天台寺門修験

修験道の教義は如何に

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

修験第百十三号 新編寺門天台宗学読本(四) ―第一編 ―

2016年10月11日 19時42分49秒 | 新編寺門天台宗学読本

故 直林敬煩 監修

  吉田光俊   編

  第二章 宗学の組織

  第三節 五箇法門と三道(続)

  五箇法門と実行の菩薩

   上来(ぜうらい)の五箇法門(ごかのほうもん)を菩薩生活(ぼさつせいかつ)の本質(ほんしつ)と規矩(きく)に配(はい)した―即(すなは)ち五箇法門(ごかのほうもん)と三学(さんがく)の相互関係(さうごかんけい)―の次第(しだい)は宗学(しうがく)の組織(そしき)を「竪(たて)」に眺(なが)めたもので、更(さら)に「横(よこ)」の観察(かんさつ)があることを忘(わす)れてはなりません。これ一家(いつか)で強調(きよてう)する「実行(じつこう)の菩薩(ぼさつ)」を中心(ちうしん)に、次第(しだい)を追(お)ふて五箇法門(ごかのほうもん)を解釈(かいしやく)したものであります。実行(じつこう)の菩薩(ぼさつ)とは、所謂悪事(いはゆるあくじ)を己(おのれ)に向(む)け好事(こうじ)を他(た)に與(あた)へ、自(みつから)を忘(わす)れて他(た)を利(り)する慈悲(じひ)の極(きは)みなる「学生式(がくせうしき)」者(もの)である。何(なに)が故(ゆへ)にこれを強調(きよてう)するかといふに、本学法門(ほんがくほうもん)に於(おい)てはその修行(しゆげう)を凡地(ぼんち)より直(ただ)ちに佛界(ぶつかい)に頓入(とんにう)し佛行(ぶつげう)を修(しゆ)することを重視(じゆうし)するため、修徳(しゆとく)より性徳(せうとく)を中心(ちうしん)として遂(つい)には真摯(しんし)なる宗教生活(しうけうせいかつ)を軽(かる)んずる恐(おそ)れがあるからであります。例(たと)へ佛行(ぶつげう)を修(しゆ)するとしても大悲大受苦(だいひだいじゆく)の精神(せいじん)を以(もつ)て、一段下(いちだんさが)つた菩薩(ぼさつ)の位(くらひ)に於(お)いて上求菩提下化衆生(ぜうぐぼだいげせしゆぜう)の真面目(まじめ)な生活(せいかつ)を要(よう)するのでありまして、こゝに於(お)いてこそ宗教(しうけう)の輝(かゞや)きが見出(みだ)されるのであります。即(すなは)ちこれによれば五箇法門(ごかのほうもん)は信(しん)・観(かん)・行(げう)の次第(しだい)で安心(あんじん)・教学(けうがく)・行證(げうせう)の三門(さんもん)を立(た)てる、実践門本位(じつせんもんほんい)の組織(そしき)であります。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

