考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

生き残る学校

2005年04月30日 | 教育
 内田先生のブログに、少子化時代にいかに大学が生き残りをかけるかのお話があった。

 内田先生のお話は、爆笑しながら読むことが多い。今回は、まず「○クルート」。ここで爆笑した方はあまりいないかもしれないけど、笑ってしまった。「○クルート」とは私個人も勤務校(公立高校)も全くご縁はない。が、将来に目を向ける教員研修の講師が「業者」とはいずこも同じのようで、なんだか笑えた。(それにしても、学校・教育関連業で食べていける人が多いのは、日本が高学歴社会ゆえの相互扶助だね。)で、次のは、もちろんパワーポイントの「ドッボーン」(内田先生、ごめんなさい。)

 「生き残り」問題は、大学だけでなく、高校にだってある。現にいくつかは統廃合がなされている。もっとも、公立高校教員は、この点に関して実に気楽で、関心を持つ人はほとんどいない(だろう)。だって自分が食えなくなる心配が全くない。

 で、偉い人に偉いと言っては失礼に当たるかもしれないが、内田先生は、やっぱり偉い。神戸女学院という立派な学校の行く末を案じるのに、先生はちゃんと「歴史」を鑑み、本来的エートスに立ち返ろうとするからだ。

 やっぱりそうだよね。私が知る多くの人たちは持たない視点だ。

 高校にだってそれぞれ創立の歴史的経緯があって、その地域でその学校が果たすべき役割が決まってくる。時代が変わり人口分布が変わってくれば、役割も確かに変わる。しかし、それなりの歴史と設立の経緯があれば、スクールカラーというモノは、なぜかそう簡単に変化するモノではない。学校は生きているから、その時々でさまざまな問題が出てくる。でも、解決の手段は、歴史を足場に選ぶのがいい。目先の問題解決は、更なる問題を生む。

 公立高校も、もっと考えるといい。ある親が言っていた。「塾の先生が、下手に公立に行くより、私立に行った方がいいと言っていました。」塾が私立から何らかのリベートを貰っている可能性もあるし、がんばっている公立の先生も多いけど、公立はもっと連携して戦略的に考えるといいのにね。(もっともすべては地方公共団体と各校長の手腕次第。一介の平教員がここに綴ったってどうしようもないんだけど。)

 でも、歴史って、軽視されるんだよね。歴史を読むには相当な抽象化が必要なんだろうけれど、これ、なかなか困難な仕事なんだね、きっと。
キーワード
地方公共団体 スクールカラー 神戸女学院 パワーポイント
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