室町幕府迷宮案内

ここは、室町幕府が大好きな管理人のブログです。

臨済宗の公案でエントリーシート攻略

2012-11-11 12:18:38 | 日記

 11月も半ばに入りつつあり、就職活動に使う時間が増えたという学生も多いだろう。

その中でも履歴書やエントリーシートで悩む人が多いので、

今回はエントリーシートについて論じたい。

 就職研修屋は、「就職の採用基準で1番大切なのは面接であり、
その他のエントリーシート・学部成績などは参考資料にすぎない」という趣旨の主張をしていることが多い。

 さらに、上記の主張をしている就職研修屋の中には、
「第一印象が1番大切。
第一印象だけで内定獲得の当否が決まる。
企業に第一印象を抱かせるエントリーシートは極めて重要だ」などという趣旨の主張をしているところも多い。

 第一印象が1番大切と言っておきながら、採用者側が面接に先立って
目を通すエントリーシート・学部成績は参考程度という主張をしているのである。

 抽象的なことを言っても評価されないと言っておきながら、
定義すら決まっていないコミュニケーション能力が1番大切などと主張するのと同じく、
就職研修業界最大級の論理破綻であろう。

 さらに、ひどい就職研修屋になると、同じ講演・同じ書籍の中で、
エントリシートが1番大切な第一印象を企業に決定させるとしておきながら、
エントリーシートは参考程度という主張を展開しているところまである。

 自らの主張に矛盾がないかという点すら、確認していないのである。
あるいはわかっていても、それを修正すると、
自らの主張が根本から崩壊し、商売が成り立たなくなるから、
そのままにしているのであろうか。

 このブログの読者は周知の通り、
就職研修屋の主張するようなメラビアンの法則やコミュニケーション能力はどこにも存在しない。
それにも関わらず、彼らはそれを科学的に立証されたと言い張り、
論文の和訳すら読んでいないような主張をしている。
(このブログを読むのが初めてという人は、最終段落の補足を読んで欲しい)

 学校側も就職研修屋に仕事を頼む前に、彼らの主張することが本当に正しいのか、
彼らが根拠としている論文の和訳だけでも読んで調査すれば良いものをその手間すら惜しんで
就職研修屋に仕事を頼むから、ますます就職研修屋の思うつぼになっているのである。

 さらには、その学校内での講演の際に、就職研修屋の案内のビラを配るところまで存在する。
学生を守るべき立場にある学校側(就職課)が、学生を守るどころか、
就職研修屋に、場所・時間まで与えて、その活動に加担しているのである。

 毎回高額な講演料を就職研修屋に払うのに比べれば
和訳された論文の本代など数千円で済むにも関わらず、
それすら読まずに就職研修屋から人間を派遣してもらい、
本棚には就職研修屋の本ばかり並べている学校が多い。
就職研修屋に仕事を頼んだ方が就職課の仕事量も減って助かるなどとでも
思っているのであろうか。
この点に関して、学校側(就職課)は猛反省するべきである。

 また、最近は大規模な会社説明会があると、帰り道、駅までの間に就職研修屋の職員が立っていて
勧誘を行っているところまで多々見掛けられるようになった。
このようなキャッチセールスを行う就職研修屋の話は、特に要注意だ。
これこそ、まさに耳を傾けてはいけない典型事例である。
「就職活動中ですか?」などと訊かれても、「違います」などと言って
早々にその場を立ち去るべきである。
冒頭で紹介した幸せの壺売りのような勧誘を行うのは
このように路上で声を掛けてきている人たちに多いのである。

 美容整形業界・結婚活動研修業界(婚活研修業界)では
「顔面偏差値」・「恋愛偏差値」という言葉を使用しているところが多い。
一見して、この用語は、美容整形業界・結婚活動研修業界などが
自分たちが儲かるために使っている用語だとわかるであろう。
「コミュニケーション能力」などはまさに「恋愛偏差値」と狭義でも同じ分類の用語である。
このような研修屋がつくった造語に、未だに惹かれる者までいる。

 なぜ、就職研修屋が「コミュニケーション能力」などという造語を使うのであろうか。
もしも、コミュニケーション能力を職場の人とうまくやっていく能力と定義するならば、
それは「人当たりの良さ」とほとんど同じ意味である。

 それにも関わらず、就職研修屋がコミュニケーション能力という表現にこだわるのは、
顧客の就職活動がうまくいかなかった場合、「コミュニケーション能力の養成が
不十分だったから」と言い、責任を顧客に転嫁できるからである。
もしも、「人当たりの良さ」という表現を使ってしまうと、
抽象的ながら、古くから存在する日本語であるため、
広いながらもある程度、範囲が限られてしまう。
そこで、コミュニケーション能力という日本語とカタカナ英語を併用した造語を使うことによって
より概念を抽象的にして、就職研修屋の責任を無に等しくしているのである。

