考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

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基礎学問は深層海流

2006年09月01日 | 教育
 生徒の中に「答えがわからないことについて考えるのが好きだ」という子がいる。だから、哲学とか数学、物理学とかを勉強してみたい、なんぞと言う。珍しい子のような気がするが、時々いる。しかし、と言う接続詞が相応しいのかどうかわからないが、(ウチの学校では)こういった好みとテストの成績との相関はあまりない。

 どうやって食べていくのだろうかと思う。最大の関門はこれである。ダントツでアタマが良いなら、何とかなるだろう。しかし、そうでもないから、多分今後も需要がない基礎学問をしていたのでは、それで職を得ることはできまい。

 だいたいというか何というか、私が英語教員になったのは、食うためである。高校生の時でも、哲学系に魅力を感じたが、自分の脳味噌に自信がなかったからあきらめた。そう言う経緯があるからかも知れないが、現実問題として、やはり食っていくだけの何物かを得るのは大事だと思ってしまう。いわゆる「ビジネス」の才覚のある人なら良いが、そうでない場合はねぇ。私が今の仕事を失ったら、たぶん路頭に迷う。(教員ほどつぶしの利かない人種はいないだろうが。)

 今の時代、「こうしたら儲かるだろう」と言う発想をする人の方が暮らして行きやすい、というか、生きがいを感じやすいだろうな。

 海の波も、表面の細波と深いところを流れる海流があるだろう。近頃では深層海流まで発見されている。細波が大波になって海上の船に襲いかかることがあるけど、深いところでは水面と関係なくたんたんと水が流れている。ビジネスが海上で見える波なら、基礎学問は深層海流のようなものだろうな。基礎学問を目指そうとするのは、今の日本では生きづらいね。

 現実離れしたことをいうなら、高等遊民がいいよなぁ~~。。自分と似たような趣味の人を見つけて、あーでもない、こーでもないと数学の勉強をし直したり、昔の人はこう言っていたああ言っていたとぺちゃくちゃおしゃべりができたら、た~のし~いだろーなぁ~~♪♪ 抽象世界に遊びたい。そうなったら、晴耕雨読でタマの畑仕事くらいは(気分転換で)しますから。。
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Unknown (heisan)
2006-09-05 10:25:56
いつも興味深く拝読しております.



> 生徒の中に「答えがわからないことについて考えるのが好きだ」という子がいる。

興味があるのでお訊ねしますが,

こういう子に対し,どういう指導をすべきだとお考えでしょうか?(笑)



> 現実離れしたことをいうなら、高等遊民がいいよなぁ~~。。

学校の先生というのは(他の職と比べると)相当な高等遊民だと思うのですが,

いかがでしょうか?(笑)

うへ~~ (ほり(管理人))
2006-09-05 22:16:37
heisanさん、お久しぶりです。コメントをありがとうございます。

いやぁ、このコメントに笑ってしまいました~。ははははは。(何なのだろ、この笑い?笑)



>>こういう子に対し,どういう指導を



う~ん。どうすべきか、或いは、どうお答えすべきかちょっと悩みましたが(笑)、別にふつーの指導です。

私はどの子にも、「成長しろ」と言ってるし、今日正しいと思った答えが次の日に間違いだとわかることだってあるし、逆のこともあるよ、それは成長している証だよ、などと言ってますので、そう変わった指導はしませんです。ってか、もっと具体的な面接指導だと、ホントに一人一人に言うことが違うから(笑)、その子に合わせて対応します。この子には「私に似てるね」と言うとは思います。あ、でも、これは「指導」じゃないね。(笑)「でも、食べていくことを考えなさい」は、必ず言うと思います。(誰にでも言うから。)

・・・という言い方でしかお答えできないです。パターン化できないなぁ。。。一人一人違うというのは、細かいことを言うと、その子のその時の「気分」とか、直前の私との人間関係などによっても変わるから。。。



>>高等遊民



上の質問も笑ったのですが、これ、めちゃ、笑えましたよ。その通りと言えばそうかも。。はははは。。。。

金勘定をしたり、機械相手の仕事でもないですからね。古き良き時代の先生は「より」そうかもしれません。

高校の先生をしていて良かったと思うのは、何かわからないことがあると、その科目の先生に聞きに行けることです。みんなが皆と言いませんが(苦笑)、お一人くらいはそれなりに「ちゃんとした方」が見えますから。

私がやっているのは、「椅子に真っ直ぐ座りなさい。」とか、「ボタンを掛けなさい」とか、そんなの。課題テスト範囲の宿題の点検とか。ホントは、高校生にもなって何で宿題なんか集めなきゃいけないんだと思います。(笑)

私はおしゃべりだから、ホントはこのブログに書くようなことを人と話したいんです。で、目から鱗の刺激を受けたいんです。ちょうどコメントが刺激になっているように。でも、学校では、ほとんど皆、仕事が忙しいことを別にしても、受けいれてくれないと思います。生活感覚上で「役に立つこと」を好む人が多いです。理系でたとえると、たぶん、理学部系より、工学部系。(笑)一方、私は「役に立たないこと」が好きなので合わないんです。生徒も「役に立つこと」を好むので、居心地よく感じている先生の方が多いです。>>いつも興味深く拝読しております.なんて、おっしゃって頂けるの、ここだけですぅ~。

今後とも平によろしくお願い致します。

Unknown (heisan)
2006-09-06 21:01:26
えー長くなりましたが,せっかく書いたので載せちゃいますね^^;

(以下には,もしかすると失礼に当たる表現があるかもしれませんが,私自身そういう意図は毛頭ないですし,話の流れ上必要なことですので何卒ご了承くださいませ(_) )



> 「答えがわからないことについて考えるのが好きだ」

 えっと,何を訊きたかったというとですね,学校と言うのは往々にして,実社会のことを理想化して語りがちだと思うのですね(笑).例えば,社会では役に立たないと言われている学問分野についても,実際にはそれで食べていくことは難しいのだけれども,そんなことはそっちのけで,楽しい部分ばかりを語る(笑).で,ご指摘の通り,そういうこと(実学的ではなく虚学的なこと)に関心を持ちつつも,ずば抜けて能力があるというわけでもなさそうな人たちは何をすればいいのだろうか,という問題が当然生じます.私は,そういう人たちを積極的に吸収している就職先こそが,学校だと思うのです(笑).

