますが、境内を堀が巡っていますし、土塁も残っています。
城跡の名残として竹薮が存在していました。 受付のまえに約10台の無料駐車場あり
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城
本日も訪問、ありがとうございました。感謝!!