(補足:就職研修屋の虚実)

(1)「なぜ働くか」という問いは、「ひょうたんでどじょうを捕まえる方法を答えよ」という問いとイコールである。にもかかわらず、第一印象を良くして生活費のためだと答えたり、家族の笑顔のためだと答えたりする者が後を絶たない。就職の面接本を読んでいる時間を臨済宗の入門書の読解に充てるべきである。

 上記の見解に対して、メラビアンの法則によれば、見掛け(外見)の情報のみで全印象の93パーセントが形成されるという反論があるかも知れない。
 しかし、メラビアン博士(この人は就職業界では有名人だというのに、心理学界ではあまり有名ではない)の行った実験は「Maybe(たぶん)」という英単語1つだけを様々な表情・しぐさ(写真のみ)・声質(録音した音声のみ)で相手に伝えた時の相手に与えた印象の結果などについて調べただけにすぎない。
 しかも、心理学について書かれた分厚い辞典を調べてもメラビアンの法則という項目は存在しない。心理学の世界ではその程度の扱いの法則が就職業界を牛耳っているのである。

(2)経営コンサルタント・就職研修屋に仕事を頼む前に読んでおくべき書籍。
『非言語コミュニケーション』(聖文社、A・マレービアン、西田司他訳)を読んでもらいたい。
この本は絶版になっているので、図書館などで読んで欲しい。

 また、上の和訳の本が入手できない場合、
『反社会学講座』(筑摩書房、パオロ・マッツァリーノ、2007年)の
139ページ以降を読んでもらいたい。

 この本は、稲葉振一郎明治学院大学教授が『社会学入門』(日本放送出版協会、2009年)の
巻末付録の読書案内でも紹介している。

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年度初めの面接戦術

2012-04-22 14:16:54 | 日記

 昨年辺りから企業によって、採用日程がかなりずれているが、
4月に入り、最終面接を控えていたり、最終面接がなかなか突破できなかったりして
悩んでいる人も相当数いるであろう。
今回は、最終面接周辺で落ちたり、卒業まで就職活動を続ける予定の大学4年生を対象とした日記を書く。

 実は、最終面接は1次面接で落ちまくっているような人があっさり受かることが多々ある。
これは面接官の年齢の差が原因であることが多い。
最終面接となると、それなりに大きな会社でも取締役クラスの人が出てきやすい。
1次面接では、「子供(学生)のことは子供(若い社員)にやらせればいい」という思想が
働くのか、入社5年目くらいの社員が担当することが多い。
20代と50代ではどういう点を評価するかがかなり異なる。
下手をすると、評価が真逆になってくる。

 こうした最終面接をどのように突破すればいいのか。
1番手堅い方法は、面接官に「自分はあなたと同じ世界の人間です」と
わかってもらうことである。

 近年、鼻にまでピアスをしたり、1日中携帯電話をいじっている人が増えている。
もちろん、面接にピアスをつけたりしていく人はほとんどいないであろうが、
派手さ・明るさは残る。
50代・60代の中には、『最近の若者は自分たちとは考え方が違う。ついて行けない・・・』
などと思っている人が多い。
そんな時、流行とは無縁の地味な学生が来ると、「自分たちと同じだ」と安心する。
最終面接で将棋の話しかしないのに内定がもらえたなどという学生はまさにこのパターンである。
仮に1次面接で落ちまくっていても不安になる必要など全くない。
そういう人は、1次面接は少し手を抜く位のつもりで、ほどほど感を出して
二次面接、三次面接へと行き、最終面接は上記の方法で突破すればいいのである。


 世界同時不況とゆとり教育世代の社会人化(ここでは、2003年春に
義務教育を終えた世代という意味)がちょうど同時期だったので、
久し振りに、分数ができない大学生などの話題を持ち出し、
だれでも大学生になれて大卒の価値が落ちて就職できないという理論を創り出した。

 しかし、この理論は中卒は金の卵と言われた時代を完全に無視した主張であり、
高度経済成長期、地方から中卒の若者が東京・大阪などの大都市圏の企業に
集団就職していた時代に生きていた人なら、すぐにおかしいと気付くであろう。
もっと言うと、1990年代に入ってからでも、中卒者の就職は学校側で斡旋していた。
大学生でも、以前は学校経由の就職活動が当然のように行われ
その頃は、大学4年生の10月までは採用活動は行わないと企業同士で協定を
結んでいた。
バブル期にはフライングで、密かに学生の自宅に電話をかけて
こっそり説明会を開き、その場で内定を出すという荒技を行う企業もいて
同業者の企業から強い批難を集めることもあった。