 そして,なんかこの構造を一望するとき,矛盾を感じるんですね.一言で言うと,プロにならなかった人がプロになるかもしれない人を教えるという構造です(笑).



 以前実際に学校の先生をしている人はこう言いました.学校の先生と言うのはウダウダしたい人がなる職業だと.実際にプロになろうとしている人は(学校という職場には)来ない.そういう意味で,学校という職場は,或る意味,人生(というゲーム)を降りた人たちが集っているような気もします(笑).それを証拠に,他の分野で活躍してノーベル賞とかオリンピックの金メダルとかとった人たちが,"なぜか"門外漢であるはずの教育の分野に移り住んでくるということがよくあるじゃないですか.「なんでお前が中教審のメンバーとして名を連ねてんねん」的な(笑).

 でもこれは見方を変えればまったく逆のように言うこともできます.つまり,本来はああいう形が,曲がりなりにも一つの仕事を成し遂げたような人たちこそが,教育界に身を置くべきなのかもしれないと.そういう視点で見ると,もとから教育をやってた人たちはなんやねんということになります.

 「(虚学に)関心はある」でも「プロにはなれない可能性の高い」生徒らに対して,サポーター(教員)としては,そういう方向への動機付けをどの程度してよいものだろうか,と疑問に思うのであります.これが1つ.



 もう一つは,これに関連した話で,教育への投資対効果に関する話です(後で見直すと直接的には本題からずれているのですが,せっかくなので掲載させて下さい.何かのヒントになるかもしれないことを願ってw).

 一例として"科学"を切り口に話を進めさせていただきます.最近はSSH(スーパーサイエンスハイスクール)などで文科省から破格のお金が出ているようですが,これの教育効果として大きいのはやはり「科学への興味関心を持ってもらう」ということにあるのだと思います.大きな流れとしては,理系への進学率を上げて日本を科学技術大国にしようという国家的な狙いがあるのでしょうが,果たしてどこまで効果を上げられるものでしょうか.昔(戦前くらい)は,科学というと,本当に好きな人たちだけがやってたんですよね.大学進学率が数%やった時代の話.それが戦後,科学というものが国家事業になった.科学は,他の国に負けないために,国のレベルで頑張ってやらないといけないものになった.

 しかし,ここで仮説が出てくるんですが,本来的に科学をやりたい人ってどれくらいいるものでしょうか.人口に占める犯罪者の割合というのは人口によらずあまり変わらない,だから田舎では事件が少ないのだという話を聞いたことがありますが,もし,本来的に(というか生得的に)科学をやりたい人の人口に占める割合というのが或る程度決まっているものとすると,SSHなどの政策を推進して研究者をどんどん増やすという戦略はいかがなものかと思えてくるわけですよ.

 なんでこんなことを言うのかと言うと,それはやはり,現在の異常なまでの大学進学率の上昇,少子化で子どもの数は減っているはずなのに大学・大学院の数は急増してる現状ですね.こんな中で,大学とか大学院という場がどんどん大衆化していますね.それと共に叫ばれるのは「レベルの低下」というもの.やる気のない学生が増えたとか,よく聴く話ですよね.そういう現状を見るにつけ,思います,果たして国家的に科学技術研究を推進することが,どれほどの効果を上げられるものだろうかと(笑).特に今日のように,ネコも杓子も大学院に行く時代にあってはなおさらです.ほんとに人口に占めるそれだけの割合の人たちが勉強好きだったのかと.

 ごめんなさい,話の大筋が見えにくいですね.ええと,要するにですね,学校ではまぁ勉強をやるわけですが,いまはなんでもアカデミックを装うことがはやってますね(笑).昔は専門学校で間に合っていたことが,いまでは大学でやることになっていたりする.家政学科(?)はおろか,異論もあるでしょうが,アニメーション学科やマンガ学科もその例に洩れないでしょう.アカデミズムという鎧をまとえば何をしてもよいわけではないはずなのですが(笑).社内で旅行に行く場合,申請時,"研修"の二文字を前につけるだけで許可が下りるということで,この「旅行」の前につける「研修」の文字は魔法の二文字と言うそうですが,「アカデミズムを装うと何かと都合が良い」というテーゼは昔から確立されたものだったのかもしれません.ただ,最近はそのことがあまりにも周知されすぎてしまったため,ネコも杓子も大学に行き大学院に行き…,ということに,という流れになってしまっているのでしょう.



 話を高校に戻しますと,こういう大学以後における時代の流れがある以上,必然的に高校もその影響を受けます.日常生活を営むのに必要な「読み書きそろばん」は小学校(中学校を含めるかどうかは微妙なところ)で学びますが,では高校の勉強とは何か? 一つの一般了解を得られていそうな見解はこうです.すなわち,その人が将来どういう分野に進むかを見極めるための勉強であると.ここで私が指摘したい視点は"あらゆる分野を学問の枠組みで語ろうとする風潮"そのものです.これをどこまで許すかという問題があります.前述したとおり,今は野放し状態です.





