福ちゃんの散歩道

コロナ禍で関空での遊びも卒業、栂地区ウオーキングコースを中心に近場の日々の散歩で何か見つけよう。🚶‍♂️🚶‍♂️

「コウヤボウキ」の花後に小さな”綿毛”に変身です〜

2023-12-26 08:00:00 | 2018年関西国際空港の情景
コウヤボウキの花後には
冠毛には覆われた果実は
多数の種子の冠毛が開くと
全体で白い毛玉ができる
まだ先かなぁ
成長すると痩果は飛散する
綿毛
の様子





コウヤボウキの描き始めから現在
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大仙公園日本庭園の「古典菊」の菊展が開催されていた。「古典菊」とは❓

2023-12-04 08:52:00 | 2018年関西国際空港の情景

古典菊とは






ご覧下さい
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珍しい”野生種のポインセチア”が咲く”咲くやこの花館”

2023-11-24 13:52:00 | 2018年関西国際空港の情景
「ユーホルビア・プルケリマ」
ポインセチアの原種
今、流通している先祖だ
初めて野生種ポインセチアを見た
咲くやこの花館



ご覧ください
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浜寺公園バラ園の秋バラ 系統HT を見てみよー

2023-11-17 14:36:00 | 2018年関西国際空港の情景
ハイブリッドティーのばら
四季咲きです〜



詳細は下記です〜
ご覧下さいませ
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ジェット旅客機の速度は? マッハ0.8〜0.85 半世紀 変わりないけど❗️

2023-09-18 06:00:00 | 2018年関西国際空港の情景
プレイバック
2018年12月

航空機の速度は機種によりどんなに違うのかなあって?見てみた
エアバス & ボーイング ほぼ 横並びなのでスピード競争はしていない感じです。
競争は、経済性と快適性ということだなあ
リージョナルジェットも意外に早い

関空飛来の機材ピックアップ

●380と747 ✴︎新旧の巨人機
★エアバス A380 ●巡航速度 マッハ 0.89(最大)
★ ボーイング 747-8 ●巡航速度 マッハ 0.855. (旅客機)



●A350と787✴︎高い燃費性能と快適性を追求の新鋭機
★エアバス A350 ●巡航速度 マッハ 0.89(最大)
A350-900

A350-1000


★ボーイング 787 ●巡航速度 マッハ 0.85(標準)
787-8
787-9
787-10



●A330と777✴︎3・4発機を衰退させた双発機時代の主役

★エアバスA330 ●巡航速度 マッハ 0.86(最大)
330-200
330-300

★ボーイング777 ●巡航速度 マッハ 0.86(最大)
777-200
777-300



●A320と737✴︎地味だけど堂々たる「主力機」の存在
★エアバス A320 ●巡航速度 マッハ 0.82(最大)-8
A320-200
A321-200

★ ボーイング737 ●巡航速度 マッハ 0.785(標準)
737-800


● ボーイング 767・757✴︎ハイテク機の先駆けだ
★ボーイング767 ●巡航速度 マッハ 0.80
★ ボーイング757 ●巡航速度 マッハ 0.80


番外
●CRJ700とE175✴︎人気の高まる100席以下の小型機

★ボンバルディアCRJ-700NJ ●巡航速度 マッハ 0.825
★エンブラエルE175 ●巡航速度 マッハ 0.82
★エンブラエル E190. ●巡航速度 マッハ 0.82

