八兵衛のセカンドライフ

46歳で脳幹(橋)出血、現在72歳の車イス男性。ブログはFact is factで(事実だものしょーがねぇべ)

6月17日(近況)

2016年06月17日 19時46分18秒 | 日常
脳幹出血に倒れて18年生になったけど、まだ自由には歩けません。
手すり伝い歩きのフォームやスピードも、18年前に比べれば随分変わったけれど、
自由な歩行となると、まだまだかなり先のようです。
4,50歳代の若い頃には「何が何でも歩いてみせる」ことが狂気なまでの目標だったけど、
64歳になった今は、
「将来歩けるようになればそれも良し、歩けなければそれも良し」と、本音で思っています。
デイサービスからの刺激を受けるようになって、尖がっていたものが少し丸くなってきたようです。
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5 コメント

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ありがとうございます (きぼう)
2016-06-17 23:46:26
そうですか?
そこまで吹っ切れるには、随分時間が必要なのですね?
主人には、八兵衛さんは以前から伝い歩きは出来るよと伝えました。

主人は、旅行へ行こうと誘っても、
「歩けるように成ってから」
あのお店に入ってみたいというので、
車椅子で入れるよと言っても、
「歩いて入りたいの」

重度の体幹マヒだという事は、分かっている様子ですけれど、
それが、どういうことか?を正確に理解していません。
更に、感覚マヒでもあるので、自分の状態がどうなっているか?
を察知できないので、修正も出来ない、という。。。

歩けるようにリハビリを続けて行くというのは、良いと思いますが、
余りにも拘りすぎて、ほかに目がいかないのです。
私は、残りの人生を楽しんで行きたいと思うので、旅行に行ったり、
行きたい所には、気軽に行けば良いのにと思うのですけれども・・・ナカナカ・・・/face_gaan/}
Unknown (八兵衛)
2016-06-18 11:03:07
きぼうさんへ

コメント、どうもありがとうございます。

働き盛りの46歳で倒れたので、何かに向かって戦っていなければ、
自分の精神状態がダメになってしまう気がしていました。
将来とも歩けないのならそれでも良いさの境地になったのは、
女房が他界して暫くしてからのことです。
それまでは女房のほうが私より長生きすると思っていたので、
生活して行くことを考えもしていなかったです。
それが根底から崩れてしまい、歩くことより生活して行くことのほうが先になった訳です。
別に歩けなくとも毎日の生活に困らないのなら、将来とも歩けなくても良いじゃないか。
実は、そんな意味なのです。

ところで、ご主人の1週間のうちの1日を他の人にゆだねてみる。
私は生活して行くために通い始めたデイサービスでしたが、
私が行ってるデイには「寝たきり」で会話もダメな人だって何人か来ています。
ゼリー食みたいなものを食べさせてくれます。
寝たきりでも、何人かがかりで身体も洗ってお風呂にも入れてくれます。
もちろんリハビリパンツも、着るものも着させてくれますよ。
ご主人の生活環境をちょっと変えてみながら、きぼうさんも一息つける。
そんな模索をしてみても十分許されるのでは、と思いますよ。

 ps1:大勢の高齢者や身障者が、
    明るく元気に無邪気に楽しそうに過ごしているデイの光景が、
    私には大いなる刺激になりました。

 ps2:今朝のレスからの変更箇所は、本文最終行とpsの追加です。
Unknown (きぼう)
2016-06-18 20:50:19
私も、デイサービスに行ってみては?と思うのですけれど、
そうせざるを得ない状況に成らないと行かない気がします。

早く歩けるように成る為には、そんな遊んじゃいられないみたいな感覚では?
実際には、いろんなリハビリを取り入れた工夫がされているのに。

リハビリのない日は、テレビ三昧です。
そういう姿をみていると、デイに行ってみても良いのでは?
と、私は思ってしまうのです。
知らない人とも話をしてみたり、出来る様なものにチャレンジしてみたり、
世界が広がると思うのですけれどもねぇ~?
Unknown (八兵衛)
2016-06-19 05:46:20
きぼうさんへ

おはようございます。
コメント、どうもありがとうございます。

>そうせざるを得ない状況に成らないと行かない気がします。

私も全くご主人と同じでしたから、この件はよ~~~く分かります。
理屈をこねて自宅に引き籠るのは、自宅ではお山の大将で勝手きままにできるからなのです。
私がデイに通ったのは娘のつわりが重くて入院する事態になり、私の世話まで手が回らなくなったからなのでした。
女房が他界しても、同居の娘が結婚しても、自宅に籠城してきた私でしたが、
ことここに至っては白旗をあげて降参して、おとなしく?デイに助けを求めることになりました。
あれから8ヶ月。
今では逆に、私のセカンドライフはデイなしでは考えられなくなりました。

仰るようにデイではスタッフさんがいろいろ介助して手伝ってくれますから、楽しようと思えばどこまでも楽ができます。
ある意味、自宅での生活より楽できるかも知れません。
自宅生活でも、デイでの生活でも、
1つ1つの生活行動を自力でやって行こうとするか、
あるいは手伝って貰って楽に生活しようとするのか、
人によってさまざまあるところだと思いますね。

私はデイに通い始めた頃から、
手伝ってくれようとするスタッフさんに大概ノーサンキュウと言い断り、
まず自力でやってみるでしたから、
スタッフさんに「可愛げのないヤツ」と嫌われていたと思います。
今ではカラオケ好きの少し変わり者、このくらいで受け入れられているんでしょうけどね。

ご主人、1日だけの体験デイを誘ってみる手はあるかも。
体験デイでは良い印象を持って貰うために、スタッフさんは細心の心配りをするはずです。
 
追伸:楽をするのは (八兵衛)
2016-06-19 08:09:59
一度は諦めたギラギラする煩悩、
すなわち自由に歩けるようになることは、70歳を目標年齢にしています。
だから、70歳までは楽をせずに、デイのスタッフさんに嫌われても「自力」をトコトン追及するつもりです。
70歳でも歩けなかったら?
多分、75歳の後期高齢者入りまでは頑張ってみると思います。

身体の状況にもよるでしょうけど、楽を求めるのは、畏れ多くも「後期高齢者」になってからの気がします。

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