考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

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どうしてこの髪飾りはいけないんですか

2009年09月03日 | 教育
生徒「どうしてこの髪飾りはいけないんですか?」
私「どうしてこの髪飾りはいいの?」
生徒「だって、かわいいもん。(笑)」
私「かわいくするのはこの学校の教育目標ではないのよ。」

終わり。


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13 コメント

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生徒の人権を守ってあげてね。 (文月)
2009-10-04 01:30:33
ほりさん、はじめまして。
ネット上では、随分とながい付き合いですが、意外にも初コメントいたします。
ぜひともお伝えしたいことです。

そこで終わりにしないでくださいませ。
生徒の人権を尊重するのは、教育目標以前の問題です。教育目標であるかそうでないかは全く関係ないことです。
教育公務員である教師には、憲法を守る義務(生徒の人権を守る義務)があります。
教師には、生徒の髪飾りを認める義務があるのです。
髪飾りを禁止することは、人権侵害です。憲法違反です(幸福追求権・自己決定権の侵害になります)。
かわいくするのが教育目標ではなくても、髪飾りを認める必要があるでしょう。
髪飾りを認めて、生徒の人権を守ってくださいね。
それが正義の道です。正しい人の道なのです。私はそう確信しています。
私と同じ思いを共有していただけたらうれしく思います。生徒の人権を守ってあげてね。
薄っぺらな人権を主張しないでくださいね (ほり(管理人))
2009-10-04 02:05:29
文月さん、コメントをありがとうございます。

>髪飾りを認めて、生徒の人権を守ってくださいね。

もうかなり昔になると思いますが、子供の人権を守るための国際会議がニューヨークかどこかであって、日本の高校生が行って主張をしたそうです。「制服は人権侵害だ」とか何とか。
そしたら「ここは、飛行機に乗って来ることが出来る子供の権利を主張する場ではない」とかなんとか、要は、制服が着れるなら、学校に行っているだろう、しかも、飛行機に乗ってそこまで来れるくらいだから、もう既に、十分に人権は守られている、というようなことを言われ、すごすごと帰ってきたそうです。
文月さんのおっしゃる人権も、上記の高校生レベルの主張ではないでしょうか? 

薄っぺらな人権だと思いませんか。
生徒に真の意味での人権や人の幸福を理解させ守らせるためには、文月さんのような薄っぺらな主張をされる大人の存在は、非常に多くのまともな子供、余り思考力が発達していない子供にとって決して好ましい存在ではありません。

私は、生徒に薄っぺらな人権を主張したり、その程度の幸福に満足するレベルにさせる気はありません。
彼らには、眼をもっと大きく、世界に、それだけでなく、人間の過去に、未来に目を向けさせた上で、己を顧み、人間とは何かを考えさせ、真の幸福を追求させるのが仕事だと思っています。人が真の幸福を得、成熟をするのは、髪留めの自由からではないでしょう。

髪留めの自由程度で人権が守られ幸福が追求できたと思う人間が増えて喜ぶのは、善人の振りをした独裁者ですよ。たかが髪留め程度で喜んで、陰でどんな毒を盛られているかに気がつかない人間に育って貰っては困ります。見えないところにこそ、目を向けさせるべきでしょう。

賢い子はこういったことをちゃんと理解する事実を私は知っています。
薄っぺらな人権、薄っぺらな誇りなどは存在しない (文月)
2009-10-04 03:12:34
>薄っぺらな人権だと思いませんか。

人権に薄っぺらな人権などというものはないと考えます。薄っぺらな人権だとは私は思いません。
ほりさんが仮に薄っぺらな人権だと言い張っても、私はどこまでも大切な人権であると言いつづけます。
もし生徒の人権をこのまま侵害されつづけるなら、因果応報の覚悟をもたれるべきでしょう。
ほりさんは、私の主張する人権を、薄っぺらな人権だと馬鹿にされていますが、
その人権を一生懸命守り抜こうとする、そんな人間が世の中に確かいることを、ほりさんには認識して頂きたいですね。

薄っぺらな人権だと言うのは、ほりさんの自由です。
でもね、生徒にも、私にも人としての誇りがあります。
髪飾りを禁止されることは、人としての誇りを傷つけられることです。
誇りを傷つけられて、だまっているわけにはいきません。
いかなる理由があろうともです。決して許すわけにはいきません。