> 自分の脳味噌に自信がなかったからあきらめた。

 これを生徒らにどういう形で知らすかという問題があります.どこまで生徒の背中を押してよいものか.もちろん最終的には自己責任なわけですが,サポーターとして,背中を押すべきときというのがあると思うのですね.で,実利的・合理的に考えれば,虚学系の学問分野に進むことは奨められないということになるでしょう.でもそういうことはどの程度高校生に言いふらすべきなのか.ここが問題なわけです.





> 教員ほどつぶしの利かない人種はいないだろうが。

 これも大きな問題ですよね.今から何十年も前に,家庭科という教科をなくそうという案がお国の方で出たそうなんですが,最大の問題は,現在日本中にいる家庭科の先生の雇用をどうすんねんということだったらしいです(笑,笑い事ではないのですがw).今は「小さな政府」に倣ってか「小さな学校」へと動いている気がしますが,その流れの中で,また,授業日数が削減され,基礎の充実が叫ばれる中で,家庭科とか,そういった(周辺的な)科目は高校でやらなくてもいいんじゃないかと言う話が出てくると思うのですね.でも,全国で何万人もいるその科目の先生を解雇するわけにはいかないから,踏みとどまることになる.それがたとえどんなに有効そうな政策であったとしても.

 その意味で,(中等教育)教員と言う職業も,もうちょっとつぶしが利く職業であってほしいなというのは,願いではありますね(笑).その願いをどのようにして実現するかはほんとうに難しいと思いますが…





> 「でも、食べていくことを考えなさい」

これは極めて重要なことだと思います.が(笑),ちょっと待ってほしいのです.それでは心が貧しくなってしまう危険があります.例えば,こういう話(http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20060424/101608/)があります.

(引用始・抄)

「おれは金をもらう、それでけっこうさ」「おれだけのためじゃない。おまえや、おれたちの子どものためを思ってのことなんだぞ」

これらのセリフの理屈は、あなたが乗り気でない仕事に取り組むときの理論武装と重なりはしないだろうか。

(引用終)

「カネをもらって,食べていければそれで結構」という論理的安定状態に陥ることは,傍から見ていると,しばしば無様です.高校というところに実利一辺倒の社会と一線を画するような価値があるとすれば,まさにこういうところにあると思うのです.でも,そこで「食べていくことが大事だ」と言ってしまう….う~ん,難しい問題ですよね.理想と現実の狭間を行ったりきたりしている気がします.





> 生活感覚上で「役に立つこと」を好む人が多いです。

 これは…,どうでしょう.確かに表層に現れてくる限りではそうでしょうが,潜在的には役に立たないことが好きと言う人も結構いるような気がします.役に立つことが好きというのは,論理上,社会貢献と自己実現の一致を見るため,自分で納得がしやすいですし,何より他人に説明するときに論理的に納得させることができます.でも,役に立たないことが好きということを万人に論理的に納得させることは困難です.





> 金勘定をしたり、機械相手の仕事でもないですからね。

 誤解を恐れずに簡潔に言うと,高校(学校)には理想があり,一般企業には現実がある,というところですか.現実のドロドロした世界を嫌って,理想的なきれいな世界を好む人たちが集う職場,みたいな(笑).あ,わかってきました,僕が何をいいたいのかが.普段,理想世界の甘い蜜を啜って生きている人たちが,ドロドロした現実世界で生きることを選ぶかもしれない生徒を教えるというのは,いいのか,ということです.「世間知らずの教師」などと揶揄されるのはだいたいがこの故ではないかと思われます.

 もちろん,学校と言う職場にどろどろした現実がないとは言えませんが,他の職場に比べて非常に少ないということは言えると思います.前日に突然指令が下って徹夜で資料をつくるとか,毎日終電帰りとか,職場のソファで寝る日々が続くとか,社交辞令的飲み会とか,そういうことが少ない気がします.学校と言うのはいわゆるなべぶた組織で,校長,教頭の他はみんな平社員的で,先生同士でも「~~先生」と呼び合う仲であることが日常茶飯事な気がしますから.



うわ~~ (ほり(管理人))
2006-09-06 22:53:25
heisanさん、コメントをどうもありがとうございます。ウチは、長文なんでもOKです。申し訳ないくらい嬉しいです♪ 失礼に当たる表現なんて、全然見あたりません。



昨日のがうまく書けてなくて済みません。で、heisanさんがお書きくださったこと、実は、正に私が疑問に思っていることも多々あるんです。本当にありがとうございます。

ただ、今日はちょっと疲労していて、(新学期が始まった上に、昨夜はちょっとうとうとした後目が冴えて記事、UPしちゃったもので。苦笑。)今日はお答えできないのでごめんなさい。またきちんと書きます。

せっかく素早くレスくださったのにすみません。

らるー (shoo-)
2006-09-07 07:01:20
上の方のコメントいいですね。

学校の先生のブログにコメントとして書くこと自体なかなか難しかったりするような気がしますからいろいろとw



学校はとても不思議なところだと思います。



希望と怨念とノスタルジー。



怨念としては自分のブログでも吐き出したりしました、確かこんなひどいことも感情に任せて書いてしまったことも



http://blogs.dion.ne.jp/shoostar/archives/3428041.html#comments



しかも文句はいうけど、学校教育になんらかの貢献をしようとか責任をもとう(特別の税金払おう)とか本気で考えたりはしていないところがネックであり、それにもかかわらず、ノスタルジーに浸ったり、教育について語ろうとしたりと、精神安定剤として利用させてもらっているというのが自分自身の現状だと思います。



って大学生がそういう不謹慎なことを言ってはいけないのでしょうかw



では~
Unknown (heisan)
2006-09-07 18:20:44
> 上の方のコメントいいですね。



恐れ入ります^^;





> 学校の先生のブログにコメントとして書くこと自体なかなか難しかったりするような気が



あーそういうこともあるんでしょうかねぇ…

私は学校の先生だからどうとか,そんなことは全然お構いなしです(笑)

ただ面白そうな書き物に引き寄せられて.