 このように就職研修屋の話す戦後経済史の話には要注意である。
彼らは統計の羅列を見せて、自分たちの主張の正当性を装うことが多いが、
その統計の起点によく注目してもらいたい。
「今年はマスコミで言われているほど、就職状況は悪くないことは
過去の統計を見ても明らかだ」という趣旨のことを
1992年以降の就職内定率のデーターを見せて言っても
全く説得力はない。

 1991年以前のデーターはどうしたのであろうか。
紙のスペースがなかったなどという言い訳は通用しない。
故意にバブル期及びそれ以前のデーターを隠匿しているのである。

 1980年代以前は大学が、就職活動の仲介者として大きな役割を果たしていた。
バブル期のデーターは言いがかりをつけるのが難しく、
バブルより前のデーターは就職環境の違いを解説した上で
言いがかりをつける他なく、就職研修屋としては不都合この上ない。
ゆえに、バブル崩壊後のデーターのみを載せているのである。

 さらに言うと、以前、転職希望者向けの文章で書いた通り、
その当時は「コミュニケーション能力」などという就職研修屋のデタラメ造語も存在しなかった。
現在の転職希望者には、就職研修屋(あるいは転職斡旋業者)が「コミュニケーション能力」・
「ヒューマンスキル」などという自分たちが就職した頃にはなかった言葉を聞いて
「わかりやすく、日本語で説明してくれ」という方も多い。
就職研修屋のデタラメ造語に振り回される者にはたまったものではないであろう。

 このブログの読者は周知の通り、
就職研修屋の主張するようなメラビアンの法則やコミュニケーション能力はどこにも存在しない。
それにも関わらず、彼らはそれを科学的に立証されたと言い張り、
論文の和訳すら読んでいないような主張をしている。
(このブログを読むのが初めてという人は、最終段落の補足を読んで欲しい)

 もはや、科学などではなく、疑似科学・オカルトの世界である。
20年ほど前に流行していた各種の啓蒙セミナーにかなり近い分類になろう。

 学校側も就職研修屋に仕事を頼む前に、彼らの主張することが本当に正しいのか、
彼らが根拠としている論文の和訳だけでも読んで調査すれば良いものをその手間すら惜しんで
就職研修屋に仕事を頼むから、ますます就職研修屋の思うつぼになっているのである。

 さらには、その学校内での講演の際に、就職研修屋の案内のビラを配るところまで存在する。
学生を守るべき立場にある学校側(就職課)が、学生を守るどころか、
就職研修屋に、場所・時間まで与えて、その活動に加担しているのである。

 毎回高額な講演料を就職研修屋に払うのに比べれば
和訳された論文の本代など数千円で済むにも関わらず、
それすら読まずに就職研修屋から人間を派遣してもらい、
本棚には就職研修屋の本ばかり並べている学校が多い。
就職研修屋に仕事を頼んだ方が就職課の仕事量も減って助かるなどとでも
思っているのであろうか。
この点に関して、学校側(就職課)は猛反省し、
今後、このような悪質な就職研修屋とは一切契約しないべきである。

 また、最近は大規模な会社説明会があると、帰り道、駅までの間に就職研修屋の職員が立っていて
勧誘を行っているところまで多々見掛けられるようになった。
このようなキャッチセールスを行う就職研修屋の話は、特に要注意だ。
これこそ、まさに耳を傾けてはいけない典型事例である。
「就職活動中ですか?」などと訊かれても、「違います」などと言って
早々にその場を立ち去るべきである。
冒頭で紹介した幸せの壺売りのような勧誘を行うのは
このように路上で声を掛けてきている人たちに多いのである。

 美容整形業界・結婚活動研修業界(婚活研修業界)では
「顔面偏差値」・「恋愛偏差値」という言葉を使用しているところが多い。
一見して、この用語は、美容整形業界・結婚活動研修業界などが
自分たちが儲かるために使っている用語だとわかるであろう。
「コミュニケーション能力」などはまさに「恋愛偏差値」と狭義でも同じ分類の用語である。
このような研修屋がつくった造語に、未だに惹かれる者までいる。

 なぜ、就職研修屋が「コミュニケーション能力」などという造語を使うのであろうか。
もしも、コミュニケーション能力を職場の人とうまくやっていく能力と定義するならば、
それは「人当たりの良さ」とほとんど同じ意味である。

 それにも関わらず、就職研修屋がコミュニケーション能力という表現にこだわるのは、
顧客の就職活動がうまくいかなかった場合、「コミュニケーション能力の養成が
不十分だったから」と言い、責任を顧客に転嫁できるからである。
もしも、「人当たりの良さ」という表現を使ってしまうと、
抽象的ながら、古くから存在する日本語であるため、
広いながらもある程度、範囲が限られてしまう。
そこで、コミュニケーション能力という日本語とカタカナ英語を併用した造語を使うことによって
より概念を抽象的にして、就職研修屋の責任を無に等しくしているのである。 