他人にどういわれようが、どう思われようが、
己の誇りをつらぬく生き方もまた素晴らしいと私は思います。
ほりさんから見れば、おそらく、狂気の沙汰でしょうか。
でもね、私の言う誇り高い者の中にも賢い人はいますよ。

そういう人は賢い人とは言えないとおっしゃるなら、また、
もし薄っぺらな誇りと言って、馬鹿にされるようであれば、
それこそ、その人たち、私に対する重大な侮辱となりますのでお気をつけください。
薄っぺらな人権、薄っぺらな誇りなどは存在しないと考えています。
何故薄っぺらか (ほり(管理人))
2009-10-04 08:40:32
文月さん、「ちっぽけな誇りは成長の邪魔」という記事を新たに書きました。お読みください。

それで、文月さんのおっしゃることに賛同される方もいると思いますよ。
世界観が小さいからです。あるいは、(ここからの方が大事でしょう→)文月さんのような考えをする人を増やすことで、何らかの利益を得ようと知っているからです。その意味で、文月さんは利用されているのかもしれません。(と申し上げても通じないかも知れませんが。)

>薄っぺらな人権、薄っぺらな誇りなどは存在しないと考えています。

このような考えの理由は、等身大、今の自分が考える人権、誇りがすべてだと思うことにあります。より大きな世界を求めることを知らず、今の自分の世界観をすべてだと考えるからです。狭い観点において文月さんのおっしゃることは正しい、でも、より大きな視点に立つと間違いだとわかります。

教育の目的とは、成長をすること、成熟を目指すことなんです。「今の自分」の欲望以外に、もっと大きな、成熟した人間としての欲望を持つことを学ぶのが、子供にとっての真の権利になるのではないでしょうか。それこそ、守ってやらなければならい子供の人権でしょう。
この意味で、今の子供たちは子供としての権利、成長をする権利が守られていない。私はこれを憂えます。

文月さんも、子供の真の権利としての成長をする権利を守ってやってください。
「自由教育」「個人主義教育」こそが大切だと思っています。 (文月)
2009-10-05 10:47:32
私の世界観は大きいです。広い観点、より大きな視点に立ってます。
その上で、髪飾りの自由を認める必要があると思っています。
今回話題になった生徒の髪飾りの自由をはじめ、広く自由・権利が保障されると、生徒はよりよい成長、成熟ができ、結果的に教育の目的も達成できることになると思われます。

管理教育ではなく、「自由教育」が大切であり、
集団主義教育ではなく、「個人主義教育」が大切だと思います。

先日、鳩山首相の会見を聴いて、「友愛」は、私の考えている「自由主義」「個人主義」と同じだなと感じました。
鳩山さんは、「自由」「個人の尊厳」を大切だとおっしゃっていました。
私も「友愛」が大切だと思っています。学校教育にも友愛精神が大切だと思います。
今こそ、友愛精神を生かした「自由教育」「個人主義教育」が大切だと思うのです。
「管理教育」「集団主義教育」によるマインドコントロールを受けてきた国民の支持を得るのには
まだまだ多くの時間がかかるでしょうけどね。ほりさん、貴女もマインドコントロールの被害者だと思います。
私はそのマインドコントロールの罠には、はまりませんでした。

まあ、それはそうと、ほりさん、
貴女も相当な負けず嫌いの方のようですね。
ある意味、私と一緒ですね。そんなところに共通点が感じられました。お互い、いい勝負かも。

このまま続けても話は平行線になりそうなので、この辺で(笑)
髪飾りの自由を尊重するほりさんのお姿が・・ (文月)
2009-10-05 11:39:53
あ、そうそう、「ちっぽけな誇りは成長の邪魔」の記事を拝見いたしました。

人間としての成長、成熟が何を意味するのかは、人それぞれだと思いますが、
私は、ほりさんが、管理主義教育、集団主義教育から脱却し、
「自由主義教育」、「個人主義教育」にシフトされることにより、
貴女に人間としてのより大きな成長や成熟が訪れると思います。
よりよい成長、成熟を果たして下さい。

より大きな成長、成熟を果たされたとき、髪飾りの自由を尊重するほりさんになっていることでしょう。
そうなられたほりさんのお姿を見たいですね。
おもしろいなぁ (ゾウムシ)
2009-10-05 13:48:34
横レス失礼します.また,お二方の気分を害してしまうかもしれませんが,他意はありませんのでご容赦を.

