「ともに育ち、ともに学び、ともに生きる」
―ハンディを持つ娘から教えられたことー(その1)
社会には様々なハンディを持った人達がいます。障害者だけでなく一生を通じて、乳幼児・妊産婦・病人・交通事故被害者・被災者・海外旅行者・高齢者等、誰もがいわゆる「弱者」になる可能性を持ち合わせているのです{ 妊娠後期~出産後~赤ちゃんをバギーに乗せて歩く時等、階段や段差がどんなに危険で大変であったか、思い出してみて下さい。病院・美容院・映画館・コンサート等、赤ちゃん連れでは行きづらかった所も多かったはず…子育て経験者・親の介護経験者なら不自由を感じたことがあったと思います。
けれどもこの世の中は、こういった障害のない人「強者」を中心に社会が作られて来ました。どうして、そうなってしまったのでしょうか?
私達大人の多くは目や耳の不自由な人、車椅子を利用している人と出会った時、対応の仕方に戸惑ってしまいます。それは小学校入学前の就学時健康診断によって、障害を持つ子が特別支援学校(以前の養護学校)・盲学校・聾学校へと振り分けられて、子どもの頃に障害を持つ人との出会い・共に育つ機会を与えられないまま、大人になってしまったからです。
更に、勉強に遅れのある子や学習障害児(LD・アスペルガー等)は特殊学級へ、不登校児はフリースクールへ、発音や言語に問題を持つ子は言語障害児とされ「ことばの教室」へと振り分けられています。担任一人の力では行き届かないという理由で標準(普通学級)よりずれてしまう子は何かと区別・分離教育されているのが現状です。{ 良かれと思って、大人達がこのように区別(差別?)する結果、子ども達の間でいじめが起こってしまうと考えられませんか?}
海外へ行けば言葉が通じず不自由になるから、誰もが言語障害者になりえます。また、エリートコースを歩み社会的地位の高い人達の中で、不正・隠蔽工作・汚職事件を起こしてしまうモラルに欠ける人にこそ、「精神薄弱者」・「知的障害者」のレッテルを貼るべきです。
現在の教育社会は勉強指導に重点が置かれ、子どもを「教育する対象」としか見ていないようです。子どもが問題を起こした場合、その表面的な結果のみがクローズアップされてしまい、子どもが何故そんなことをしてしまったのか(どうして大人が困ることをわざとするのか?)という過程・原因が充分に考慮されていないと感じるのです。大人の都合のみで考え、子どもの立場からの論議が抜け落ちた小手先の対処療法では支援を必要としている子どもの為の根本的解決には至っていないと思うのです。
純粋な心を持っているのに、大人にとって都合の悪い行動をつい起こしてしまう、いわゆる問題を持つ子やハンディのある子は、実は自分を犠牲にしてまでも、時代のひずみ歪んだ社会背景を気づくように、大人達にサインを送ってくれているのです。矛盾した社会政策・制度の本質を改革するようにと教えてくれる「新しい時代の申し子」として考えて欲しいのです。子ども達を「問題児」・「障害児」として振り分け治療するのではなく、社会全体の在り方を正す、世直しする方向へと大人達が意識改革をしていく必要性を感じます。
{今やらなければ私達大人の高齢化社会へ、大きなツケとなって降りかかってくるのだから}
ー続くー
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