奈良大好き☆お勉強日記

奈良大学文学部文化財歴史学科(通信教育部)卒&奈良まほろばソムリエ検定のソムリエを取得したヒトの色々な勉強の日記です♪

東大寺のお風呂大公開

2017年07月12日 | 色々・モシクハお勉強
7月1日(土)(…の遅れてきた日記です。)

朝ごはんを食べながら、さて今日はどこへ行くべかなと
昨日ゲットしたリーフレットを思ていたら…。
とんでもないものを発見。

特別公開 「俊乗堂(しゅんじょうどう)」「大湯屋(おおゆや)」
なんですとっ?!

「俊乗堂」は重源上人@平家焼き討ち後の東大寺復興に尽力した
お坊様の遺徳をたたえて建てられたお堂。
普段は非公開。
それでも完全非公開ではなく、7月5日の俊乗忌と、12月16日の良弁忌には公開されてます。
ゆえに、俊乗堂は何回かあげてもらったことはあります。

しかーし、湯屋ってなんだ>湯屋って。
いや、湯屋は知ってますよ、お風呂だってことですよ。
でも東大寺の大湯屋って、あの、大湯屋ですよね?
しかも「初公開」ときたもんだ。

行く!いくいく!絶対に行く!(@_@)
ということで、本日の予定は急きょ東大寺が組み込まれました。

と。
その前に。
興福寺です。

『興福寺の寺宝と畠中光享展 
興福寺注金堂再建・法相柱絵完成記念』
これの会期が7月2日までだというので慌ててGO。

行ってみるまで分からなかったのですが(をい)、
現在、絶賛荘厳中の新・中金堂の柱に描かれる柱絵が展示されておりました。

なんでも中金堂を正面から入った時、向かって左手にある柱を「法相柱(ほっそうちゅう)」といい、
その柱には法相宗の祖師(えらい坊様)が描かれていたというのが史料で残っているんだとか。

かつての金堂にもそのようにボン様がたの絵が描かれていたというのは、
歴史的に証明されているらしい。
それをこのたびの復興でも再現することとして、その絵をお願いしたのが畠中光享画伯。

会場は「興福寺会館」なんてあまりメジャーじゃない建物(三重塔の西にあります)
わたしは中金堂の見学会を体験しに来た時に一度入りましたが。
ここ自体入ることが珍しいので、それもまた体験たいけんです。

会場はこじんまりとした空間に、柱絵となる絵画がまだ柱に貼られる前の、
一枚一枚の状態で展示されていました。

”祖師画は高さ約10メートルにもおよぶ法相柱に貼り上げられたのちは、
間近で鑑賞することは難しくなるため、本展は大変貴重な機会となります。”

このたびを逃すと、今度再開するときは
「見上げて、それでも、上ぇ~の方は見えない(悲鳴)」
状態になってしまうのねと思ったら感無量。

インドや、中国、そして日本の高僧が目の前に並んでおりました。
まず目を引くのは目力の強い坊様…ではなくて
その背景の群青の「あお」の濃さ。
これだけの顔料を使えるなんてすごいなあ。お高いよなあ(下世話な話)

それはおいといて。
ぎょろめの慈恩大師、てくてく歩きの三蔵法師、は絵となっても私の中のイメージを崩さないですが。
北円堂でお馴染み(?)の無著(むじゃく)・世親(せしん)の両菩薩は、
あの彫刻とはまた違った表情をしていました。

この絵を描かれた畠中画伯も「すでに北円堂にある彫刻の姿がおなじみだが、
自分の中にあるイメージを大切に描かせていただいた(スーパー意訳)」
とメイキングビデオの中で話されていました。
そのギャップを愉しむもよし。

あと個人的に気になったのは、
托鉢の鉢を腹の前で抱えて「もじもじ」している感じの戒賢論師(かいけんろんじ)のはにかみ具合と、
爪のピンク具合が印象的でした(笑)

これ、完成したらうんと上を見上げるんだなあ。
今のうちにお会いできてよかったよかった。

興福寺での公開は終わっちゃいましたが、
8月の末には「大阪高島屋」で、
9月には「新潟市新津美術館」でも巡回の予定なので、
まだの方はぜひお近くで見て下さいね。
(ガラスケースなどには入ってませんから、ホント近くまで寄れます)

次は、いよいよ東大寺。
暑いので行くつもりはなかったのですが(をい)
とりあえず、初物は拝んでおけっていうじゃないですか(そうか)

しかも7月1日から公開なので、偶然知ったにもかかわらず、
本日が初日でした!
こりゃ行くっきゃないでしょ。

まずは「俊乗堂」へ行き、重源さんにご挨拶。
お久しぶりです。
お風呂見に行ってきます(そういう挨拶か?)

そして、奈良太郎(東大寺の鐘)を背に階段を下りていくと裏参道へ出る前に、「大湯屋」
場所だけは知っていましたが、看板は何度も読みましたが、ここが開いているのは、
今日が初めて!!

そう思うとすごいではないか。
今日奈良来ててよかった~。

階段を上って中へ入ると、正面の部屋が覆い屋になった中に更に小さい部屋。
その中に鉄の湯船が鎮座ましまして、どどーんという迫力を見せていました。
現在は、床の上に井桁を組んで、その上に船がのせられていますが、
かつてはこの座面に埋め込まれるように平に置かれていたそうで。

湯はこの真下に火を焚いて沸かすのではなく、となりの部屋で沸かして、
ここへ汲んで、それを用いてかけ湯したり、汗を流したりしたそうな。
現在のように「お湯に入る」入浴法は江戸時代以降の文化だそうで、
昔々は、お湯を浴びるとか、そんなだけの体の清め方だったらしい。

法華寺の風呂にも入れてもらいましたが、あそこのお風呂は、
小部屋の下で大釜に湯を沸かして、湯気をこもらせて、
現代でいうところのサウナ風呂方式で汗を流した方式ですが。

東大寺のお風呂は、サウナでもなく、銭湯方式でもないのでした。
夏場はそれでいいけど、冬は湯船入りたいよねえ。
私は真夏でもお湯に入る派なので、かけ湯だけの風呂なんて寂しいわ。

お隣の部屋は土間になっていて、その空間でお湯を沸かして、
となりの部屋へせっせと運ぶ入れていたんだそうで。
この大釜自体でお湯を沸かすのではなかったとのこと。
その証拠(?)に、この金属の鍋(をい)の底には水抜きの穴があって、
使用したお湯はその後、そこから排出されたそうです。

お湯をたいていたお隣の土間に直接入ることはできませんでしたが、
その湯気を昇らせるために、屋根の高い所には煙出しがあったり、
なかなか大変興味深かったです。

そして「銭湯」のルーツをこの建物に見出しました。
唐破風付きの浴室の正面。
これはみまごうこともなく、クラシカルな銭湯そのものやん!
銭湯のルーツここにあり!

ひゃー大満足な午前中でありました。
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