>まあ、それはそうと、ほりさん、
>貴女も相当な負けず嫌いの方のようですね。
>ある意味、私と一緒ですね。そんなところに共通点が感じられました。お互い、いい勝負かも。

>このまま続けても話は平行線になりそうなので、この辺で(笑)

そうですね,ここらで終わりにするのが賢明と思います.

静観しようと思っていたのですが,面白かったのでコメントを.

養老先生が書かれたことで,「自民党員と共産党員の親子が大喧嘩している.真っ向から対立できるということは実は非常に似ているということだ.なにが似ているかといえば,「政治」というものに対してそれだけ懸命に語れるということである.私なら早々に降りる.」という主旨の文章があって,それを思い出しました.

別に早々に降りるのが正しくて,議論するのが悪いという意味ではありません.

懸命ということはそれだけ必死ということで,お二方ともご誠実なのでしょう.

ボクは,それなりには本エントリに関して意見があったのですが,基本的には「ま,いいや」とある意味で怠慢ですから偉そうなことは言えません.だから,静観していました.

興味深かったのは,お二方のスタンスや主張の仕方ですね.主張している内容そのものではなく.そして,時に,何を言っているかよりも,どのような態度かのほうが重要に思います.

もっと言えば話の中身なんてどうでもいいんですよ.同じ言葉でも,ああの人に言われたら腹立つけど,この人に言われたら感激ってあるでしょ.

その典型が恋愛ですよね.セクハラでも論外のものは別として,ちょっとした発言が問題になるときがあるでしょ.それって,その発言そのものじゃなくて,それまでの人間関係ですよね.

ホリ先生は人間関係を全面に押し出すのは気に入らないでしょうけど(笑).

でも,上のやりとりはお二人の人間性というか,例え匿名ネット上での短期間のとはいえ,お二方の人間関係がよく表れているように感じました.
理解してもらえない「学校の先生という仕事」 (ほり(管理人))
2009-10-05 23:55:41
文月さん、コメントをありがとうございます。

以下、ほとんど、「独り言モード」に入ります。

ああ、そうなんだよねぇ、学校の先生の仕事はこんなにも誤解され、理解されない。。
よくわかります。アタマの良い、斎藤孝氏ですらわかってないのだから、ふつーの人が理解できなくて当然と言えば、当然なのだけどさ。。。

世間一般で言われる、自由主義も、個人主義も、すでに確固たる前提があってのことである。それを無視して論じても机上の空論だ。

その前提とは、諏訪先生の「間違いだらけの教育論」で述べている観点での、共同体の一員としての「個」ある。
斎藤孝さんも間違えているのと同じ間違いを文月さんもしているし、先日見えた塾の先生も同じ間違いをしている。全くめーわくな話である。

どこが迷惑かというと、彼らの言う「個人」は、既に、集団、共同体の一員としての意識を持った「個」だと言う点である。
だけど、ほら、教室を見てごらん。学校をのぞいてごらんよ。
彼らは、まだ、集団、共同体の一員としての意識を持っていない、まだまだ動物的な本能を持った存在なのだ。ハラが減ったら、先生が半紙をしているときであろうと、もちろん、客人であろうと、モノを喰うだろう。自分がイヤだ、と瞬間的に感じれば、トイレに行くだろう。朝寝坊をして、平気で遅刻をする。何となくだらしない雰囲気が生じれば、定期試験で平気でカンニングだってする。(これ以上は書かない。書けない事実も多い。)もちろん、真面目な生徒はあくまでも真面目である。しかし、そうでない生徒とも多い現実がある。
世界を見渡して見よ。なんだかんだ言って、これだけ秩序正しい人の集まりはなかなかだろう。ある先生が昔言っていたが、その人が滞在していた国では、修学旅行は校長がもうけるためだそうだ。自分の村から一歩も出たことがない、それで、一生でないであろう生徒とは、中学旅行のためにバイトをする。バスに乗って都会に行けば、窓から顔を出して現物する。そんな生徒のバイト代のピンハネをするのが校長さんだという。で、これが当たり前だという。でも、こんな話、日本ではまずあり得ない。あったらニュースになる。でも、かの国ではニュースにならない。なぜなら、日常茶飯事だから。これがグローバルスタンダードなのである。ほおっておいたら、こうなるだろうに、なってない日本の現実。(もちろん、他に問題は多々あるが、ニュースになるだけまだマシな社会であろう。)