でも,それが(結果的に)学校の先生だったということは多いです.この場所も然り(笑)

学校の先生だったり大学の先生だったり学生だったり…





> しかも文句はいうけど、学校教育になんらかの貢献をしようとか責任をもとう(特別の税金払おう)とか本気で考えたりはしていないところがネックであり、それにもかかわらず、ノスタルジーに浸ったり、教育について語ろうとしたりと、精神安定剤として利用させてもらっているというのが自分自身の現状だと思います。



あ~ありますねぇこういうこと(笑)

自分でも時々思います.

(が,今まで"わざと"意識してこなかったw)



精神安定剤として教育を利用する人たち,というのが,

俗に言う「教育者」たちなのかなぁ.



 (shoo-)
2006-09-07 20:26:29
すいません。なんか失礼な言い方だったかもしれません。でも、いいコメントだなあって素で思ったんです。



>>今まで"わざと"意識してこなかったw



これもそれでよいかと私も思います。公私の態度についてのコンシステンシーにあまりに厳格だと公的な意見交換・形成がやりにくくなりますから。
あら (ほり(管理人))
2006-09-08 00:19:10
shoo-さん、heisanさん、コメントをありがとうございます。いくらでもOKですからね~。



ちゃんと全部書くべきこと、書けないかもしれないけれど、heisanさんのおっしゃることって、確かに学校の先生には面と向かって言いづらいことですよね。(笑)教員同士でも、余程気心しれた間柄でないと言えないね、相手のプライドを傷つけやしまいかと。学校の先生って、自分は大したことをやっていると内心で思っている、結構プライドの高い人も多いから。私には、そういう意味でのプライドって、たぶん、ない。(笑)



さて、教員は、第一線を退いた人がやればいいことだと思いますよ。まともな大人がする仕事じゃない。(プライドの高い方には失礼しますが。)もちろん、そうでない人もいますよ、しかし、勉強を教えるのも本当に上手そうで十二分に教員になれる素質のある人の多くは、教員にならないです。

引退した人以外で教員に相応しいのは、これから第一線に出ていこうとする人。よく知らない話ですが、フランスは、例えばラカンのような偉い哲学者でも、最初は高校生を教える仕事をしたそうですよね。その後で、偉い学者になっていく。若い研究者だったら、教えることで学ぶことも多いので、教えながら自分も学び、自分の方向性とか何かをはっきりと見据えた上で、学者としての道を歩むのも良い方法だと思います。



>>もとから教育をやってた人たちはなんやねん



勉強を教えることそのものについては、高校教師の年齢は関係ないでしょうが、引退した人たちだと、どうしてもご高齢とか、そうなると思います。しかし、成長期の子供として生徒が求めるのは、「親よりちょっと若い人」だと思うんです。「おじさん、おばさん」で、思春期の自分と親との橋渡しをしてくれるような人。で、話を聞いて貰うとか、そういう間柄を持つ。そういう世代が学校にいると何かときっと都合が良い。これが「ウダウダしたい人がなる職業」にぴったりということになるかしら。私はそうおっしゃった先生に同意します。で、たぶん、私も「うだうだ」です。(笑)で、20代後半から30代って、一番やりやすいものです。



>>「(虚学に)関心はある」でも「プロにはなれない可能性の高い」生徒らに対して,サポーター(教員)としては,そういう方向への動機付けをどの程度してよいものだろうか,と疑問に思うのであります.



これは、「心が貧しくなる」ことと関連しますね。生徒の多くは、いずれは、何らかの形で「食っていく」方法を獲得させなければならないことになりますが、モモの話じゃないけれど、食っていくことだけではたぶん、人は生きていけない。まあ、だから、生徒には、「食う以外で、心豊かになるために『役に立つ』こと」を得るための選択肢を獲得させる、ってのが最大の意義ではないでしょうか。「教養」を目指すというか。

趣味として、小説を読む方向なのか、理科関係の何かに興味を持つのか、サッカーに興じるのかなど何でも言い訳ですが、でも、やってみなければ自分が何をしたいのかわからないから、若いときにいろいろやってみる。で、好きなことも嫌いなこともやらされる。(ですから、私は子供に、好きなことだけをさせようとする風潮は間違っていると思ってます。)

それから、もう一つ、「道の駅に見える高校進学率」に書いたのですが、より多くの人が学校で学ぶことで婦人会の活動などが活発化しやすくなると言う推測をします。「道の駅」は、そのまま「役に立つこと」ではありますが、その以前の段階の「役に立たないこと」例えば、置物の人形を作ったりなど、がないと、お土産用の「人形」を作って売ることはできませんから。



次にSSHなどに関することですが、昔だったら、工業高校でやってたことがSSHで行われてるってことになるかも、とちょっと思いました。(怒られそうだけれど。笑)なんとなく。SSHにしても、要は、「動機付け」だろうから。

科学が好きな人の割合も数も、昔と今で変わってないでしょうが、インドだと、19×19の九九を覚えるから、どんな田舎でもおつりの計算を間違えない、ってなもので、底辺が上がれば全体のレベルが上がるというのはあると思います。ぱっと見てわかるかわからないかの違いは大きいです。SSHも、言ってみれば、そんなものかも。スポーツだって、底辺が厚いと、良い選手が出るものだし。