(補足:就職研修屋の虚実)

(1)「なぜ働くか」という問いは、「ひょうたんでどじょうを捕まえる方法を答えよ」という問いとイコールである。にもかかわらず、第一印象を良くして生活費のためだと答えたり、家族の笑顔のためだと答えたりする者が後を絶たない。就職の面接本を読んでいる時間を臨済宗の入門書の読解に充てるべきである。

 上記の見解に対して、メラビアンの法則によれば、見掛け(外見)の情報のみで全印象の93パーセントが形成されるという反論があるかも知れない。
 しかし、メラビアン博士(この人は就職業界では有名人だというのに、心理学界ではあまり有名ではない)の行った実験は「Maybe(たぶん)」という英単語1つだけを様々な表情・しぐさ(写真のみ)・声質(録音した音声のみ)で相手に伝えた時の相手に与えた印象の結果などについて調べただけにすぎない。
 しかも、心理学について書かれた分厚い辞典を調べてもメラビアンの法則という項目は存在しない。心理学の世界ではその程度の扱いの法則が就職業界を牛耳っているのである。

(2)経営コンサルタント・就職研修屋に仕事を頼む前に読んでおくべき書籍。
『非言語コミュニケーション』(聖文社、A・マレービアン、西田司他訳)を読んでもらいたい。
この本は絶版になっているので、図書館などで読んで欲しい。

 また、上の和訳の本が入手できない場合、
『反社会学講座』(筑摩書房、パオロ・マッツァリーノ、2007年)の
139ページ以降を読んでもらいたい。

 この本は、稲葉振一郎明治学院大学教授が『社会学入門』(日本放送出版協会、2009年)の
巻末付録の読書案内でも紹介している。

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壺売りの論理で仕事をするデタラメ就職研修屋

2012-04-08 19:53:35 | 日記

 銀行に限らず、郵便局でも月末の25日などに行くと、ATMコーナーは混雑している。
また、最近はATMコーナーで振り込め詐欺に警戒を促すビラや店内放送が流れていることも多い。
少し前まで悪徳商法の主流だったヒモ売り(暴力団関係者や刑務所を出たばかりと名乗る人が
普通のヒモを不当に高い値段で押し売りするケース)や幸せの壺売りよりも、振り込み詐欺の方が有名な位である。

 次に、幸せの壺売りとは、占い師や啓蒙団体の幹部などを名乗る人が自宅にやって来て
「あなたはこのままでは、不幸になる。
それを回避するには、この壺(つぼ)を買うしかない。
この壺を買って幸せになるのですか?
それとも買わずに不幸になるのですか?」と契約を迫るのである。

 気付いた方もいるかも知れないが、この壺売りの言っていることは少しおかしい。

 論理的に考えると
・壺を買って、幸せになる可能性
・壺を買ったけど、不幸になる可能性
・壺を買わなかったけど、幸せになる可能性
・壺を買わなくて、不幸になる可能性
の4つの可能性が存在している。

 本来、今後の可能性として、論理的には4通りあるにも関わらず
壺売りの人は、2通りしか、示していないのである。

 同じことは就職研修屋にも言える。
「このガイダンス・指導を受けて、内定をもらうか
受けずに独学でやって、落ちるか
どちらが良いですか?」と契約を迫るのである。

 こんな就職研修屋に耳を貸してはいけない。
ガイダンス・指導を受けずに内定をもらう方を選べば良いのである。

 このブログの読者は周知の通り、
就職研修屋の主張するようなメラビアンの法則やコミュニケーション能力はどこにも存在しない。
それにも関わらず、彼らはそれを科学的に立証されたと言い張り、
論文の和訳すら読んでいないような主張をしている。
(このブログを読むのが初めてという人は、最終段落の補足を読んで欲しい)

 学校側も就職研修屋に仕事を頼む前に、彼らの主張することが本当に正しいのか、
彼らが根拠としている論文の和訳だけでも読んで調査すれば良いものをその手間すら惜しんで
就職研修屋に仕事を頼むから、ますます就職研修屋の思うつぼになっているのである。

 さらには、その学校内での講演の際に、就職研修屋の案内のビラを配るところまで存在する。
学生を守るべき立場にある学校側(就職課)が、学生を守るどころか、
就職研修屋に、場所・時間まで与えて、その活動に加担しているのである。

 毎回高額な講演料を就職研修屋に払うのに比べれば
和訳された論文の本代など数千円で済むにも関わらず、
それすら読まずに就職研修屋から人間を派遣してもらい、
本棚には就職研修屋の本ばかり並べている学校が多い。
就職研修屋に仕事を頼んだ方が就職課の仕事量も減って助かるなどとでも
思っているのであろうか。
この点に関して、学校側(就職課)は猛反省するべきである。