主だったジェット旅客機の巡航速度を見てみたが、大雑把にみて マッハ0.8〜0.9の間である。
でも
マッハってピンとこないなあ〜 

✳️余談1
JAL コックピット日記より
「旅客機って、いったい何キロまでスピードが出せるんですか? 機内の画面を見ていると、乗る旅客機によってずいぶん違うような気がするんですけど……」
 これは、お客様からよく尋ねられる質問です。その度に私は、「時速600キロだったり、1100キロだったりといろいろですが、旅客機自体はいつも同じ速度で飛んでいますよ」などと答えています。
 説明を聞いた多くの方は、不思議な表情をされますが、どういうことか、皆さんはお分かりになりますか。
 旅客機の巡航スピードを示す際、私たちパイロットは音速に対しての速度「マッハ」を使います。音の伝わる速さは、海面上で気温15℃の場合、秒速約340メートル(時速約1225キロ)で、旅客機が飛ぶ上空では気温などにより変化します。
 ボーイング767の場合、巡航速度は「マッハ0.8」に設定されており、常にこのスピードで飛行するようにしています。ちなみに、上空1万メートルで、音速が秒速300メートルとなる状況ですと、ここを巡航飛行する旅客機のスピードは、マッハ0.8=時速約864キロとなります。
 それでは、常に同じスピードを出しているはずなのに、どうして画面に表示される速度が違うのでしょうか?
   その原因は「風」です。旅客機は常に風の影響を受け、中でもジェット気流は時速300キロを超えることもあり、スピードを大きく左右します。
 先日、神戸空港から那覇空港へ飛んだ際、平均時速150キロの向かい風を受けたため、平均飛行速度は時速700キロほどでした。その後、羽田空港へ向かって飛んだ時には、一転して平均時速170キロの追い風となり、平均飛行速度は時速1000キロを超えました。いずれの場合も、旅客機自体が出している速度は同じです。
 風の影響を受けながら旅客機が飛んでいる速度(地面に対する速度)は「対地速度」と呼ばれ、皆さんが機内でご覧になる画面に表示されています。旅客機と風の関係を知っていれば、画面の飛行速度を見て、「今日は追い風なのか、向かい風なのか」「どのくらい風が吹いているのか」などを、読み取ることもできるのです。
 数値一つで、目に見えない風を把握できるのって、興味深いですよね。ところで、今、皆さんが搭乗されている旅客機の対地速度は、時速何キロですか?

✳️余談2

ジェット旅客機の速度は
ほぼ同じような速さばかりなのだ

ほとんどのジェット旅客機の巡航速度は、音速(マッハ1)手前のマッハ0.8〜0.85程度で横並びだ。音速は気温などによって変わるが、概ね時速1000kmあまりだから、旅客機の巡航速度は時速800kmから900km程度となる。これは過去半世紀以上も変わっていない。
それ以前の、飛行機が発明されてからの半世紀は、旅客機は常に速く飛べるように進歩してきた。より速ければ、より速く目的地に着ける。乗客はそういう旅客機を好むから、航空会社は速い旅客機を競って導入した。航空メーカーも速い旅客機の開発に力を注いできた。現に、1920年代には時速200km以下だった旅客機の速度は、1930年代には時速300kmになり、40年代には時速500km台になった。50年代にはジェット旅客機の登場により音速手前の時速900km近くなったのだから、次は一気に音速を超えても不思議ではない。何しろ軍用機では、すでにマッハ2以上で飛べる機体も珍しくなかったのだから・・・
著音速旅客機失敗の理由
超音速旅客機の開発は各国で進められた。イギリスとフランスでは共同でマッハ2で飛ぶコンコルドを、旧ソ連は同規模のツボレフTu-144を、そしてボーイングはより大型で高速の2707を開発していた。このうちコンコルドとTu-144は実際に就航までこぎつけたが、必ずしも成功とは言えなかった。それは 経済性が低く、航続距離などの性能が十分でなく、騒音や衝撃波など環境に及ぼす影響が大きかった。
超音速旅客機は大量の燃料を消費し、爆音を轟かせながら飛ぶ。しかし、1970年代前半に石油ショックが起こって原油価格が高騰し、空港周辺の騒音も大きな社会問題になっていた。さらに超音速で飛ぶ機体から発生する衝撃波が、地上に及ぼす影響も問題視された。そのため各国は相次いで陸上での超音速飛行を禁止し、その活躍の場を狭めた。 ボーイング2707の開発も中止され、就航までこぎつけたコンコルドも航続距離が短く、大西洋横断はできても太平洋横断は無理だった。しかし途中で燃料補給のために着陸していたのでは、高速機の利点は大きく損なわれてしまう。
もうひとつ考慮しなくてはならないのは、超音速飛行にメリットがあるかということだ。新幹線ならば早く着いただけ時間を有効に使えるが、国際線には時差があるからそう簡単ではない。例えば、コンコルドが現役時代には、朝10時半にパリを出発し、それよりも早い朝9時頃にニューヨークに着いていた。これならば1日フルに活用できる。しかし朝ニューヨークを出ても、時差の関係でヨーロッパに着くのは夕方遅くであり、もう仕事にならない。それでも価値があるという人もいるだろうが、ファーストクラスより高い運賃に見合うと考える乗客がどれだけいるかどうか?。また時差の体に対する影響も考える必要がある。機内での移動時間は時差を緩和して体を慣らすための時間であると考えると、短時間で目的地に着いてしまう超音速機での旅はむしろ体に負担が大きいかもしれない。
コンコルドは2003年に全機が退役したが、その後も超音速旅客機の研究は続けられている。
2017年には、JALが小型超音速機( ビジネスクラスで45〜55席)を開発しているアメリカのベンチャー企業 ブーム・テクノロジー社に出資した。航空会社として技術的な支援をするとともに、20機分の優先権発注を得るとしている。 ブーム・テクノロジー社では、2020年の就航を目指しているが、実現できるか未知数だ。