修験第百十三号 新編寺門天台宗学読本(3) ―第一編 ―

2016年10月09日 19時57分48秒 | 新編寺門天台宗学読本

  故 直林敬煩 監修

  吉田光俊   編

  第二章 宗学の組織

  第三節 五箇法門と三道

   実質的内容

   後者の実質的内容は、圓(ゑん)・蜜(みつ)・禅(ぜん)・修験(しゅげん)の四法門(しほうもん)で、その教意(けうい)は名目(めうもく)を異(こと)にしまた表現方法(へうげんほうほう)も必(かなら)ず同一(どういつ)ではないが、所詮阿字実相(しよせんあじじつそう)の原理(げんり)に帰一(きいつ)するのであります。換言(くわげん)すれば圓教(ゑんけう)及び禅(ぜん)は無相(むそう)の理観(りかん)により圓融三諦(ゑんゆうさんだい)なる中道実相(ちうだうじつさう)を證(せう)し、密教(みつけう)は有相三密(うさうさんみつ)の事業(じげう)によつて阿字(あじ)の法門(ほうもん)を悟(さと)る。実相(じつさう)といひ阿字(あじ)と称(せう)するも、之(こ)れは佛(ほとけ)の證悟(せうご)した最高真理(さいこうしんり)に付(ふ)した名称(めいせう)で、これに徹底(てつてい)することは内容(ないよう)の充実進歩(じうじつしんぽ)であり、究極(きうきよく)するところ宗教的(しゆけうてき)に完全圓満(かんぜんゑんまん)した一大人格(いちだいじんかく)に達成(たつせい)するのであり、これ則(すなは)ち即身成佛(そくしんせうぶつ)であります。圓(止観【しかん】)・密(遮那【しやな】)の教学実践(けうがくじつせん)は原則(げんそく)として出家教団(しゆつけけうだん)限定(げんてい)せられて居(を)ります。即(すなは)ち菩薩僧(ぼさつそう)としての知識向上(ちしきかうじよ)と生活(せいかつ)とを中心(ちうしん)とする。而(しか)して社会人(しやかいじん)―菩薩(ぼさつ)の君子(くんし)―を中心(ちうしん)に菩薩行(ぼさつげう)を実践(じつせん)する優婆塞教団(うばそくけうだん)を本位(ほんい)とする時(とき)は修験道(しゆげんだう)に必依(ひつい)せねばなりません。換言(くわげん)するならば、菩薩君子本位(ぼさつくんしほんい)の立場(たちば)に於(お)ける遮那止観(しやなしかん)の実修(じつしゆ)は修験道(しゆげんだう)に存(そん)するのであります。但(ただ)しこれは初心(しよしん)の菩薩(ぼさつ)の宗学(しうがく)に対(たい)する一応(いちわう)の心得方(こころへがた)で、素(もと)より生活規矩(せいかつきく)の圓戒(ゑんかい)は必ず同時(どうじ)に内容(ないよう)の充実(じうじつ)であり、圓(ゑん)・密(みつ)・禅(ぜん)・修験(しゆげん)の生活内容(せいかつないよう)は向上(こうぜう)に従(したが)つて自(みずか)ら外形的様式(がいけいてきようしき)をして佛意(ぶつち)に契合(けいがう)せしめ、更(さら)に密(みつ)・禅(ぜん)は必ずしも出家教団(しゆつけけうだん)のみでなくあらゆる方面(ほうめん)に解行(げげう)されてこそ始(はじ)めて宗教(しうけう)としての意義(いぎ)をなし、修験道(しゆけんだう)また優婆塞本位(うばそくほんゐ)を固執(こしう)するものではありません。佛教中(ぶつけうちう)の精華(せいくわ)たる大乗(だいじよ)の五箇法門(ごかのほうもん)は融通融資会(いうづういうゑ)し、この一大総合佛教(いちだいさうがふぶつけう)はその理(り)は唯一(ただいつ)の実相(じつさう)に基(もとづ)いて、菩薩道(ぼさつだう)の行(おこな)はるゝところ自(みづか)ら菩薩自身(ぼさつじしん)の実相(じつさう)に即(そく)したる生活様式(せいかつやうしき)と内容(ないやう)を充実(じうじつ)して遂(つひ)に解脱成佛(げだつせいぶつ)の理想(りさうだい)を実現(じつげん)し得(う)るのであります。

 かくの如(ごと)く健全(けんぜん)な宗教生活(しうけうせいかつ)の規範(きはん)である圓頓戒(ゑんどんかい)(戒(かい))と、真理(しんり)を知識(ちしき)した価値(かち)ある生活内容(せいかつないよう)の圓(ゑん)・密(みつ)・禅(ぜん)・修験(しゆげん)(定恵(せうゑ))との完備(かんび)は、畢竟(ひつけふ)するに三学(さんがく)の具足(ぐそく)であり、而(しか)もこれ等(ら)は阿字実相(あじじつそう)の統一原理(とういつげんり)に一元(いちげん)し、一乗菩薩(いちじよほさつ)の過程(かてい)を践(ふ)んで完成(かんせい)した圓満(ゑんまん)なる人格(じんかく)は真理(しんり)の覚者(かくしや)であつて、これ即(しなは)ち私共(わたくしども)の理想(りそう)とする「成佛(せいぶつ)」の具現(ぐげん)に外(ほか)なりません。

                                                             ―(続)―

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

修験第百十三号 新編寺門天台宗学読本(3) ―第一編 ―

2015年06月01日 18時52分57秒 | 新編寺門天台宗学読本

    故 直林敬煩 監修

  吉田光俊   編

  第二章 宗学の組織

  第三節 五箇法門と三道

   五箇法門と菩提生活

  今家(こんげ)は一向大乗(いつかうだいじよ)の菩薩教団(ぼさつけうだん)であります故(ゆへ)、宗徒(しうと)は自(みづか)ら菩薩(ぼさつ)たるの自覚(じかく)のもとに一乗菩薩道(いちじよぼさつだう)を解行(げげう)するのであつて、この菩薩の知識向上(ちしきかうじよ)と価値(かち)ある生活が即(すなは)ち如上(によじよう)の五箇法門(ごかのほうもん)に外(ほか)なりません。

  

  生活規矩(せいかつきく)

