“北の大地”に想いを寄せて

◇このエッセイは“北の大地”で育った私が、ふるさとへの想いを書き綴ったものです。

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會津藩士顕彰碑

2013年03月23日 | 抑圧と悲しみ

◇国後島を間近に臨む野付半島の先端にはトドワラ地帯がありますが、その途中にこのような顕彰碑が設置されています。厳寒の地における会津藩士たちの苦労が偲ばれます。ちなみにトドワラとは、根室振興局野付郡別海町にある、立ち枯れたトドマツ林の跡で、独特の幻想的な風景を醸し出しています。


国後島

2013年03月12日 | 抑圧と悲しみ

※言うまでもなく、国後・択捉・歯舞・色丹は、我が国固有の領土です。


函館山

2013年02月16日 | 大自然

◇ご存じ、函館山の夜景と、その反対側です。


原生花園

2013年01月12日 | 草花

◇網走周辺です。夏場の原生花園は、のどかな風情ですが、冬場は一転して荒涼たる雰囲気へと変貌します。そうです。これが「北の大地」なのです!


お墓参り

2012年10月20日 | “北の大地”

◇両親・兄・姉が静かに眠るお墓です。1週間前に撮った画像です。この日は、小雨そぼ降る、肌寒い日でした。


墓地

2012年08月25日 | ふるさと

◇私はクリスチャンなので、仏式のお墓参りには、あまり馴染みがないのですが、それでも帰郷の折には、必ず父母や兄姉が眠る墓地へと行き、お掃除をします。また、母親が存命中は、よく一緒にお寺に行ったものです。

◇お墓から眺めるふる里の風景は格別です。かつて、この近くには野外プールがあり、スケートリンクもありました。さらには美幌YHのそばにはスキー場もありました。暗くなるまでスキー遊びに熱中し、そこから真っ直ぐにスキーを滑らせてゆくと、我が家に着くことができました。月明かりを頼りに、ひとりスキーを滑らせるのは実に爽快でした。春夏秋冬は、そうした日々が日常でした。否、当時の子どもたちの多くは、そんな日常だったような気がします。

◇9月に法要があるとのことです。残念ながら行くことができません。


北海道盲導犬協会

2012年08月15日 | “北の大地”

◇札幌にある,北海道盲導犬協会の老犬ホームです。盲導犬としての役割を終えた犬たちが,優しいスタッフたちに囲まれて,静かに余生を過ごしています。


薄暮

2012年07月28日 | “北の大地”

 

◇何とも寒々しい薄暮の写真です。場所は札幌です。時期は2011年の3月です。そう、3月14日にニュージーランドから帰国しましたが、居住地までの交通が遮断されていたため、やむなく、しばらく札幌に滞在していたのです。


感慨

2012年07月08日 | “北の大地”

◇カーリングの街として知られる常呂(ところ)です。現在は北見市になっています。地名が面白いですね! こんな遠くの地まで、はるばると転住をしてきたのでしょうね。先人たちの労苦のうえに、今日(こんにち)の「北の大地」があることを知らされます。


屈斜路湖畔

2012年06月23日 | アイヌ文化と歴史

◇屈斜路湖畔にあるアイヌ資料館です。以前は、このチセの中で古老がムックリを聴かせてくれたものです。今は資料館内部の写真撮影もできなくなってしまいました。


鎖塚

2012年06月02日 | 抑圧と悲しみ

◇私が生育したふるさとから、車で1時間ほどのところに鎖塚があります。鎖塚は、北海道開拓史の「負の側面」です。


囚われびと

2012年05月19日 | 抑圧と悲しみ

◇私が網走郡美幌町の出身ですと言うと,「網走!」「監獄の?」などと訊く人が必ずいます。

◇それはともあれ,北の大地は,囚われ人(びと)たちの苦役によって開拓されたと言っても過言ではありません。


塩狩峠

2012年05月03日 | 信仰

◇三浦綾子さんの『塩狩峠』を何度、読んだことだろう。そして、何度、現地を訪れたことだろう。長野政雄氏の生涯を知り、「一粒の麦」が自分自身の終生のテーマとなりました。


三浦綾子記念文学館

2012年04月28日 | 信仰

◇画像は、旭川にある「三浦綾子記念文学館」です。『氷点』の舞台の地に建てられています。

◇学生時代の私は、むさぼるようにして三浦綾子の作品を読んでいました。神奈川県の教員採用試験の2次面接の時も、面接の順番を待っている間、『道ありき』を読んでいました。高慢さのかぎりのようで恥ずかしいのですが、自分が落ちることなど考えもしなかったのです。それよりも大切なことは「いかに生きるか?」だったからでした。それ自体は今でも考え続けていますが・・。


愁いの摩周湖

2012年04月21日 | 大自然

◇摩周湖は訪ねるごとに、その姿を変化させます。否、変化しているのは私の方なのかもしれません。