✳️コンコルドにまつわるコラム メチャ古いですけど!

「世界最速の翼」コンコルド
イギリスのBACとフランスのシュド・アビアシオンなどが共同で開発した超音速旅客機。
初飛行は1969年3月1日で20機が製造された。
高度5万5,000から6万フィートという、通常の旅客機の飛行高度の2倍もの高度を、マッハ2.0で飛行した。定期国際運航路線に就航した唯一の超音速民間旅客機でもあった。
開発当時は世界中から発注があったものの、環境問題や開発の遅滞、価格の高騰、また大量輸送と低コスト化の流れを受けてその多くがキャンセルとなってしまう。
2000年7月25日に発生した墜落事故、2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロによって、低迷していた航空需要下での収益性改善が望めなくなった事で、2003年5月にエールフランス、同年10月24日にブリティッシュ・エアウェイズが営業飛行を終了、2003年11月26日のヒースロー空港着陸をもって全機が退役。
しかしながら超音速飛行を追求した美しいデザインや、ほぼ唯一の超音速旅客機だったこともあり、現在でも根強い人気を持つ。
開発の主導権や名称などについて2国間での対立はあったものの、1969年3月2日に原型機が初飛行に成功、同年10月1日には音速の壁を突破。
オージー翼を採用した独特の形状を持ち、高迎え角になる離着陸時に下方視界確保のため機首が折れ曲がるなどの特徴を持ち、マッハ2の超音速で巡航するコンコルドの勇姿は未来を感じさせた。
なお同時にアメリカでも超音速旅客機の開発が行われ、ボーイングやロッキード、マクドネル・ダグラスなどによる提案が行われた結果、より高速、大型のボーイング2707の開発が進んでいたが、その後開発がキャンセルされた。
残念ながら商業的には失敗に終わる
100機を超える予約 機体のの翼だったが、商業的には採算に乗らなかった
英仏の航空会社向けの量産16機(これ以外に原型機が4機)のみが行われたに過ぎず、商業的には失敗。
開発当時は「250機で採算ラインに乗る」ともいわれたが、採算ラインに乗ることはなく1976年11月2日に製造中止が決定された。不人気だった理由には以下のようなものがある。
通常よりも長い滑走距離を必要とすること、またその騒音およびソニックブームの影響を避けるために航路や乗り入れ先を選ぶコンコルドは、限られた航路に就航できたにすぎなかった。さらに「ソニックブームを発生させるため」との理由でアメリカをはじめとするいくつかの国では、超音速飛行を海上でしか認めなかった。
主に戦闘機などの超音速飛行により発生する衝撃波が生む、轟く様な大音響
超音速で飛行する物体が上空を通過した際に、何かが爆発したような2つの不連続な音として観測される。
1960年代には高高度を飛行すれば衝撃波は減衰し、地表でソニックブームは発生しないと楽観視されていたものの、ノースアメリカン XB-70 が高度約21,000mを飛行した際、地上で強力なソニックブームが観測され、減衰度は従来の予想よりもはるかに小さいことが判明。
結果、技術的には十分可能な超音速旅客機や超音速輸送機の実用化を妨げる要因になっている。
飛行距離が短いことに加えて上記の諸事情から、大西洋は飛び越せても途中給油無しでは太平洋を越えられず、日本や香港などへの極東路線を開拓できなかった。

