旅とエッセイ 胡蝶の夢

ヤンゴン在住。ミラクルワールド、ミャンマーの魅力を発信します。

今は、横浜で引きこもり。

少年十字軍

2016年12月14日 18時35分09秒 | エッセイ
少年十字軍

 ハーメルンの笛吹き男は、子供たちを連れ出してどこに行ったんだろう。13世紀に起こった子供十字軍は、大人の扇動ではなく自発的に起こった集団ヒステリーのような出来ごとだった。歴史を見ると時々、突拍子もない事が起きている。小説家は気の毒だ。余りに現実離れした事は書けない。書いてもリアリティーが無いから本は売れない。
 アフリカの戦場ではしばしば村を襲って子供をさらい、AK47を持つ少年兵とする。少年に父親を殺させ、後戻りが出来ないようにすることも多い。日本の特攻隊では最年少は16歳。ナチスの少年兵(14~18歳のヒトラーユーゲント)がうまく機能したとは思わないが、いくつかの戦場に登場している。ベルリン最後の日々で、押し寄せる赤軍兵の楯となって死んでいった少年兵も多かった。
 イラン・イラク戦争では、地雷原の突破にイランの革命防衛隊の少年兵が駆り出された。しかし少年少女を実にうまく使ったのは、毛沢東とポル・ポトだ。毛沢東は、自身に無条件で忠誠を誓う紅衛兵を率いて政権を奪還し、死ぬまでの10年間、好き放題の毛帝国に君臨した。死後も取り巻きは駆逐されたが、毛本人は批判されていない。1966~1976年に至る文化大革命、あの狂気の時代を生きた老人、大人、子供たちはそれぞれに辛い思いをし、心の傷を残している。
 先生を小突きまわし殴り、親を密告した心の傷は、大人になっても容易には癒えない。ポルポトは、政権を取っていたのは4年弱だが、200万人ともいわれる自国民を殺している。オンカー(党)の手先となり、民衆を殺したクメール・ルージュ兵の多くは少年だった。「泣いてはいけない。笑ってはいけない。それは昔の生活を想い出し、オンカーを裏切ることになる。」
 強制収容所では先生や医者、村長や僧侶といった知識人が次々と殺されていった。終いにはメガネをかけている、という理由だけで殺された。銃弾を節約するためにこん棒で殴り殺し、鋭い葉先を持つサゴヤシの葉を首に刺した。収容所を任されている看守は、ほとんどが少年だった。少年は資本主義に毒されていない、という理由から重用され、子供医者などという奇怪なものが生まれた。3ヶ月の速習教育を受けた子供医者は、患者を次々に死なせた。
 ある監獄に収容された元英語教師の男性は、少年看守達に毎晩イソップ物語などを思い出して話した。娯楽のない社会で少年たちは、目を輝かして男の話を聞いた。先生は毎日必死に物語を思い出し、また創作した。面白くないと思われたら、他の囚人と同じくゴミのように殺される。少年達は、あの男は面白いから生かしておこうと相談し、先生は収容所がついに解放される日まで生き延びた。
 
さて話を少年十字軍に戻そう。十字軍は第一回が成功した以外、ことごとく失敗した。第一次十字軍で獲得した聖地エルサレムは既にイスラム側に奪還された。第四回十字軍(1202~1204年)は、イスラム教徒と戦うどころかあろうことかキリスト教(正教)国、東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを攻め落とし、掠奪と殺戮の限りを尽くした。
 ローマ教皇はこの恥知らずの十字軍を破門(後に取り消す)し、欧州各地に説教師を派遣して新たな十字軍を募った。しかし諸侯や騎士は、見返りの少ない遠征に乗り気にならない。内政で手一杯な上に、遠征には莫大な資金がかかる。イスラム軍の圧倒的な強さも思い知っていた。ところが為政者ではなく、説教師に煽られた民衆の中から十字軍参加の気運が高まっていった。
 そんな鬱屈した空気の最中、ドイツと北フランスで少年が呼びかけ自発的な十字軍が結成された。共に1212年のことだ。ドイツに住む羊飼いの少年ニコラスは、『約束された奇跡』を主張し始めた。
・我々の前に海は避け、聖地までの道が開かれるだろう。
・我々の聖地到着と同時に、戦うことなく異教徒は改心するだろう。
ドイツの少年少女はケルンに集合し、二手に分かれてアルプスを越え7,000人が北イタリアのジェノヴァに到着。ジャノヴァに着いた少年達は港に向かい叫ぶ、海よ、裂けよ!ところが何も起こらない。ここで多くの少年は失望し、熱が冷めて故郷へ引き返した。それでも残った少年達は、奇跡を待ってジェノヴァに滞在した。その信心深さに感銘を受けたジェノヴァ当局が、彼らにジェノヴァ市民権を与えた。それでもニコラスと数人の少年は諦めず、法王に面会する。法王は少年達に諦めるよう説得し、ついに彼らは帰郷する。しかし少年少女には資金も食糧もなく、多くの子供達は故郷にたどり着けずに、野山で死んでいった。
ドイツ、ニコラス少年の十字軍が平均15歳であったのに対し、北フランスの少年エティエンヌの呼びかけにより結成された少年少女の十字軍の、平均年齢は12歳と幼い。エティエンヌ少年は「神の手紙」を手渡され、聖地回復のお告げがあったと説き、熱狂した少年少女が親の反対を振り切り、家出をして集まった。その数2万。彼らは酷い食糧事情のなか、マルセイユに集合した。彼らも海が裂けるのを待つが、奇跡は起こらず、大多数は失望して帰郷した。                  残ったエティエンヌと数百人の少年達は、無償で船を提供するという商人の申し出を受け、7隻の船に分乗して船出する。2隻はサルディニア島付近で難破、残りの5隻はアレクサンドリアに直行し、エティエンヌ以下全員がイスラム教徒の奴隷商人に売られた。これが少年十字軍の顛末だ。なお、少年十字軍の中に大人の庶民も数多く参加していた、という話しもある。
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縄文海進