それから、アカデミックを目指す普通科高校の数が多すぎると思います。おっしゃるとおり、大学でも高校でも、「専門学校」で良いと思います。小中の教員だったら師範学校だったり、外国語だったら、外国語学校でも。工学部も専門学校でしょう。医学ももちろん。虚学は、ホントに「一見役に立たない」数学や文学や哲学や史学その他諸々。大学はそれで良い。

ただ、高校の専門学校化、というか、職業高校化が難しいのは、今のシステムだと、いったん決めると変更不可の状況だからでしょうかね。融通が利かない社会構造上の問題もあるでしょうね。それから、これが最も大きな問題でしょうが、今の時代だと、高校程度の専門学科では、たぶん、限られた分野でないと役に立たないのではないかと。(階層化の問題もこれがあるんじゃないのかな?)

あ、でも、これ↑、ありきたりのことですね。



で、shoo-さんの希望と怨念とノスタルジーは、もちろん読んだけれど、恐ろしくて近寄れなかったです~。。。だって、自分もきっと似たようなこと、どこかでやってないと限らない。申し訳ないとしか言いようがない。人間の未熟さです。自分の過ちの償いをしたいと思うこの頃です。

↑上記途中です。 (ほり(管理人))
2006-09-08 00:29:32
まだ書くべきこと、ありますので。
Unknown (heisan)
2006-09-08 17:13:50
> 学校の先生には面と向かって言いづらい

普通はそうですねw

この意味で「失礼に当たるかも」と言ったわけです.



>十二分に教員になれる素質のある人の多くは、教員にならない

これは…,悲しい現実ですね.

いかに高いプライドを持った教員といえども,これがある限り,自分のプライドは所詮井の中の蛙的,鶏口牛後的なものに過ぎないことを認めざるを得ない(苦笑



> 引退した人以外で教員に相応しいのは、これから第一線に出ていこうとする人。よく知らない話ですが、フランスは、例えばラカンのような偉い哲学者でも、最初は高校生を教える仕事をした

 これは,できるといいなぁと,正直渇望しています(笑).でも,今の日本では,こういうことができるシステムは整っていない.大学を出て,教員になる人はそのままずっと教員生活を続けないといけない.例えば,教員生活を始めて5, 6年たってから,大学時代やってたことの続きをやりたいと思っても,そういうルートは,少なくとも正規では無い.弱冠22歳で教員生活に突入して,同じ内容を毎年教える生活が2,30年続いて退職期を迎える.なんかこのシステムそのものに問題がある気がしますね.だって,このシステムは,あまりにも機械的すぎるんだもの(笑).機械を量産するなら別だけど,人間を育てる機関がこのようなベルトコンベアー式じゃ,ねぇ…



 教育という営みのが次世代への文化伝達を兼ねているとすると,中高の先生にしても大学の先生にしても,教育と研究を50:50で両立できるのが理想だと思うのですね.でも実際はそうじゃない.学校の先生で研究をやっている人というのは殆ど皆無である.大学と言う場は教育と研究を兼ねていると言われているけど,それは形式上のことで,実際には,詰まるところ教育:研究=1:9といったところでしょう.極端なんですね.小中高の先生は教育ばっかりやっていて,大学の先生は研究ばかりやっている.まぁ研究ばかりやってるのはいいにせよ(企業や国のいわゆる「研究所」と呼ばれるところでは,そういう人たちがいっぱいいるわけですから),教育ばかりやっているというのはいかがなものかと(笑).アウトプットばかりでなくてインプットする機会が必要でしょ,と.それも,教育活動を行なうというため"だけ"のインプットではなくて,自分の(仕事上の)活動にも通じるインプットをする中で,その中に教育活動に必要なインプットもあるという状況が理想です.教育活動のため"だけ"のインプットってのは,なんかね…(笑).いや,小学校の先生だったらまぁそれでもいいかなと思うのですが,高校という場は,社会や大学に近いわけやから,もうちょっとなんかあってもいいやろうと思えてくるのです.



> 大学でも高校でも、「専門学校」で良いと思います。

 正論だと思いますが,昨今,大学の価値がインフレを起こしていてそれを食い止めることができなさそうな以上,その上で何をする/できるか,ですよねぇ… う~ん…

 大学の大衆化,アカデミズムの大衆化の波の中で,研究内容を一般人にも分かるように説明せよということが(特に税金を使った研究の場合は)求められていますね.だから,アカデミズムの大衆化というのは,そういう2方向からの流れによって成り立っている.1つは,できるだけ平易な言葉を用いて研究内容を説明しようとする態度が社会的に普及していっているという方向性(上から降りてくるイメージ),もう1つは,定年退職者の大学入学,市民全体の高学歴化,資格ブーム,生涯学習ブームといった,「もっとどんどん学んでいこう」「その必要があるよね」という雰囲気が社会的に普及していっているという方向性(下から上がっていくイメージ)でしょうか.

 前者の流れは,説明責任という明確な理由・駆動力があるので論理的に納得しやすいのですが,後者の流れの発端は何だったのだろうかと考えてしまいます.市民の中から自然発生的に沸き起こってきた流れなのか,それとも国家的・政策的戦略の一環として誰かが巻き起こしたものなのか.う~む…

 もうひとつ気になることは,この結末がどうなるかです.この流れはどこに帰結・収斂していくのか.この流れがあるおかげで,我々一人一人は,以前より,より幸福になれているか.など.