話はちょっと横に行ったが、「動物的な存在としての個」と「集団の一員としてちゃんとした個人主義でも何でも良いが、その意識を持った個」を混同しないで欲しい。
この区別をしないで物事を論じないで欲しい。

以上、感情論というより、もっと理性的な観点で、私は怒りを感じるのですよ。まったく、もう。。。
最大の怒りは、議論の観点がずれているからだ。

文月さんが、自分の方がより広い世界観を持っているという主張も、当然である。
だって、現実離れした、「既にできあがった個」、ご本人の否定する集団主義や管理主義教育(補足しておくが、目に見えない躾け的な管理も含む。)を前提にしての議論なのだから。
手段に所属する意識をどのように育成するか、この視点が全くない。それをきちんと論じてからものを言って欲しい。今の教員が、もっとも苦労しているのが、これなのだから。(はっきり言って、学力だって、文月さんのおしゃるような「ちゃんとした個」ができあがっていれば、自ずから上がるだろう。)

で、「学校の先生」だから知っている現実で言うと、掃除にしろ何にしろ、「個」の自由に任せたら、気の良い生徒だけが掃除をし、やりたくない生徒は、やる生徒の労力の恩恵を受けるだけ受けて、「だって、彼らはやりたいから掃除をしているのだろ」の一言で終わりである。現にそういう集団を私は見ている。それを「自主性」「助け合い」と勘違いする人も多い事実を知っている。それで、地道な仕事をする生徒を地道な仕事しない生徒が下に見ることも非常にしばしば、起こりうるのである。だらしがない生徒は徹底してだらしがない。勉強もしない、掃除もしない、部活もしない。好きなことをする生徒は、好きなことしかしない。掃除は好きでないからしない、もしばしばある。「やりたい人がやれば良いんだ」と。

学校の仕事は、納税者を育てることである。
もし、税金は、払いたい人だけが払うのだとしたら、払いたくなければ払わなくて良いのだったら、それで、払わなくても何のペナルティも払わなくて良いのだったら、どれだけの人が、どれだけ払いのだろうか?(税金だって、掃除と同じである。「掃除すると気分が良くなるでしょ? 同じように、税金もたっぷり払った方が気持ちが良くなるものよ。」が通るかどうかである。)
今の日本人が、ぶーぶー文句を言いながらでも税を払うのは、これまでの教育のお陰である。
「塀の中の~」の小説を書いた阿部某氏が、その昔、お金があるのに税金を払っていなかったときの話で言うには、「税務署から人が来ても、そんなのは、追い返せば良いだけの話だ」とことだったらしい。まっとうでない生き方であろう。
日本中のあちこちで、そう主張する人が増大したら、そう言う状態になったら、国家は崩壊するだろうね。それでもいいのかな?
社会福祉なんて、どこの話?ということになりかねないよ。

もー、みんな、わかっちゃいないんだからぁ。

文月さん、どうぞ、高邁な思想のものに、個人主義教育、自由主義教育を頑張ってください。教員になったらどうですか? 最近は、30代、40代でも道が開けています。私立高校だと、ひょっとしたら、免許がなくてもできるかもしれません。「仮免」を発行してくれるでしょう。高校だったら、大学進学率の低い全日制普通科がおすすめですよ。

↑かなり、やけっぱちな文章です。
わかってもらえてないと感じている現場教員の戯れ言です。

「諏訪先生~、もっと頑張って先生の言説を世に広めてくださいよ~。わかってない人が、私のブログにもお見えになるんですよ~。」

文月さんの言うことは、ある意味、理想論として、ものすごく正しい。そう、正しいのです。これは、やけっぱちで言っているのではないのです。
でも、(ここからが大事。)実際問題として、動物的な、未だ人間社会の共同体の一員としての明確な意識を持ってない「子供」を相手にしたときは無力で悪弊しか生ぜしめないものなんですよね。全能感だけ持つ、どうしようもない人間に育ち、社会に負担をかけるでしょう。

以上。
あー、疲れた、推敲する元気なし。
絶妙のコメントですね (ほり(管理人))
2009-10-06 00:14:55
ゾウムシさん、コメントをありがとうございます。

↑上記を書いて、疲れたので、失礼させてください。ざっと読み返したら、たくさん誤字脱字がありますね。(いつものことだけど。)