2016年12月14日 18時34分37秒 | エッセイ
縄文海進

 時は今から2万年前、地質学で言えばつい先日のこと、最後の氷河期が去った。そこから地球はゆっくりと暖かくなって行く。氷河期では多くの陸地が厚い氷河で覆われていた。欧州では白いライオンが氷の大地で獲物を追っていた。降雪が次々に氷に取り込まれる為、海に流れ出てこない。従って海面は今より120m低く、中国大陸と日本列島は地続きだった。人々はナウマンゾウを追って、大陸から海岸線にまで歩いて渡ってきた。やがて温暖化に伴って海面は徐々に上昇し、日本列島と中国大陸の間の低地は海に飲み込まれて日本海となり、日本は島国となった。
 そして今から6~8千年前、縄文時代前期には地球は更に暖まり、気温は現在より2・3度高くなった。その結果氷河が溶けだし、海水面は1千年ほどのタイムラグをもって、日本では今よりも4mほど高くなった。現在海抜4mまでの地表は海になった。6千年前が海面上昇(海進)のピークで、関東平野の中心部が海になって、奥東京湾を形成した。この温暖化の原因は、地球軌道要素の変化による日照量の増大とされている。
 現在海進が起きて関東平野が水没したら大変な事になるが、人口が少なく稲作もしていない縄文人にとっては大したことではない。当時九十九里海岸は全て海没して、房総半島はやけに痩せっぽちな半島になった。海進といっても年間1~2cmと極めてゆるやかな海面上昇であった。そして六千年前をピークとして、縄文時代晩期まで続く海退も長い年月(人類から見れば)をかけて行われた。そのため海岸では繰り返す堆積により幅広い砂浜が生まれ、取り残された数多くの湖、九十九里では八列におよぶ砂丘が残された。霞ヶ浦では堆積が進まず、現在でも湖水を湛えている。比較的近年に起こったこれらの気象現象が、近代現代の住民や農民の苦労の種となっている。川が蛇行して氾濫が多い、砂地で水が溜まらず稲作に向かない、といったことだ。
 気温が2・3度違えば、動植物も変わる。豊かな照葉樹の林が北の大地に広がった。カシやシイ、ブナの木といった、ドングリを実らす恵みの林だ。縄文人は暑い西日本にはあまり住まずに、北海道や東北地方の北部で大きな集落を形成した。関東地方では貝塚が、現在の丘陵地帯に残っている。海がずっと奥まで広がっていたのだ。
 メソポタミアや古代エジプトで古い文明が栄え、黄河のほとりでも新しい文明が生まれつつある6千年の昔。日本ではドングリや栗の実を貯蔵し、鮭や猪、野草にキノコ、海草などを副食にする再生可能なエコロジーな循環社会を築いていた。金属の利用や畑作・稲作を行っていないことから、環境破壊はほとんどなく、貧富の差もない平等な社会であったと思われる。縄文式火焔土器に象徴される、大らかで奔放、呪術性を持つ社会ではないか。この時期の墓を発掘すると60歳代の女性、身体障害を持った若い女性、子供が手厚く葬られていた。

 ところで過去の気温が2度高いって、どうやって分かるの?2つの方法があるそうだ。1つは海底の堆積物を、柱のように掘り抜いた「コア」を採取する。その中に含まれる微生物を分析し、酸素同位体を調べる。
 酸素には3種類の安定同位体があり、氷床の氷には16Oの割合が高くなる、そうだ。寒冷な気候で氷床が発達すると16Oは氷床で多くなり、海水の18Oは濃くなる。海に住む原生動物である有孔虫の殻の化石から18Oと16Oの比率を出して、当時の水温を推定する。よく分からんが、大変ですねー。
 もう一つの方法は、南極の氷床をボーリングして「コア」を掘りだす。そのコアの氷に閉じ込められた空気を取り出し、二酸化炭素やメタンなどの温暖化ガスの含まれる割合を知り、当時の気温を推定する。これも大変、そんなちょびっとの空気でよく測定出来るね。
 ドームふじ基地のボーリングでは2,504mまで掘り出し、34万年前のデータが得られた。もっとずっと古い時代は、堆積物に含まれる化石から推測するそうだ。恐竜全盛期の9.000万年前には、現在より海水面は250mも高かった。陸地が随分少なかったんだな。
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