乗客の定員が100人と少なく、運賃は他機種のファーストクラスの約20%増しと高額であったため、乗客はごく限られていた。経済的にも収益が上がらない上、オイルショックによる燃料価格の高騰がこれに拍車をかけた。
旅客機による飛行が、エグゼクティブ層向けから運賃が安くなることで大衆化するにつれ、航空業界はボーイング747のように低コストでかつ大量輸送が可能な機体を重視するようになった。
これらの理由により、最終的にエールフランスとブリティッシュ・エアウェイズの2社のみによる運行にとどまった上、1990年代には需要と収益性が高い大西洋横断路線への定期運行に集約された。これらの定期便は飛行時間短縮を望む富裕層や準富裕層顧客を中心に利用されたほか、余剰機材も団体客向けのチャーター便や、英仏両国の政府専用機としてチャーターされた。
わずか2社により十数機が使用されていたのみだが人気を博したため、エールフランスとブリティッシュ・エアウェイズの2社ともに両社のイメージリーダーとして各種広告に使用した。さらに高い人気を受けて、1990年代後半には、21世紀に入っても継続使用できるように様々な近代化改修を行うことも検討された。
事故の影響もあり終焉へと向かう
2000年7月25日、エールフランス機(Model No.101、登録番号F-BTSC)がパリのシャルル・ド・ゴール国際空港を離陸時に、滑走路上に落ちていたコンチネンタル航空のマクドネル・ダグラスDC-10型機から脱落した部品により主脚のタイヤが破裂し、タイヤ片が主翼下面に当たり燃料タンクを破損、直後に漏れ出た燃料に引火、そのまま炎上・墜落、地上で巻き込まれた犠牲者を含め113人が死亡するという大惨事になった。
エールフランスは即日、ブリティッシュ・エアウェイズもイギリスの航空当局がコンコルドの耐空証明を取り消すことが確実視されたことにより8月15日に、運航停止を決定した。
2003年4月10日、ブリティッシュ・エアウェイズとエールフランスは同年10月をもってコンコルドの商用運航を停止することを発表した。
エールフランス機は5月、ブリティッシュ・エアウェイズ機も2003年10月24日に最後の営業飛行を終え、後継機もなく超音速旅客機は姿を消した。
以後、民間人が航空路線で超音速飛行を体験する事は不可能になった。
なお、航空路線でなければ民間人向けに超音速戦闘機の体験飛行が行われているため、超音速飛行を体験すること自体は可能ではある。また、2011年6月20日エアバスの親会社が2050年をめどに新たな音速を超える航空機を開発することを発表した
2019年に「コンコルド」復活との情報と実現可能性
(CNN) 英紙テレグラフによると、超音速旅客機コンコルドの復活を目指して資金提供を募っていた団体が、1億2000万ポンド(約223億円)の資金を調達した。同団体は2019年までに運航再開を目指す意向だという。
資金を調達したのは元操縦士やファンなどでつくる団体「クラブ・コンコルド」。フランスにある2機のうち1機を買い取ってプライベート機として運用する計画を立てている。
ただし資金は調達できたとしても、運航再開には多くの困難が付きまとう。航空機に詳しい専門家は、同機を製造したメーカー(現在のエアバス)の協力は得られないだろうと予想。技術支援がなければ英民間航空局も運航を許可しないと指摘する。


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