<<以下,「道の駅に見える高校進学率」に対するコメント>>



> 教育を受ける期間が長くなれば、やはり何かそれだけのものがある

 明確なところで言えば,バイトの雇用主が,大卒者の方が高卒者よりも無断欠勤が少ないとか,目的意識があるとか,そういうところでしょうか.

 「アフリカなどでは近くで放牧農業を営んでいる人たちを工場労働者として雇うことができないらしい」という話を聴くと,底上げ教育というのがいかに大事かというのが分かります.暴論を言えば,日本でも九九を2桁レベルで覚えておくとかしたほうがよいのかもしれません.でも,これが,これの目的を達成するための社会的流れが,自発的に起こる仕組みは,すでにあるような気がしますね.まさしくそれこそが,上で述べた「アカデミズムの大衆化」における,下からの方向性というものに対応すると思います.「学ぶことが大切」みたいなことが自発的に起こっていく.確かにこれだけ見ればいい傾向ですね.

 では,私たちはそういう「一億総評論家時代」を手放しで喜べるのでしょうか.



> 昔だったら高卒で働いた生徒も今は大学へ進学する。

 アカデミズムのインフレが,全体の底上げにも寄与している気もまたしてきました.

追加 (ほり(管理人))
2006-09-08 23:17:01
heisanさん、どうもありがとうございます。



「プライド」については、私、ちょっと誤解される書き方になったかもしれません。もちろん、いろいろな考え方の教員がいます。あの書き方は、ちょっと「斜に構えた」表現でもあります。(笑)弁護するみたいかもしれないけれど、なんだかんだ言って、教員はみんな「真面目」です。「プライド」は、ちょっと余裕がない場合の真面目さの裏返しかもしれません。あ、でも、私、プライドはないけど、真面目ですよ、結構。(笑)



さて、6日にいただいたコメントの内容に戻りますが、高校進学率が9割を超え、大学、大学院の定員も増加している現実は、なんと言っても、「遊んでいて食べていける人が増えた」ということでしょう。だから、「教育」なんていう、最も食べて生きにくい職業従事者が増えた。社会に余裕ができてる証拠だと思います。それがそれで目出度いことでしょう。しかし、先生が食べていくために学生を増やしている、或いは、減らせない、と言う現実が出ているのでしょう。団塊の世代をもう一度大学に戻そうとするのは、大学の先生・職員が食べていくため、というのは現実にあるでしょう。でも、それが悪いとも限らない。これは日本人に「高等遊民」が増加したということに繋がるのではないかしら。人間、ヒマになったら何をするか、小人閑居してナントカと言いますが、不善以外なら、勉強ほど良いものはないでしょう。芸術か、勉学か、です。芸術は、ものによっては猫も杓子も取り組んだら自然破壊に成りかねないでしょうが、勉学、それも例えば、数学を趣味にする人が増えたら、せいぜいで、紙と鉛筆の消費で済むわけだろうし、なかなかよろしいのではないでしょうか、ということです。



「アカデミズムを装う」ことについては、その方が気分が良いからでしょうね。「専門学校」より、「大学」の方が「かっこいい」って感じで。ただ、最大の問題は、対外的にどうかと言うことになります。日本の大学の価値が下がるのでは困ります。



>>

> 生活感覚上で「役に立つこと」を好む人が多いです。

 これは…,どうでしょう.確かに表層に現れてくる限りではそうでしょうが,潜在的には役に立たないことが好きと言う人も結構いるような気がします.



私が思う「役に立たないこと」は、ホントに役に立たないこと、なのですよ。(笑)それこそ、数学とか、日頃の常識を疑うこととか、かなり抽象的なことなんです。

教員が好む「役に立たないこと」は、もっと実質的な何か実践が伴うこと。例えば、何かのコレクションをするとか、何かの具体的な研究をするとか、知識を増やすとか。これらは私の感覚ではすべて「役に立つこと」になります。(笑)

たとえば、私がこのブログに書いているようなことは、「役に立たない」。学校で話しても、「だからなんなの? それがわかって何になるの?」と言われる。理解されない。なぜなら、「具体的な方法論」を伴わないから。



今日頂いたコメント内容の「教育と研究」と関係しますが、高校教員以下に、「学説上の独創性」は必要ありません。教員に必要な独創性があるとしたら、「どう教えるか」という「具体的実践的方法に関する独創性」です。教えるべきだと決まっていることをどのように教えるか、が大事なのです。その点、研究者と大きく異なります。研究者は「学説上の独創性」が評価されますから。しかし、社会一般の学問的常識は、定説によりますから、高校までだと、それを身に付けることが大切なのです。それでまた、これを身に付けるのがなかなか大変という現実があります。(高校の「中学校化」かもしれません。)大学教育は、その上に立つ独創性になるのです。

実は今日、本も出したことがある、ある研究者的な先生に「教員は第一線を退いた人がやれば良いことだ」と言ったら、「否」と反論されました。(笑)で、上記のような私の考えを言ったら、「教えることができない人が学者になるのだ」と言われました。それで、持論の「方法論の独創性」について話したのですが、それは同意されました。教えるというのは、人間的な何かと方法論のテクニック、ともに関します。これはこれで大変と言えば大変なんだけれどね。で、話は元に戻って、もともと上手な人はなかなか教員にならない。

大体、ホントにホントにアタマのいい人は、教えるのもうまいんですよ。ただそういう人は、せいぜいで上位0,2%くらいじゃないかな。センター試験受験者50万人としたら、上位1000番くらい。そりゃ、教員になりませんよ。(笑)



>>普段,理想世界の甘い蜜を啜って生きている人たちが,ドロドロした現実世界で生きることを選ぶかもしれない生徒を教えるというのは,いいのか,ということです.