 また、最近は大規模な会社説明会があると、帰り道、駅までの間に就職研修屋の職員が立っていて
勧誘を行っているところまで多々見掛けられるようになった。
このようなキャッチセールスを行う就職研修屋の話は、特に要注意だ。
これこそ、まさに耳を傾けてはいけない典型事例である。
「就職活動中ですか?」などと訊かれても、「違います」などと言って
早々にその場を立ち去るべきである。
冒頭で紹介した幸せの壺売りのような勧誘を行うのは
このように路上で声を掛けてきている人たちに多いのである。

 美容整形業界・結婚活動研修業界(婚活研修業界)では
「顔面偏差値」・「恋愛偏差値」という言葉を使用しているところが多い。
一見して、この用語は、美容整形業界・結婚活動研修業界などが
自分たちが儲かるために使っている用語だとわかるであろう。
「コミュニケーション能力」などはまさに「恋愛偏差値」と狭義でも同じ分類の用語である。
このような研修屋がつくった造語に、未だに惹かれる者までいる。

 なぜ、就職研修屋が「コミュニケーション能力」などという造語を使うのであろうか。
もしも、コミュニケーション能力を職場の人とうまくやっていく能力と定義するならば、
それは「人当たりの良さ」とほとんど同じ意味である。

 それにも関わらず、就職研修屋がコミュニケーション能力という表現にこだわるのは、
顧客の就職活動がうまくいかなかった場合、「コミュニケーション能力の養成が
不十分だったから」と言い、責任を顧客に転嫁できるからである。
もしも、「人当たりの良さ」という表現を使ってしまうと、
抽象的ながら、古くから存在する日本語であるため、
広いながらもある程度、範囲が限られてしまう。
そこで、コミュニケーション能力という日本語とカタカナ英語を併用した造語を使うことによって
より概念を抽象的にして、就職研修屋の責任を無に等しくしているのである。 



(補足:就職研修屋の虚実)

(1)「なぜ働くか」という問いは、「ひょうたんでどじょうを捕まえる方法を答えよ」という問いとイコールである。にもかかわらず、第一印象を良くして生活費のためだと答えたり、家族の笑顔のためだと答えたりする者が後を絶たない。就職の面接本を読んでいる時間を臨済宗の入門書の読解に充てるべきである。

 上記の見解に対して、メラビアンの法則によれば、見掛け(外見)の情報のみで全印象の93パーセントが形成されるという反論があるかも知れない。
 しかし、メラビアン博士(この人は就職業界では有名人だというのに、心理学界ではあまり有名ではない)の行った実験は「Maybe(たぶん)」という英単語1つだけを様々な表情・しぐさ(写真のみ)・声質(録音した音声のみ)で相手に伝えた時の相手に与えた印象の結果などについて調べただけにすぎない。
 しかも、心理学について書かれた分厚い辞典を調べてもメラビアンの法則という項目は存在しない。心理学の世界ではその程度の扱いの法則が就職業界を牛耳っているのである。

(2)経営コンサルタント・就職研修屋に仕事を頼む前に読んでおくべき書籍。
『非言語コミュニケーション』(聖文社、A・マレービアン、西田司他訳)を読んでもらいたい。
この本は絶版になっているので、図書館などで読んで欲しい。

 また、上の和訳の本が入手できない場合、
『反社会学講座』(筑摩書房、パオロ・マッツァリーノ、2007年)の
139ページ以降を読んでもらいたい。

 この本は、稲葉振一郎明治学院大学教授が『社会学入門』(日本放送出版協会、2009年)の
巻末付録の読書案内でも紹介している。

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デタラメ就職研修屋が日本経済を破滅に導く

2012-03-23 23:30:00 | 日記

 3月も下旬に入り、年度末の影響などで就職活動にも

4月上旬まで少し空きが出ているという人も多いだろう。

今回は、就職活動中の大学生が、デタラメ就職研修屋などに騙されないように、

色々と書いていきたいと思う。

 昨今の新書ブームにより、新書出版のハードルは大幅に下がった。
従来、大学教員や博物館職員などその道の専門家によって書かれていた新書が
新聞記者やコンサルタント会社関係者などによっても数多く書かれ始めたのである。
言い換えると、質の低い新書が増えたということである。
新聞記者はあっちこっちの本から切り貼りするのが得意であるが、
その結果、めちゃくちゃな内容の本であっても、真実だと思ってしまう読者が出てしまう。
また、コンサルタント会社関係者などは、新書を広告のツールとして使っている場合が多く
自分の商売がうまくいくように書いて、後々の講演収入などにつなげている。

