そこで才助はまず、
大阪西成郡今宮村の「紀の圧別邸」を購入し、
一部を改築して金銀分析工場とした。
明治2年10月のことである。
「紀の圧」とはこの事業を
全面的に支援してくれた九里正三郎のことで、
中クラスの両替商だったといわれる。
造幣寮の落成は3年末、
稼働開始は翌4年2月で、
この動きに金銀分析所の活動は
照準を当てていたはずである。
造幣寮に時金局が置かれ、
金銀の買い入れに当るようになるのは
同年6月のことで、
これと前後して造幣寮舎密家久世喜弘
(治作)の子息、義之介を招聘した。
長崎の歴史