この点に関しては、私は、逆で、「だから、良いんじゃないか」とも思うんですよ。学校は、生徒が成長をするところなんです。つまり、「今の君のままではいけないよ、もっと目標を高く、君自身が向上するように上を目指そうね」が学校なんです。しかし、社会は、「今の君が向上するかどうかは問題にしない。ただし、結果として、最低限では現状維持しよう」と言う場所です。えー、学校は「構成員の無限の成長をめざすところ」で、社会は「構成員の成長は個別の問題として問題にしない。ただし、結果オーライとする場所」です。社会は、現実問題として、「問題はなんとか解決が付けばよい場所」だと思います。会社で「結果を問われる」というのはそういうことではないでしょうか。

それで、学校で生徒の成長目標を予め定めるのは、もっともらしく見えて実は、子供の成長を阻害する。なぜなら、「目標」とは「ここに達すればよい、これ以上は問題としないこと」ですから。子供の成長目標に「ここまで」はありません。どこまででも高きを目指すべきなのです。それが子供が成長すると言うことです。

学校の役割、特に公教育の役割は、在学中にがんがんに子供を成長させて能力を高め、社会に出た暁には迷惑を掛けない人間、より多くの人に貢献できるよう能力を発揮できる人間を排出することだと思うのです。

heisanさんが>>理想世界の甘い蜜を啜って生きている ことに疑問を持つのは、教員が「甘い蜜を吸っている」ことよりむしろ、教育目標が低くなっていることへの批判だと私は取りますが、いかがでしょうか。教育目標は低い方が、教員はラクできますから。



>>前者の流れは,説明責任という明確な理由・駆動力があるので論理的に納得しやすいのですが,後者の流れの発端は何だったのだろうかと考えてしまいます.市民の中から自然発生的に沸き起こってきた流れなのか,それとも国家的・政策的戦略の一環として誰かが巻き起こしたものなのか.う~む…



「説明責任」に関しては、全体を納得させられるのは、「なんだかよくわからないけれど、これはものすごいことらしい」がせいぜいでしょう。そのためには「わかることだけが良いことではない」と言う認識が前提になります。「わかりやすさ」を求める今の教育で納得できる国民が育つのかしらと疑問も持ちます。

後者の流れについては、「世界から見た日本の大学の低レベル化」さえ解消できれば特に「害」はないので問題にならないと思います。



>>では,私たちはそういう「一億総評論家時代」を手放しで喜べるのでしょうか.



食べて行ければ、身勝手に行動さえしなければいいのではないかしら。でも、今の教育ではやがて食べていくのが怪しくなりそうです。小学校で電卓で計算するのだから、底辺が下がります。将来は「日本製は不良品ばかりだ」とかならないか危惧します。



潰し (ほり(管理人))
2006-09-09 00:11:48
教員の潰しがきくきかないを書くの、忘れました。

結論だけ言うと、昔に比べて、ずっとつぶしは利くと思います。なぜなら、「お客様のご要望に応じて対応を変える」精神が学校にも入ってきているから、抵抗が少ないと思います。「押しつけをしない」とか。

ただし、「子供相手の商売」と言う点は変わらないので、つぶしは利きにくいです。

私の観点だと、教員は、つぶしが利くのは、もともともの凄く能力の高い人か、教員としての役割を十分に果たしてなかった人だという見方もできなくない、ということです。(笑)



あと、もう書くべきことなかったかしら??? 思いついたらまた書きますが、今日はお休みなさい。

例えば医専 (ほり(管理人))
2006-09-09 17:08:04
書き忘れです。



「アカデミズムのインフレ」に関して、医学も専門学校で良い、と書きました。事実、昔はそうだったでしょう。それが、「大学」の範疇に組み込まれたのには、何らかの「目的」があったはずです。それは、医学の視点から人間を根源から見直そう、とする学問的な視点だったのではないかと推測します。「総合大学」の利点として、医学を学ぶ学生も文学や理学を学ぶ学生と接することになる、或いは、同じ講義を受ける。それによって、互いに学問的な方向で啓発し合う、という大きな目的意識があったと思うのです。「大学のアカデミズム」とは、(まあ、大学人じゃないからよくわからんけど、)いわゆる根源的な学問だから、まあ、要は、すべて、「人間とはなんぞや」に関わることだと思うのです。(というか、私は学問とは、「人間について探求し、知ることだ」と思ってます。)それを医学を通して探究する。それが医学専門学校が大学医学部に変わった理由だと推測するのです。しかし、実際問題として、現実は多分そこまで行ってない。やっと近年になって、「患者の気持ちになって」という規範が生じてきたのだと思いますが、これも、ちょっと「ずれて」いると思う。「お客様のご要望に応じる、不快にさせない」という点では、どこの営業でも見られることだからです。もちろん、そのことで治癒率を上げる、等の大目的達成は大事でしょうし、「文句を言われないため」と言う隠れた目的なども推測します。しかし、これらはやはり技術的なもので、「大学のアカデミズム」とは何かちょっと違うと言う気がします。(専門家が聞いたら怒るかなぁ?)

言いたいことがぼやけましたが、医学部などが「大学」に組み込まれましたが、本来の目的が達成されているかどうかは疑問だということです。だったら、大部分が技術職になる医学は専門学校で良いじゃないかということです。



Unknown (heisan)
2006-10-22 00:01:48


長らく返信しておりませんでした,すみません^^;



あれから色々考えたんで,まとめます.



反省:

・「甘い蜜」は表現が不適切でした(_) .「日夜変動している資本主義経済社会のつらさ,厳しさの只中に身を置くことがない」ということを言いたかっただけです.