 その一例が「大手病」の意味である。
欧米では、大企業の組織運営が官僚化し、
柔軟さを欠いていくことを「大手病」・「大企業病」などと呼んでいる。
それにも関わらず、日本の就職研修屋は大手しか受けない求職者のことを
「大手病」という意味にした。
本来の意味から遊離した、めちゃくちゃな定義付けを行ったのである。
社会学者でなくても、文学部で英語・フランス語・ドイツ語などを教えている先生なら
知っているような基本知識である。

 就職研修屋には資格など専門知識を持ち合わせていない組織が多い。
退職した元会社員が細々と経営していたり、大手企業が宣伝を兼ねて片手間でやっていたりするところが
大半だから当然と言えば当然である。
それに資格が就職の決め手になると宣伝するのは資格取得系予備校のお家芸であり、
普通の就職研修屋に勝ち目はない。

 そこで、資格取得系予備校に対抗できない普通の就職研修屋は
「資格など、就職では役に立たない。
内定獲得で最も大切なのはコミュニケーション能力だ」などと言い立てるのである。
しかし、このブログの読者は周知の通り、就職研修屋の主張するようなメラビアンの法則やコミュニケーション能力はどこにも存在しない。
それにも関わらず、彼らはそれを科学的に立証されたと言い張り、
論文の和訳すら読んでいないような主張をしている。
(このブログを読むのが初めてという人は、最終段落の補足を読んで欲しい)

 デタラメ就職研修屋の主張するところの
資格ばかり持っていて仕事の対人関係ができていない人とは、会社にやってきて
会社の人と仕事のことも含めて全く話さないような人を想定している。
一般に言われるところの「人付き合いの悪い会社員」であっても
業務上、必要な会話は交わす。
それにも関わらず、就職研修屋の主張は現実にありもしない特異事例を大前提にしているのだから
それが社会で通用するわけもない。

 学校側も就職研修屋に仕事を頼む前に、彼らの主張することが本当に正しいのか、
彼らが根拠としている論文の和訳だけでも読んで調査すれば良いものをその手間すら惜しんで
就職研修屋に仕事を頼むから、ますます就職研修屋の思うつぼになっているのである。

 さらには、その学校内での講演の際に、就職研修屋の案内のビラを配るところまで存在する。
学生を守るべき立場にある学校側(就職課)が、学生を守るどころか、
就職研修屋に、場所・時間まで与えて、その活動に加担しているのである。

 毎回高額な講演料を就職研修屋に払うのに比べれば
和訳された論文の本代など数千円で済むにも関わらず、
それすら読まずに就職研修屋から人間を派遣してもらい、
本棚には就職研修屋の本ばかり並べている学校が多い。
就職研修屋に仕事を頼んだ方が就職課の仕事量も減って助かるなどとでも
思っているのであろうか。
この点に関して、学校側(就職課)は猛反省し、
今後、このような悪質な就職研修屋とは一切契約しないべきである。

 また、最近は大規模な会社説明会があると、帰り道、駅までの間に就職研修屋の職員が立っていて
勧誘を行っているところまで多々見掛けられるようになった。
このようなキャッチセールスを行う就職研修屋の話は、特に要注意だ。
これこそ、まさに耳を傾けてはいけない典型事例である。
「就職活動中ですか?」などと訊かれても、「違います」などと言って
早々にその場を立ち去るべきである。
冒頭で紹介した幸せの壺売りのような勧誘を行うのは
このように路上で声を掛けてきている人たちに多いのである。

 美容整形業界・結婚活動研修業界(婚活研修業界)では
「顔面偏差値」・「恋愛偏差値」という言葉を使用しているところが多い。
一見して、この用語は、美容整形業界・結婚活動研修業界などが
自分たちが儲かるために使っている用語だとわかるであろう。
「コミュニケーション能力」などはまさに「恋愛偏差値」と狭義でも同じ分類の用語である。
このような研修屋がつくった造語に、未だに惹かれる者までいる。

 なぜ、就職研修屋が「コミュニケーション能力」などという造語を使うのであろうか。
もしも、コミュニケーション能力を職場の人とうまくやっていく能力と定義するならば、
それは「人当たりの良さ」とほとんど同じ意味である。

 それにも関わらず、就職研修屋がコミュニケーション能力という表現にこだわるのは、
顧客の就職活動がうまくいかなかった場合、「コミュニケーション能力の養成が
不十分だったから」と言い、責任を顧客に転嫁できるからである。
もしも、「人当たりの良さ」という表現を使ってしまうと、
抽象的ながら、古くから存在する日本語であるため、
広いながらもある程度、範囲が限られてしまう。
そこで、コミュニケーション能力という日本語とカタカナ英語を併用した造語を使うことによって
より概念を抽象的にして、就職研修屋の責任を無に等しくしているのである。 



(補足:就職研修屋の虚実)

