考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

一顆明珠

2006年02月05日 | 生活
 ある雑誌の連載もので、道元と白楽天の歌を取り上げていた。「釈教歌」という類があるらしい。(神道部門は「神祇歌」と呼ぶ。)僧侶が手すさびで歌ったものとされるが、西行の歌をだれも釈教歌と呼ばないのは、僧侶の場合、他に主たる著作があるからだという。だから、歌は手すさびとされてしまった。しかし、西行と道元でも、釈教歌かそうでないかの線引きは難しいらしい。
 道元の正法眼蔵には、哲学詩篇とでも呼ぶべきものがあり、彼独特の言語表現を取り除くと、詩の快い韻律が浮かび上がって来るという。「一顆明珠」や「古鏡」がそうらしい。
 「一顆明珠」は、唐代の坊さん玄沙の「尽十方世界是一顆明珠」この宇宙世界はそのままが一粒の真珠だ、というのである。ちょうど当時は、白楽天が親しまれていたらしいが、彼の詩に次のようなのがある。美しいから記す。

   春 湖上に題す
 湖上 春来たれば 画図(がと)に似たり
 乱峰囲尭(←糸偏がつく)して 水平らかに舗(し)く
 松は山面に排して 千重(せんちょう)の翠
 月は波心に点じて 一顆の珠
 ・・・

 日本では、本歌取りならぬ、漢文の詩句を抜き出して和歌に翻案する遊びがあったらしい。その中に「月点波心一顆珠」があり、白楽天の一句が秀句とされ、道元は目をとめた。

 「古鏡」についても「百錬鏡」という詩との対応が見られるらしい。道元は、自分の体験をなかなか明晰な形で言語化してとは言えないらしいが、「一顆明珠」と「古鏡」に自分の思索と体験を到達させていたのではないかという。

 引用と要約が長くなった。
 ああ、美しい、面白いなぁと思った方は、ここで読み終えた方が良いでしょう。

 
 世の中には、「歌心」のある人とない人がいると思う。私には、ない。なかった。どう見ても、ない。子どもの頃から、ない。現代国語で苦手だったのは、韻文である。俳句や短歌の解釈文なんて書けた験しがない。いつも苦痛だった。

 なのに、なんで、今回はこんなに感動したのだろう。不思議でしようがないのである。ちなみに、他の和歌の解説は少しも面白いと思わなかった。

 道元であれだれであれ、坊さんだったからか。なにせ、私は「宇宙」とか好きだからなぁ。。
 白楽天の詩はきれいだ。絵画は好きだから、イメージを喚起されたのだろう。

 なぜこんなに気に入ったのか、わからない。けど、「道元」にしても「白楽天」にしても引用はしてないけれど、「最澄」や「実朝」その他諸々、コトバだけでも聞いたことがあったのは間違いない。30年前の知識がやっと役に立ったと言うことなのか。

 関係ないけど、どこかの真珠屋さん、このイメージを広告に作れば、ある種の階層に受けるかも知れないと思うけどなぁ。

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