斎藤孝も、前の塾の先生も、文月さんも、全く同じ間違いをしているんですよ。それだけ魅惑的な論なんでしょうけど。
しかしまぁ、それだけ世の中のメジャーの思想に染められる人が多いということなのだろうなぁ。
文月さんが否定している管理教育を肯定的に見る人なんて、世の中にいないですからね。

諏訪哲二著「間違いだらけの教育論」に解答があります。

文月さんの言うことは、「一面的にきわめて正しい」。でも、その一面生に気がついていない人と議論しても、まあ、私の能力ではムリです。

文月さんも、これを読んでいらっしゃるでしょうから、こういった件について議論したかったら、私のような主張をする方で私よりアタマの良い人ととことん議論してください。
私はこれ以上お相手出来ません。
どうぞよろしく。

でも、「ゆとり教育」も同じ陥穽にはまっていることに気がつきました。

>時に,何を言っているかよりも,どのような態度かのほうが重要に思います.

私、ストレートだから、波長の合う人とはあうけど、合わないと合わないのね。

それから、特にネット上で「人間関係」は求めないことにしてます。
だって、このブログ、自分が考えるために開設したのだから、その目的にはずれることはしたくないのです。

来るもの拒まず(私の思考を深めないことを言う人は拒むけど。よって、文月さんも拒みたくなる方に入ります。なぜなら、私にとって、既知の内容の確認にしかないからです。)、去る者追わず。
先生,しゃべりすぎ (ゾウムシ)
2009-10-06 01:13:07
お返事ありがとうございます.僭越ながら,やっぱりおもしろいですね.

>最大の怒りは、議論の観点がずれているからだ

先のコメントでボクも議論という言葉を使いましたが,最初から議論になっていないと思っていました.「論点」がまったく違うのですから.

論点が異なるのはいいのですが,それなのにたくさん書かれていたでしょ.だから,おもしろかったのです.ボクなら早々に降りる,と.

>ネット上で「人間関係」は求めないことにしてます

でも,あれだけ文字を連ねていらっしゃったら,第三者的には立派な人間関係に見えますね.だから,やりとりされているお相手の方は,最後に肩透かしをくらったように感じるんじゃないでしょうか.

>このブログ、自分が考えるために開設した

ということでしたら,論点が違いすぎるのにコメント返答なさいすぎですよ.偉そうなこと言わせてもらえばボクは最初から予想できてましたよ.

これはいくらやっても,かみ合わない,と.

それで案の定かみ合わなかったでしょ.だから,おかしかったのです.

でも,その責任の一旦はホリ先生にもあると思いますね.

>わかってない人が、私のブログにもお見えになるんですよ~。

そりゃあ,公に開いているんだから来るに決まっていますよ(笑).そして,あれだけコメントの返答がある.

お怒りの心中はお察ししますが,ホリ先生ご自身が無駄に消耗なさるだけだと思います.自分が考えるためにブログを使いたいのであれば.

そこの説明が親切なようで親切じゃないから,余計な誤解が生じるのでしょう.

もっとも誤解は「される」ほうより,「した」ほうが損しますがね.
学校で何をする? (愛読者)
2009-10-06 02:28:28
こんばんは。
「現実を見よ」っていうところですよね。
この20年間、私は保護者として学校や子どもを見てきましたが、ほりさんのご意見、ごもっともと思います。現在、長女高校生です。

娘はね、公立二番手校を落ちたんです。理由は簡単です。本人はそこが気に入らなかったんです。
うちの地域の公立はね、制服でなく標準服っていうのが多いんです。基本的に自由。茶髪もピアスも化粧も可。
内申点でこのあたりって受験を決めてから、高校のホームページを見てびっくり。卒業式は着物や袴姿なんです。冬休みに通学ルートの下見にいったら、部活で登校して来た女の子が細いヒールのブーツで校舎に入っていったんです。国立にも何十人も合格する学校なんですよ。見なけりゃよかったーっていうとこです。それで、別の高校も考えたんですが、そちらは一年後から中高一貫校になるそうで、ただでさえ狭い校庭をどう使うのだろう・・・などなど。で、なんだかねーと思いながら受けて落ちたんです。
中学の先生って、テストの点で内申つけて、高校を割り振って。どうせ学校じゃなくて塾で力つけた生徒ばかりなのにね。そしてシステムは40年前とちっとも変わっていない、内申、これだけ。
今のね、公立のトップ校や二番手校ってね、普通に公立中学に行っているだけじゃ合格できないんです。そこそこお金があって、塾に通わせてもらって、携帯持って、成績よければ文句を言われない、そういう子たちがいい高校に行くんです。そして、後は自由。