  その生活は、自律的標準規矩(じりつてきへうじゆんきく)と実質的内容(じづしつてきないやう)とに区分(くわけ)し得(う)れば、前者は圓頓戒(ゑんどんかい) がこれにあたり、これは宗教生活(しうけうせいかつ)の内容をして価値(かち)あらしむべく、菩薩生活(ぼさつせいかつ)の當相(たうそう)を佛意(ぶつち)に契合(けいがう)して律(りつ)する様式(やうしき)であります。戒(かい)は総(すべ)ての教学実践(けうがくじつせん)の基本となるもので、圓三学(ゑんさんがく)の中(うち)、圓恵圓定(ゑんえゑんぜう)は圓戒(ゑんかい)の行(おこな)はるゝによつて愈々(いよゝ)その価値が昂揚(かうやう)され、圓戒為本(ゑんかいゐほん)を高調(かうてう)する所以亦(ゆゑんまた)こゝに存(そん)するのであります。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

修験第百十三号 新編寺門天台宗学読本(3) ―第一編 ―

2015年05月29日 19時19分49秒 | 新編寺門天台宗学読本

  故 直林敬煩 監修

  吉田光俊   編

  第二章 宗学の組織

  第三節 五箇法門と三道

  修験道

  最後に修験道(しゆげんどう)とは、とそう錬行(れんげう)して霊験(れいげん)を成(ぜう)ずる法(ほう)との義(ぎ)で、道(どう)とは世(よ)の実相(すがた)である生死去来(せうじきよらい)の二道(にどう)を覚(さと)つて中道不正(ちうだうふせう)の心地(しんち)たる理想態(りさうたい)に到達(たうたつ)することであります。その教意(けうい)とするところは十界一如(じうかいいちによ)・無相三蜜(むさうさんみつ)を中心として、眞俗不二(しんとくふに)・凡聖一如(ぼんせいいちによ)の義理(どうり)を領解(れうげ)し、專(もつぱ)ら入峰(にうぶ)して十界(じうかい)の行(げう)を積(つ)み無相三蜜(むそうさんみつ)の境地(けうち)に徹(てつ)して即身(そくしん)する法門(ほうもん)であります。

 

  

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

修験第百十三号 新編寺門天台宗学読本(3) ―第一編 ―

2015年05月27日 20時02分02秒 | 新編寺門天台宗学読本

   故 直林敬煩 監修

  吉田光俊   編

 第二章 宗学の組織

 第三節 五箇法門と三道

  圓頓戒

 次に戒(かい)とは梵語(ぼんご)のし羅(しら)のことで、身心(しんじん)の過(あやまち)を防禁(ぼうきん)する意味でありまして、三学(さんがく)の中(うち)の戒学(かいがく)はこれであります。今家(こんげ)の戒(かい)は法華(ほつけ)・梵網(ほんもう)の両経(りよぎやう)に基(もとづ)いた大乗戒(だいじうかい)であつて、圓戒(ゑんかい)または圓頓戒(ゑんどんかい)、圓頓菩薩戒(ゑんどんぼさつかい)と称(せう)せられ、所依(しよえ)の経(きやう)に約(やく)して梵網戒(ぼんもうかい)とも申します。即(すなは)ち私共(わたくしども)の先天的(せんてんてき)に備(そな)へた覚性(かくせう)【性具眞如佛性(ぜうぐしんによぶつせう)の戒体(かいたい)】を受戒宣誓(じうかいせんせい)することによつて顕現(けんげん)し、三聚浄戒(さんじうぜうかい)を実践錬成(じつせんれんせい)することにより、積極的救済行為(せつきよくてききふさいかうい)として自利利他二行(じりりたにげう)を圓満(えんまん)に成就(せうじゆ)して、佛意(ぶつい)に契合(けいがう)した菩薩生活(ぼさつせいかつ)を営(いとな)む標準規矩(へうじゆんきく)となすものであります。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

修験第百十三号 新編寺門天台宗学読本(3) ―第一編 ―

2015年05月26日 15時13分10秒 | 新編寺門天台宗学読本

  故 直林敬煩 監修

  吉田光俊   編

 第二章 宗学の組織

 第三節 五箇法門と三道

 禅(ぜん)

 禅(ぜん)は禅那(ぜんな)の略で、思惟修(しゆゐしゆ)または静慮(ぜうりよ)の意味であります。即(すなは)ち実践(じつせん)を遊離(いうり)した概念的(がいねんてき)な文字言語等(もんじげんごとう)に偏依(へんい)せず座禅観法(ざぜんかんぽう)により端的(たんてき)に見性成佛(けんせうぜうぶつ)して、涅槃妙心(ねはんめうしん)なる天眞独朗(てんしんどくらう)の境(けう)を悟(さと)る法門(ほうもん)であります。禅(ぜん)は別に教相(けうそう)を立(りつ)する必要を認めないのであるが、その本義(ほんぎ)とするところは是心是佛(ぜしんぜぶつ)を宗要(しうよう)として無所得空(むしよとくぐう)に立脚(りつきやく)してゐる。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