(1)「なぜ働くか」という問いは、「ひょうたんでどじょうを捕まえる方法を答えよ」という問いとイコールである。にもかかわらず、第一印象を良くして生活費のためだと答えたり、家族の笑顔のためだと答えたりする者が後を絶たない。就職の面接本を読んでいる時間を臨済宗の入門書の読解に充てるべきである。

 上記の見解に対して、メラビアンの法則によれば、見掛け(外見)の情報のみで全印象の93パーセントが形成されるという反論があるかも知れない。
 しかし、メラビアン博士(この人は就職業界では有名人だというのに、心理学界ではあまり有名ではない)の行った実験は「Maybe(たぶん)」という英単語1つだけを様々な表情・しぐさ(写真のみ)・声質(録音した音声のみ)で相手に伝えた時の相手に与えた印象の結果などについて調べただけにすぎない。
 しかも、心理学について書かれた分厚い辞典を調べてもメラビアンの法則という項目は存在しない。心理学の世界ではその程度の扱いの法則が就職業界を牛耳っているのである。

(2)経営コンサルタント・就職研修屋に仕事を頼む前に読んでおくべき書籍。
『非言語コミュニケーション』(聖文社、A・マレービアン、西田司他訳)を読んでもらいたい。
この本は絶版になっているので、図書館などで読んで欲しい。

 また、上の和訳の本が入手できない場合、
『反社会学講座』(筑摩書房、パオロ・マッツァリーノ、2007年)の
139ページ以降を読んでもらいたい。

 この本は、稲葉振一郎明治学院大学教授が『社会学入門』(日本放送出版協会、2009年)の
巻末付録の読書案内でも紹介している。

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デタラメ就職研修屋と織田信長はどちらが天才か?

2012-02-28 21:28:11 | 日記

 考古学の分野では遺跡捏造問題が時々話題に上るが、就職研修屋の主張はこれより数段ひどい。
義務教育の教科書レベルの日本史知識さえ、
無視した主張を続けている者までいる。

 戦国時代に来日したキリスト教の宣教師として著名なフロイスが書き残した「フロイス日本史」によれば、
本能寺の変が起きた1582年6月2日早朝、織田信長は顔を洗っている時に明智光秀の軍勢の襲撃を
受けたことになっている。
この時、織田信長の護衛はわずか100人前後しかいなかった。
明智光秀軍1万3000人の攻撃を防ぐことなどできるはずもなく、
織田信長は自害に追い込まれた。
数日前、織田信長は明智光秀と直接対面していたが、
謀反は全く予想していなかったのである。

 就職研修屋や企業の採用担当者の中には
「面接で嘘をついてもすぐわかる」
「面接官には学生が思っていることなど全てわかる」などという趣旨の発言を繰り返している者が相当数いる。

 しかし、他人の心の中など、神様か、仏様でもない限り、わかるわけがない。
もしも、他人の心が全て読めるなら、会社勤めなどしないで、
新興宗教を立ち上げているであろう。
まだ、神主さんやお坊さんの方が他人の心を読む能力が高い。

 現代のサラリーマンなどとは比べ物にならないほどの
修羅場を生き抜いてきた織田信長でさえ、明智光秀の心は読めなかった。
その結果、わずかな供だけで本能寺に泊まり、明智光秀の軍勢に襲われて、自害に追い込まれた。
織田信長よりも優秀な人が就職の面接官など、普通はやらない。
他人に雇われて、日々の雑務に追われているなどしていたら、その時点で織田信長より劣っている。

 近年、大学でも霊感商法対策・啓蒙セミナー対策が進んでいる。
霊感商法で最も有名なのは、幸せの壺売りの事例であろう。

 これは占い師や啓蒙団体の幹部などを名乗る人が自宅にやって来て
「あなたはこのままでは、不幸になる。
それを回避するには、この壺(つぼ)を買うしかない。
この壺を買って幸せになるのですか?
それとも買わずに不幸になるのですか?」と契約を迫るのである。

 気付いた方もいるかも知れないが、この壺売りの言っていることは少しおかしい。

 論理的に考えると
・壺を買って、幸せになる可能性
・壺を買ったけど、不幸になる可能性
・壺を買わなかったけど、幸せになる可能性
・壺を買わなくて、不幸になる可能性
の4つの可能性が存在している。

 本来、今後の可能性として、論理的には4通りあるにも関わらず
壺売りの人は、2通りしか、示していないのである。

 同じことは就職研修屋にも言える。
「このガイダンス・指導を受けて、内定をもらうか
受けずに独学でやって、落ちるか
どちらが良いですか?」と契約を迫るのである。

 こんな就職研修屋に耳を貸してはいけない。
ガイダンス・指導を受けずに内定をもらう方を選べば良いのである。

 このブログの読者は周知の通り、
就職研修屋の主張するようなメラビアンの法則やコミュニケーション能力はどこにも存在しない。
それにも関わらず、彼らはそれを科学的に立証されたと言い張り、
論文の和訳すら読んでいないような主張をしている。
(このブログを読むのが初めてという人は、最終段落の補足を読んで欲しい)

