中日、ロッテ、日本ハム、阪神 10年間プレー、
2000年引退した与田剛さんが2008年1月に書かれた文章を紹介いたします。
与田さんの最後の「トレログ」となる今回。情報化がめざましい現代では、トレーニングに関する情報もあふれています。「ベストの練習法などない」という与田さんの言葉からは、情報に左右されず自分で考えて訓練することの大切さがわかります。
練習においては、今できることを少しずつやっていければいいと私は考えています。学校の授業でもよくあることだと思いますが、例えば40人の子供がいて、そのうちの20人は塾に通っているといった場合です。そうした子供は、学校の授業よりも先行して予習をしています。学校の授業内容を、1ヵ月も前に塾で習っている、というときに親が出てきて「もっと先に進めてくれ」などと要求したとします。しかし、クラスの残りの20人は塾に行っていないのですから、授業の内容も初めて見聞きするものばかりです。できる子ばかりに合わせてしまえば、ほとんどの人間がおいていかれてしまうのです。成長のスピードも、それぞれの子供で異なります。指導者はチームを強くすることばかりではなく、広い視野で周囲を見回せるようでなければならないと思います。
ただし、子供に対して過保護になってもいけません。情報を与えすぎると、人は迷うものです。例えば5つトレーニング方法があるとなった場合、1年間の中でその5つすべてに取り組みたくなるのです。1つしかなければ、とりあえずその1年はその1つに集中することができます。指導者があまりにも「頭でっかち」になり過ぎ、結果を出そうとして短期間に詰め込みすぎては子供たちも迷ってしまいます。
たくさん選択肢があれば、その中からベストのものを選ぶことができる、とは私は考えません。ベストとは、結果からさかのぼっていって初めてベストだとわかるもの。「結果が良かったからそれがベストだった」と思えるわけで、トレーニングを選ぶ段階で「これがベストだ」と選べるとは思えません。この練習に取り組めばどうなるかはわからない。運命的な選択とも言えるわけです。
今思い返してみると、私が学校に通っていた当時は、情報はさほど多くありませんでした。足腰を鍛えるためにタイヤ引きをやる。冬場は硬式ボールを軍手1枚でキャッチボールし、全力のノックを受けるのです。今の時代からはナンセンスとすら見える練習でしょう。こうした私がかつて取り組んでいたトレーニング方法によって、もしかしたら伸びる子もいるかもしれません。しかし、逆に潰れてしまう可能性もあります。後者を考える人が多いと思います。 そうしたとき、中学生ではまだ難しいでしょうが、高校・大学の段階になれば、自分で決めた自分が責任を持つ練習を信じてやっていくしかないと私は考えます。企業でも、「これをやれば100%儲かる」などという話はありません。しかし、結果までの過程における自分の決断と準備があるかどうかが最終的には大切になってくると思います。仮にミスをしたとしても、その後につなげていけるかどうかに関わってくるのです。
日々自分で考える訓練を積んでいけば、いずれ自分に合った理論というものが多かれ少なかれ見えてくるもの。まさにこの点を、指導者は見ていってあげなければなりません。子供たちのそうした力を引き出すための厳しさと
優しさを持つことが重要です。
デレック・ジーターは8歳のとき、ニューヨーク・ヤンキースの試合を観て「絶対このチームに入る」と思ったそうです。興奮のあまり、ベッドに入っても眠れない。夜中に親の寝室へ行き、「話がある」というのです。すると親は、夜中にもかかわらず電気をつけ、息子を座らせ、それがどんなに大変なことなのかをきちんと話して聞かせたのです。 今やジーターは大成功を収め、それまでの道のりをたどることができます。しかし当時のジーターには、成功までの道は見えていなかったはずです。スポーツ選手であれ、起業家として成功した人であれ、スタートの時点ではまったく将来が見えないところから始まっている。私も、これからどうなっていくのかまったく見えない状態でした。そこでは、自分で考えたことを信じてやり続ける以外に道はないのです。
どうでしょうか? 色々な意見があると思いますが、プロで10年経験をした方に
大して大変失礼とは思いますが 自分の考え方と大変似ている(全く同じ)と感じた。
清瀬ポニーでも現在様々な練習方法を選手へ提供している が・・・
このなかから、将来自分にあったもの おかれている状況に合わせ「choice」を
してもらえれば その時が清瀬ポニーの存在の価値なのでしょうね。