古美術 崎陽

古唐津 茶碗 他お茶道具等 古美術全般を取り扱う「古美術崎陽」のHP日記

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

五代 友厚-146

2016-11-19 07:45:42 | 長崎の歴史





<若き薩摩の群像昭和57年(1982年)、
鹿児島中央駅前東口広場に
彫刻家の中村晋也が制作した
薩摩藩英国留学生17名の
像『若き薩摩の群像』
の一人として銅像が建立される。

      長崎の歴史
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

五代 友厚-145

2016-11-17 06:45:32 | 長崎の歴史



鹿児島市の泉公園にある
銅像昭和36年(1961年)、
追悼満75周年記念として故郷鹿児島に
五代友厚銅像が建立される。

平成16年(2004年)12月1日、
大阪証券取引所の新ビル完成時に、
五代友厚銅像が建立される。

      長崎の歴史



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

五代 友厚-144

2016-11-15 06:25:06 | 長崎の歴史




昭和35年(1960年)3月、
大阪市制施行70周年記念として
五代友厚創立の製藍所・
西朝陽館跡に大阪市が建碑する。

      長崎の歴史









コメント
この記事をはてなブックマークに追加

五代 友厚-143

2016-11-13 07:55:23 | 長崎の歴史



明治33年(1900年)9月、
知人や商工会議所議員が相談して、
大阪商工会議所の前庭に
五代友厚銅像が建立される。

      長崎の歴史



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

五代 友厚-142

2016-11-11 04:35:01 | 長崎の歴史
<


五代友厚の葬儀は、市電も御堂筋もまだない、
北区東区西区南区だけの大阪市の人口40万、
今でいえば北は淀川から南は大和川まで、
御堂筋パレード以上の葬儀が中之島で行われた。
それほど、大阪に尽くした功績は偉大だった。

      長崎の歴史
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

五代 友厚-141

2016-11-09 06:25:13 | 長崎の歴史




江戸後期に薩摩藩士の子として生まれ
明治初期に活躍した大実業家の五代友厚の墓である。

阿倍野墓地は見渡す限り墓石で埋め尽くされているものの、
五代友厚の墓は他より背が高く、
献じられたたくさんの石灯篭に囲まれているので、
比較的簡単に見つけ出すことができる。

      長崎の歴史




コメント
この記事をはてなブックマークに追加

五代 友厚-140

2016-11-07 05:25:32 | 長崎の歴史



墓所・霊廟・銅像
阿倍野筋4-19にある大阪市設南霊園
阿倍野墓地 顕彰碑明治18年(1885年)10月2日、
阿倍野の墓地に従五位勲四等五代友厚墓として葬られる。
阿倍野区の阿倍野筋4-19にある
大阪市設南霊園(阿倍野墓地)の
中央にランドマークのようにそびえているのが、

      長崎の歴史






コメント
この記事をはてなブックマークに追加

五代 友厚-139

2016-11-05 07:25:28 | 長崎の歴史




大阪商船、阪神電鉄、播磨水力電気、
朝鮮電気などの重役を務めたほか、
第四十二銀行や北浜銀行の整理で辣腕を振るう一方、
個性的な性格から大阪財界の変人とも言われた。
その息子である野村正二郎(野村維章男爵家へ養子)、
杉村正三郎兄弟は日本サッカーが初めて国際試合で勝利した際
(1927年第8回極東大会フィリピン戦)の出場メンバーで、
のちに正二郎は日本人初のワールドカップ観戦記を認め、
日本サッカー協会の理事も務め、
正三郎は日本代表選手として活躍した。
長男 - 秀夫
次男 - 友太郎

      長崎の歴史

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

五代 友厚-138

2016-11-03 05:05:47 | 長崎の歴史



息子の土居保太郎(1898-?)は、
子爵・大給近孝の娘・幸子と結婚し、
内閣府の文書係となり、
有識故実を調査する宮内官として欧州にも滞在、
高松宮付事務官を務めた。
四女 - 杉村久子(1883-1945)
船場の商家・杉村商店の杉村正太郎に嫁ぐ。
杉村は、鴻池や住友といった
豪商と肩を並べた素封家で
両替商の「錫正(錫屋)」の息子で、
家業の財力を元に杉村倉庫を創業し、

      長崎の歴史





コメント
この記事をはてなブックマークに追加

五代 友厚-137

2016-11-01 05:05:19 | 長崎の歴史



衆議院議員、
大阪商工会議所第7代会頭を務めた)の養女となり、
1896年に宇和島藩主・伊達宗徳の五男・剛吉郎
(1870--1949)を婿にして土居家を継いだ。
遺稿句集として『松乃華』がある。
剛吉郎は、阪東土地社長,大阪天王寺土地相談役、
阪神海岸電気鉄道の発起人などを務めた。

      長崎の歴史
コメント
この記事をはてなブックマークに追加