 学校側も就職研修屋に仕事を頼む前に、彼らの主張することが本当に正しいのか、
彼らが根拠としている論文の和訳だけでも読んで調査すれば良いものをその手間すら惜しんで
就職研修屋に仕事を頼むから、ますます就職研修屋の思うつぼになっているのである。

 さらには、その学校内での講演の際に、就職研修屋の案内のビラを配るところまで存在する。
学生を守るべき立場にある学校側(就職課)が、学生を守るどころか、
就職研修屋に、場所・時間まで与えて、その活動に加担しているのである。

 毎回高額な講演料を就職研修屋に払うのに比べれば
和訳された論文の本代など数千円で済むにも関わらず、
それすら読まずに就職研修屋から人間を派遣してもらい、
本棚には就職研修屋の本ばかり並べている学校が多い。
就職研修屋に仕事を頼んだ方が就職課の仕事量も減って助かるなどとでも
思っているのであろうか。
この点に関して、学校側(就職課)は猛反省するべきである。

 また、最近は大規模な会社説明会があると、帰り道、駅までの間に就職研修屋の職員が立っていて
勧誘を行っているところまで多々見掛けられるようになった。
このようなキャッチセールスを行う就職研修屋の話は、特に要注意だ。
これこそ、まさに耳を傾けてはいけない典型事例である。
「就職活動中ですか?」などと訊かれても、「違います」などと言って
早々にその場を立ち去るべきである。
冒頭で紹介した幸せの壺売りのような勧誘を行うのは
このように路上で声を掛けてきている人たちに多いのである。

 美容整形業界・結婚活動研修業界(婚活研修業界)では
「顔面偏差値」・「恋愛偏差値」という言葉を使用しているところが多い。
一見して、この用語は、美容整形業界・結婚活動研修業界などが
自分たちが儲かるために使っている用語だとわかるであろう。
「コミュニケーション能力」などはまさに「恋愛偏差値」と狭義でも同じ分類の用語である。
このような研修屋がつくった造語に、未だに惹かれる者までいる。

 なぜ、就職研修屋が「コミュニケーション能力」などという造語を使うのであろうか。
もしも、コミュニケーション能力を職場の人とうまくやっていく能力と定義するならば、
それは「人当たりの良さ」とほとんど同じ意味である。

 それにも関わらず、就職研修屋がコミュニケーション能力という表現にこだわるのは、
顧客の就職活動がうまくいかなかった場合、「コミュニケーション能力の養成が
不十分だったから」と言い、責任を顧客に転嫁できるからである。
もしも、「人当たりの良さ」という表現を使ってしまうと、
抽象的ながら、古くから存在する日本語であるため、
広いながらもある程度、範囲が限られてしまう。
そこで、コミュニケーション能力という日本語とカタカナ英語を併用した造語を使うことによって
より概念を抽象的にして、就職研修屋の責任を無に等しくしているのである。 



(補足:就職研修屋の虚実)

(1)「なぜ働くか」という問いは、「ひょうたんでどじょうを捕まえる方法を答えよ」という問いとイコールである。にもかかわらず、第一印象を良くして生活費のためだと答えたり、家族の笑顔のためだと答えたりする者が後を絶たない。就職の面接本を読んでいる時間を臨済宗の入門書の読解に充てるべきである。

 上記の見解に対して、メラビアンの法則によれば、見掛け(外見)の情報のみで全印象の93パーセントが形成されるという反論があるかも知れない。
 しかし、メラビアン博士(この人は就職業界では有名人だというのに、心理学界ではあまり有名ではない)の行った実験は「Maybe(たぶん)」という英単語1つだけを様々な表情・しぐさ(写真のみ)・声質(録音した音声のみ)で相手に伝えた時の相手に与えた印象の結果などについて調べただけにすぎない。
 しかも、心理学について書かれた分厚い辞典を調べてもメラビアンの法則という項目は存在しない。心理学の世界ではその程度の扱いの法則が就職業界を牛耳っているのである。

(2)経営コンサルタント・就職研修屋に仕事を頼む前に読んでおくべき書籍。
『非言語コミュニケーション』(聖文社、A・マレービアン、西田司他訳)を読んでもらいたい。
この本は絶版になっているので、図書館などで読んで欲しい。

 また、上の和訳の本が入手できない場合、
『反社会学講座』(筑摩書房、パオロ・マッツァリーノ、2007年)の
139ページ以降を読んでもらいたい。

 この本は、稲葉振一郎明治学院大学教授が『社会学入門』(日本放送出版協会、2009年)の
巻末付録の読書案内でも紹介している。

 

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