風合瀬

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批判力とは文脈を読む力のこと、らしい:大阪府知事橋下さんへの評価に思う

2008年02月07日 | Weblog
私が見に行くブログでは、こんどの橋下さんの大阪府知事当選を批判的に見ている人が多かった。
もちろん私自身がそんなに幅広くブログを読んでいるわけではないし、偏りもあるので、そのことは考慮しなければいけないが、それにしても橋下さんは選挙の投票によって選ばれたはずなのに、なぜそんなに批判的な人が多いのだろうな、と、なんとなく違和感を持っていた。

そこで橋下さん自身はどうなんだろうかという本質的なことは全く抜きにして、構築主義的に、「橋下さんのような人が府知事に就任する」ことをけなす背景的な文脈(インセンティブ)を考察してみた:

・橋下さんをけなすことで、自分をリベラルなインテリであると定位できる。
なぜならば橋下さん自身はいずれにも当てはまらないからだ。ちなみにインテリでない、という点は、弁護士という職業からいうと当てはまらないが、ここでは橋下さん自身が反インテリ的なbehaviorで人気を博している、ということを指している。

・府の立て直しは失敗する可能性が高い。したがってもし現段階への府知事橋下さんへの評価という言説自体が将来府知事の政治的事績によって事後評価される場合、ほめることよりはリスクがはるかに少ない行為ということになる。
(webの各種文書はずっと残り、その気になれば将来魚拓される以上、特に著名人にとってはこのリスクはしゃれにならないと思う。)

失敗する可能性が高いというのは、橋下さんの政治的資質とは関係なく、大阪府の厳しい現状に照らし合わせて、ということである。

この二点目はなかなか困難なバイアスである。

このバイアスをなくすには、評価者自身が公平で客観的な評価基準を提示すべきであるが、これは非常に難しい。

そうだとすると、あらかじめ橋下さんの知事就任を批判するという言説はそれ自体床屋談義と割り切るべきだ、とならざるを得ない。
まじめな議論をしたければ橋下府政になにを期待するか、あるいはなにをしてほしくないか、という点を述べるべきであるが、しかしこれは簡単ではない。

つまり、非常に凡庸な結論なのだが、こういうのを論じるのは難しい、ということなのである。

(なお、反転した、「ほめる」ことも同じく床屋論議であることになるが、私はそうは考えない。上記2点目の「府政は失敗するであろう」というリスクがかなり大きい以上、これを述べることは簡単ではないからである。)

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