・あとやはり,これはあとになってからじわじわと思うことですが,現役で高校の先生をされている方のblogにこういうことを何の躊躇もなく書き込んでしまったのは,少しまずかったかなとも思います(いくらOKと言われようとも(笑)).私自身が公的に現役の小中高教員であれば問題ないのでしょうが…(まぁ心はそれに近いところに居たので,というか居たからこういうことが書けたのだなぁと後になってみて思います)



何を主軸に話したかったか(発端):

教員は第一線を退いた人がやるべきものではないか



最近の私の結論(?):

教員という職業は,或る意味,牧師やお坊さんと似ている.例えば,次の点で.



・人に対する職業である

・「儲けよう」という人はならない職業である

・多忙すぎることがない(あってはいけない)職業である



多忙であってはならないという点を言及するのは,「人に対する」職業であるという点が関係しています.人間多忙すぎると,読んで字の如く,心を失います.心を余裕を失っている人が,他者のサポートなんてできますかってこと.そんなことを,次のHPのことを思い出してふと思いました.



「牧師さんって日曜日以外はとってもヒマなんじゃないの?」

http://homepage2.nifty.com/room30th/gesewa/p_himahima.html



さて話を戻しましょう.牧師やお坊さんは,(荒れ狂う)社会の中で生きている人に説法をしたりしますが,「その説法される側の人間の人生経験をすべて積んでいる」というわけではありません.私(我々)は,とかく「教える」というと,教えられる側の人よりも教える側の人の方が「先人」「先達」でなければいけないという認識を持っています.きっとその認識が,「(高校)教員は一線を退いた人がなるべきなのでは?」という疑問を生じさせたのだと思います.



したがって,警察官になったことのない教員が,警察官になりたい高校生に進路指導のてほどきを施すのはなんら自然である.この一文は,「警察官」の部分を様々な職業に置き換えても成り立ちそうだ.それが例えば研究者や大学の先生であっても.



「資本主義経済の只中に居る人たちや,或いはそれを目指そうとする人たちを支援する仕事の人は,資本主義経済の只中に居た経験を必ずしも持っている必要はない」「"世間を知らない"と揶揄されるような教師が"やがては世間に出て行く人間を教えるのは,何も間違ったことではない.それは順当である.人に対する職業とはそういうものだ.」という結論が導かれそうです.



と,むりやり終わらせてみる..(笑

ご返信感謝 (ほり(管理人))
2006-10-22 22:55:15
heisanさん、ご返信をどうもありがとうございます。



私が好き勝手にたくさん書きましたので、(実は)申し訳なかったかなと思っていました。heisanさんの誠実さにありがたさを感じます。



あるお坊さんが、自分が説教をしたりするのは、坊さんはそういう仕事だからだ、みたいなことを内々におっしゃったのを聞いたことがあります。

先達や先人の教えって、求められるものなんですよね、というか、人間は、あらゆる点において、そういうのを求めちゃうんですよね。(占い師が職業としてたぶん成立するのもそんなのかな。)



若者を教える教師もその類かな。

第一線を退いた人がなると良いのは、ごくごく技術的なものを伝授する、って場合。でも、若者の成長は、それだけに規定されるモノではない。そこが、ふつーの人が坊さんに(占い師でも何でもいいんだけれど)何かを求めるように、若者が教師に求める。ただ、学校の場合は、若者本人は大して求める気持ちがなくても、「与えられてしまう」場になっていることでしょう。この制度の陰には、「若者にはそういう人(教師)を与えるのが順当である」という一種の社会的「総意」があるのでしょう。で、学校教育制度が成立する。

で、その結果、世間を知らない教師が教師たり得ているのでしょう。



ただ、教員がいくら金儲けの気持ちはなくても、牧師さん等と違ってラクそうに見えたり、いかがわしく見えたりするのは、「子ども」を支配の対象としているてんだからでしょう。大人相手の仕事とはやはり異なり、「安易さ」が見え隠れするからです。



たまに(ときどき)、頭脳明晰で優秀な生徒(高校生レベル)を嫌がる教員がいるのは、これに関係するでしょう。たとえ面と向かって言われなくても、批判的な目で見られるからだと思います。「勉強のできるヤツは人間が悪い」と思っている教員はいますから。そういう人は、たぶん、大人相手の仕事もイヤなんじゃないのかなと思ったりします。

「子ども」は、その点、扱いやすい。それに伴う「うさんくささ」を感じて、教員を批判する人がいるんじゃないのかなと思ったりします。

(で、念のためですが、「小さな子どもに批判をさせる」のは、良くないことだと思います。そこは、教員には最低限のレベルは必要です。この点、小学校の先生は最も大事な存在です。)





牧師さんのブログのご紹介、ありがとうございました。いいなあ、こういう時間がたっぷりある牧師さん。。憧れ~。。



今の学校教員は、「考える」「勉強をする」時間が減っています。

しつこく何度も書いてしまいますが、どうみても、高校生になぜ「ノート点」が必要なのでしょう。何のための勉強でしょう。ノートを書く勉強は、決して提出のため、ではないでしょう。で、宿題やノート点検に教員がかなりの時間を使う。そんなヒマがあったら、もっと違う勉強ができると思うのに。

「目先の効果」を狙う人には、例えば、「ノート点がなかったら勉強をしない生徒に勉強をさせるから有意義である」など思う人には、私の考えは通じないと思うけれど。





コメントについては、今回も、このレスを書くことで、私はまた考えを多少深めることができ、heisanさんに感謝致します。

ウチのブログ、何というか、見当はずれのコメントをくださる方が誰もいないので、その点、感謝しています。皆さん、きちんとお話?してくださるし、ほんとうにありがたいです。これからもよろしくお願いします。

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