旅とエッセイ 胡蝶の夢

亜細亜の旅日記、オリジナルエッセイ。投稿では万年佳作か特別賞。
まずはアンコール遺跡群

ポチの見る夢

2017年05月05日 19時49分32秒 | 短編小説
ポチの見る夢

 三歳まで住んでいたその家の記憶はほとんど無いのだが、庭の前がストンと落ちて視界が開けていて、裏側が切り立った崖になっていたように思う。坂の中腹の小さな一軒家というイメージだが、今となっては両親ともに亡くなり確かめようもない。確かなのは、子犬がいて自分はそれにまたがろうとし、いやがって逃げる子犬を追いかけ、庭をころげ回って遊んでいたこと。その当時TVではよく西部劇をやっていたから、騎兵隊を真似たに違いない。
 三歳の時に自分をかわいがってくれたおじいちゃんが亡くなり、父は勤めを辞めて家業の紳士服のテーラーを継いだ。父は入り婿で母は紳士服店の長女で、その実家にはその後次々にお嫁に行く母の妹達、自分にとっては叔母さんになる、が四人いた。職人達も住む古くて大きな家で、当時市電の通る国道に面していた。新しく住むようになったこの家の記憶は鮮明に残っているが、子犬の記憶はそこで消えた。
 聞いた話しでは、同じ洋服屋をやっている親戚にもらわれていったらしい。名前も忘れていたが、ポチというベタな命名であったそうだ。雑種のポチは中々賢い犬だったらしい。
 小さい時にはあんなに遊んだのに、自分は中学生の頃にはすっかり犬嫌いになっていた。嫌いというより吠えられたりして怖かったのだ。あんなに鋭い歯をした獣が飛びかかってきたらたまらない。鎖が切れたらどうするんだ。
 ある時、母に連れられて本家筋にあたる洋服屋の親戚を訪ねた。中学三年位だったと思うがそれは珍しいことで、その一回だけだったと思う。両側を建物に挟まれた狭くて暗い路地を抜けてその家の玄関に向かうと、大きな犬がいきなりワンワン吠えて飛びかかってきた。繋がれているので自分の所までは届かなかったがびっくりした。しかもその犬、様子が変だ。しっぽをちぎれるほど振っているので敵意は無いようだが、こんな歓迎は真っ平だ。心臓がバクバクした。親戚のおばさんと母が話すには、その犬はポチといい、普段はとてもおとなしくもう老犬なので一日の大半はウツラウツラしているらしい。母は一人で何度もこの家に来ているが、あんなに吠えるのは初めてだと言っていた。
 してみると老犬の興奮の原因は自分にあるようだ。でも三歳の時と十五歳の自分がそんなに一瞬で分かるんだろうか。親戚のおばさんと母はけなげなポチの姿に何故か涙ぐんでいたけれど、自分は幼児の時に遊んだ子犬の事をすっかり忘れていた。その後三歳迄過ごした家の事を少しだけ思い出し、ポチがかけがえの無い友達だったことに気が付くのだが、その日は気味が悪くて帰りも吠える犬を大回りで避けた。
 今思うと本当にかわいそうな事をした。ポチはほどなく老衰で亡くなったそうだから、あの日なでであげれば良かったんだ。ポチは小さい時に主人一家と離れたくはなかったんだろう。あの日当たりの良い小さな庭で自分と一緒に育ちたかったに違いない。老犬は子犬の時の夢を見るのだろうか。その夢は匂いを伴うのか。その思い出は甘美なものだったんだろうか。もしそうなら、昼寝をするポチの頭の中で見る夢は、昭和三十年代のベットタウンの坂の中腹にある小さな家の小さな庭を、幼児と駆け回るものだったんじゃあないだろうか。
ジャンル:
小説
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