負け惜しみなんですけれどね、私、今娘の通っている私立高校気に入っているんです。携帯禁止。化粧、茶髪ももちろん禁止。禁止にしなかったら、子どもなんて大体こう言いますよ、「みんなやってる。」
入学式でね、校長先生がこんな話をしてくださったんです。
・・・ある雨の日の夕方、駅で、女子高生が携帯電話で母親に傘を持って来てくれと頼んでいた。しばらくして車で迎えに来た母親を「遅い」と叱責していた。悲しいことです・・・

有無を言わせず坊主狩りにされる子がいる一方で、化粧して登校する子がいる。トイレ掃除を教育と考える者がいる一方で、個の自由を主張する人がいる。
なんかね、なんかもう、バカな大人ばっかり。
職業病です、はい。 (ほり(管理人))
2009-10-06 19:51:30
ゾウムシさん、コメントをありがとうございます。

>先生,しゃべりすぎ

>お怒りの心中はお察ししますが,ホリ先生ご自身が無駄に消耗なさるだけだと思います.

長年、毎日のように訳のわからないことを言ってる生徒を、「そりゃ、違うぞ、考え直せ」と、彼らの思考を変えるのが私の仕事だから、ついつい、こんな場所でも、いつもの癖がでちゃうんですよね。
うん。
幼稚なことを言ってる人をみると、ついつい、生徒扱いしちゃうということなのでしょう。困った性癖です。
ゾウムシさんの忠告をいただいたワケでもあるので、そろそろ改めましょうか。(笑)
しかし、リアルワールドでも、邪魔な人がいて、困ったことがよくありました。放っておくと、とんでもないので、相手して、ホント、ブログどころでない消耗でしたよ。はぁ~っ。

養老先生の「話せばわかるなんてウソ」は真実です。

でもね、思考の次元を変えて思考をする、というのは、実に難しいことなんですよね。
下手なやり方だと、単なるパターン化になる。生徒の勉強法です。
おお、ご理解感謝 (ほり(管理人))
2009-10-06 22:28:42
愛読者さん、コメントをありがとうございます。

イマドキの子は可哀想ですね。格好でも何でも、オトナのようにすることが良いことだ、格好良いことだ、と言う価値観ばかりで。粋がって格好をつける若者は昔もいたけれど、彼らは「特別」だった。周りのオトナが、まあ、社会が貧しかったからでしょうが、それはいけないことだという暗黙の了解があって彼らを良しとしなかった。ところが今は、大人になりきっていないオトナが、自分の遊び相手ほしさに、自分と同じ感覚の人間を欲して、「仲間意識」を持って、認める。平等意識の善人ぶって、「お互い、対等な人間同士だ」みたいな感じかな。

若者が死ぬのもよくわかる。彼らは生き急がされている。「自分の人生が見えてしまった」と思い込まされている。希望も何もあったものじゃない。
人間、必ずしも、貧しくて死ぬワケではないと思う。「大衆」の考える「普通」しかないと思い込まされて、他の選択肢を与えられず、若い十代も十分に体験しないまま、見た目だけの「オトナ」にならされる。中身も何もないのに。
「年相応」に生きてないから、人生の「ステージ」を生きることが出来ない。生の実感がない。

母親に迎えに来てもらった女子高生も、自分は母親と対等(以上)だと思っている。そんな風に育てた母親も母親だけれど、「雨の日に、手の空いた母親が、空いている車を使って迎えに行くのが母親の愛情だ」みたいな。濡れると可哀想だろう、何のために車が家にあるのだ、何のために母親が免許を持っているのだ、とか。有効利用すべきだ、効率的合理的に行動しよう、とね。

要は、目先の利便。母親も↑のように言われると、返す言葉がない。今の子は、小学校から訳のわからないディベートやら、プレゼンで、口が達者。コトバが全てだと思っている、思い込まされている。なんと言っても、「コミュニケーションの時代だから。

>部活で登校して来た女の子が細いヒールのブーツで校舎に入っていったんです。国立にも何十人も合格する学校なんですよ。

ああ、たぶん、予想が付きますよ。学校の中でどんな生活か。どんな会話をしているのか。

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