下之郷には「殿城」という字名が残っている。
所在地:犬上郡甲良町下之郷 map:http://yahoo.jp/dfSUKN
目 標:下ノ郷農業集会所
区 分:居館
現 状:宅地・空地・畑
遺 構:石材
築城期:戦国期
築城者:藤堂氏
城 主:藤堂氏
訪城日:2014.5.9
下之郷農事集会所の前の空地は、藤堂高虎の父・虎高が居住していたという。
近くには、藤堂高虎が出生したとされる在士館がある。
藤堂虎高
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
生誕 | 永正13年(1516年) |
死没 | 慶長4年10月18日(1599年12月5日) |
改名 | 源助(幼名)→虎高 |
別名 | 白雲斎(号) |
主君 | 武田信虎→京極高吉→浅井亮政→ 久政→長政 |
氏族 | 三井家→藤堂氏 |
父母 | 父:三井乗綱、養父:藤堂忠高 |
妻 | 正室:藤堂忠高の娘 側室:宮崎一郎左衛門の娘 |
子 | 娘(鈴木弥右衛門室)、高則、高虎、 娘(山岡直則室、後に渡辺守室)、 高清、正高、娘(藤堂高経室) |
藤堂 虎高(とうどう とらたか)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。近江犬上郡藤堂村の土豪。愛智氏を称したこともある。
生涯
近江鯰江城主三井乗綱の次男として生まれた。江戸時代に財を成し、豪商となる三井家と江戸時代の大名家である藤原姓毛利氏(鯰江氏)も同じく藤原姓三井氏の近縁であるとされる。
若くして近江を離れて甲斐の武田氏に仕え、才を寵愛され主君の武田信虎より「虎」の一字を賜るほどとなったが、(巷説では若い他国者の出世に対する同僚の嫉妬により)武田家を離れた。近江に帰国後、藤堂忠高の婿養子となる。
婿養子先の藤堂家は在地の有力土豪といえども、虎高の代には犬上郡数村を支配する程度に没落していた。はじめ京極氏、後に浅井氏に仕えた。長男高則は早くに戦没したが、次男の高虎が出世していく過程で、自然とその家中に編入された。家督を高虎に譲った後、故郷の白雲山を偲び白雲斎と号した。慶長4年(1599年)、高虎の領地である伊予宇和島城で死去。享年84。
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城
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