城郭探訪

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藤堂高虎・父「虎高」の居館 近江国(甲良)

2014年05月11日 | 居館

 下之郷には「殿城」という字名が残っている。

所在地:犬上郡甲良町下之郷 map:http://yahoo.jp/dfSUKN

目 標:下ノ郷農業集会所

区 分:居館

現 状:宅地・空地・畑

遺 構:石材

築城期:戦国期 

築城者:藤堂氏

城 主:藤堂氏

訪城日:2014.5.9

 

下之郷農事集会所の前の空地は、藤堂高虎の父・虎高が居住していたという。

近くには、藤堂高虎が出生したとされる在士館がある。

藤堂虎高

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
 
 
藤堂虎高(高虎の父)
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 永正13年(1516年)
死没 慶長4年10月18日(1599年12月5日)
改名 源助(幼名)→虎高
別名 白雲斎(号)
主君 武田信虎→京極高吉→浅井亮政→
久政→長政
氏族 三井家→藤堂氏
父母 父:三井乗綱、養父:藤堂忠高
正室:藤堂忠高の娘
側室:宮崎一郎左衛門の娘
娘(鈴木弥右衛門室)、高則、高虎
娘(山岡直則室、後に渡辺守室)、
高清、正高、娘(藤堂高経室)

藤堂 虎高(とうどう とらたか)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。近江犬上郡藤堂村の土豪。愛智氏を称したこともある。

生涯

 近江鯰江城主三井乗綱の次男として生まれた。江戸時代に財を成し、豪商となる三井家と江戸時代の大名家である藤原姓毛利氏(鯰江氏)も同じく藤原姓三井氏の近縁であるとされる。

若くして近江を離れて甲斐の武田氏に仕え、才を寵愛され主君の武田信虎より「虎」の一字を賜るほどとなったが、(巷説では若い他国者の出世に対する同僚の嫉妬により)武田家を離れた。近江に帰国後、藤堂忠高の婿養子となる。

婿養子先の藤堂家は在地の有力土豪といえども、虎高の代には犬上郡数村を支配する程度に没落していた。はじめ京極氏、後に浅井氏に仕えた。長男高則は早くに戦没したが、次男の高虎が出世していく過程で、自然とその家中に編入された。家督を高虎に譲った後、故郷の白雲山を偲び白雲斎と号した。慶長4年(1599年)、高虎の領地である伊予宇和島城で死去。享年84。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城

 

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