考えるのが好きだった

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読解の極意ー言葉の対比的な関係と重層的な関係

2012年02月19日 | 教育
 ものごとを理解するとき我々は「言葉」を用いる。言葉は事物を表象するが、事物は単独で存在し得ない。すべてが繋がりを持っている。事物をそれぞれ別ものだと捉えるのは人間の恣意である。地域によって、生活集団によって、事細かな物の呼び方が異なるのが好例である。
 言葉の厄介な点は、いったん「言葉」に置き換えられると、言葉は独立して一人歩きをすることだ。「犬」と「猫」と「動物」は、基本的に、すべて対等な扱いを受けるということだ。しかし、ここで重要になるのが、「動物には、犬、猫が含まれる」という理解である。これは、なぜ、どのように、それらの言葉が生まれたかという「事物」そのものに戻らないとわからない。
 文章読解の際の理解力の根源にこれがある。読解の下手な子は、「犬」も「猫」も「動物」も、すべてが対等な対比的なものであると捉える。「犬」、「猫」、「動物」という「切り取られた物」の間隙を埋めるものを想像しないのだ。それぞれの言葉の持つ「繋がり」を捉えないということだ。
 だから、読解力を高める指導をしようと思ったら、徹底的に「言葉が持つ繋がり」の観点で思考させることが肝要になると私は思っている。
 この「繋がり」は、端的に言って、対比的な関係か連続した関係かのどちらかである。もう一つ言えば、そこにどのような次元の違いが関わるかである。この「違い」には微妙な違いがあることも多い。言語化しにくい感性に関わる場合もあると思う。事物はもともとは感性が捉えるものだからそうなる。それでも、まあ、「学校の勉強」レベルの話なら、「なんだか、違う気がする」程度であってもやむを得ないだろうと思う。(これを明解に言語化できたらどこの大学にも入れる。)確実に言えるのは、非常に多くの生徒は、言葉を「繋がり」という観点で見ないせいで勉強が出来ないわけだから、まずは、そこに眼を向けさせることが何より重要だということだ。
 しかし、これが実に難しい。
 それでも、いったんこういった思考法があることがわかれば、後は、その生徒次第である。勝手に伸びていく。
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2 コメント

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邪鬼のわめき (わど)
2012-02-22 17:41:10
実は、これを含めた3連載の記事(『正法眼蔵・・・』はむずかしいけど)に数回アクセスし、何かコメントしなければと思っていました。ですが、何をどう表わせばいいのでしょう。

まず、謝罪から入るのが適切でしょうか。以前(『can-doリスト』)、一個一個の単語は言葉の体系から孤立していると書いたことで、ちょっと悲しんでいられたのではないかと想像いたしました(現実と異なっていたとしても)。申し訳ありませんでした。

振り返れば、その記述はこちらの「誤記」です。というより、真剣に英語とも取り組んだ高校(3年)時代、「出窓」や「馬車」など古臭い英単語(単語はド忘れ)を見ると南部の田園風景を思い浮かべたりしました。『風と共に去りぬ』などの影響でしょうか。あれは言葉への愛だったかと、モニターの前に恥ずかしい記憶をよみがえらせていました。

また『私は16歳です。』は、とくに無教養な者に秀逸の内容で、何度も「むおおおーっ!」と唸ったものです。これが先生の授業ですか。ほとんど我流でスルーしてきた思春期を時間の浪費だったかと疑うのは、あまりに哀しいので疑いませんが。バカ丸出し、パワーあるのみの時代ではありました。

この『読解の極意・・・』では、文頭にソシュールを思い出し、すっかり忘れて生きてきた自分に気付きました。

すべてが繋がりあっているという思想は美しい。そしてその美しさは、ソシュールにかぎらず多くの近現代人によって指摘されてきましたが、それ以前に仏教思想としても語られてきたのですよね。たんに「万物は流転する」ではない、森羅万象の輪廻思想でしょうか。こうして武士たちは、死の悲しみを受け入れていったのでしょうか。

ほり先生は、教育者であるとともに思想家でもあります。これじゃ下手な自分の意見など・・・、と思いかけた途端、「お前が変なコメント入れたから、いい記事を引き出したかもしれないじゃん!」と、心中の邪鬼がわめきたてます。今後ともよろしくお願いいたします(笑)。
抽象ということ (ほり(管理人))
2012-02-23 00:54:03
わどさん、コメントをありがとうございます。

う〜ん、何も悲しんでませんでした。(←鈍感力)

記事は3連載ではなく、16歳はたまたま間に入り込んだだけです。でも、2連載は事実です。

>「出窓」や「馬車」など古臭い英単語(単語はド忘れ)を見ると南部の田園風景を思い浮かべたりしました。

これは正しい勉強法です。
「何でも良いから印象づけろ」が持論です。そのうちに広がってくれば良いんですよ。

「仏教=犬猫の動物説」(と名付けよう)は、自分でとても気に入っています。
厳密な人は、原始仏教と道元の仏教は違う、などおっしゃるだろうけれど、私は「違う」という相違点より「同じ」という共通点を見つけることの方が面白いと思っているから。

何だろ? 「抽象」というのは、余計な物を捨象することでなされるだろうから、そーゆー「違い」をそぎ落として見る方が、わかることが多い気がするんです。
物理の法則なんて、みんなそうだものね。私が物理が出来なかったのは、「余計な物」をそぎ落として考えることが出来なかったからです。

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