修験第百十三号 新編寺門天台宗学読本(3) ―第一編 ―

2015年05月23日 08時20分41秒 | 新編寺門天台宗学読本

    故 直林敬煩 監修

  吉田光俊   編

 第二章 宗学の組織

 第三節 五箇法門と三道

 密 教

 第二に密(みつ)とは、大日(だいにち)・金剛頂(こんごうちよう)・蘇悉地(そしつぢ)の三経(さんきやう)に基いて、阿字本不生(あじほんぷせう)の理(り)を究(きは)め【教相(けうそう)】 、身口意三蜜(しんくいさんみつ)の事業を修して【事相(じさう)】 如来(によらい)の三蜜に融会(ゆうゑ)して即身成仏(そくしんぜうぶつ)する法門(ほうもん)であつて、教(けう)に約して密教(みつけう)、秘密教(ひみつけう)、真言教(しんごんけう)といひ、所依(しよえ)の経より大日(だいにち)とも陀羅尼蔵(だらにどう) 、実践(じつぜん)に約して遮那業(しやなごう)と称するのであります。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

修験第百十三号 新編寺門天台宗学読本(3) ―第一編 ―

2015年05月20日 16時06分04秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

   故 直林敬煩 監修

  吉田光俊   編

 第二章 宗学の組織

 第三節 五箇法門と三道

 五箇法門の解説 圓教

 五箇法門(ごかのほうもん)とは宗学(しうがく)を構成する圓(ゑん)・密(みつ)・禅(ぜん)・戒(かい)・修験道(しゆげんどう)の五法門(ごほうもん)であり、三道(さんだう)は圓・密・修験の三法門(さんほうもん)で五箇法門の中特(ちうとく)に重要な根幹(ごんかん)をなすものであります。いま少しく之(これ)を解説致しますと、まづ圓とは法華経(ほつけきやう)を根本聖典(こんぽんせいてん)として中道実相(ちうだうじつそう)・三諦圓融(さんだいえんゆう)の哲理(てつり)を会得(ゑとく)し(教)、四種三昧(ししゆざんまい)の実践(じつせん) (観)によつて、私共凡夫(わたくしどもぼんぷ)の現前(げんぜん)に起る一念(いちねん)の心も即(すなは)ち真如実相(しんによじつそう)と観照(かんせう)して佛(ほとけ)の境界(けうかい)であります実相に開示悟入(かいじごにゆう)する法門である。圓(ゑん)は不偏(ふへん)または完全といふ意味で、教(けう)に約(やく)して圓教(ゑんけう)といひ、所依(しよえ)の経(きやう)に約(やく)して法華(ほつけ)、また観(かん)に約して止観業(しかんごう)と称(せう)しますし、従来(じうらい)の狭義(けうぎ)の天台学(てんだいがく)はこの圓教を指(さ)したのであります。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

修験第百十二号 新編寺門天台宗学読本(2) ―第一編 ―

2015年05月17日 08時52分01秒 | 新編寺門天台宗学読本

 第二章  宗学の組織

 第二節  教観二門

 教観の関係

 要するに教理門(げうりもん)と観行門(くぁんげうもん)は、教なる知識(ちしき)が行動の根底(こんてい)となつて本當(ほんたう)の価値が生じ、観なる実践的行動は必ず正當(せいたう)なる知識に基くことを要します故、教の反面は即(すなは)ち観であり、観の存するところ必ず教に依(よ)るのであつて、両者は別箇(べつこ)に存在することは許されないのであります。教は目の能(よ)く物を見て善悪美醜(ぜんさくびしゆう)を知る如(ごと)く、観は目の視(み)る所に基いて親(した)しく足を運ぶ様なもので、、一方にのみ偏(へん)するは甚(はなは)だ不可(ふか)なることであります。古人(こじん)が教或(けうあるひ)は観の一方に偏執(へんしゆう)するは文字の法師(ほつし)、暗證(あんせう)の禅師(ぜんじ)と斥(しりぞ)け、智行一致(ちげういつち)し教観雙(けうくわんなら)べ備へ、解行相資(げぎうあひたす)へよと示(しめ)されましたことは今家宗学(こんげんしゆうがく)の肝要(かんえう)とする所であり、宗徒(しゆうと)の深く銘記(めいき)せねばならぬ点であります。この教観二門(けうくわんにもん)は宗旨(しゆうし)の理論実践(りろんじつせん)の総(すべ)てを包轄(ほうくわつ)して居(を)りますので、こそを宗議(しゆうぎ)といひ、学することを宗学(しゆうがく)または宗乗(しゆうぜう)とも称(せう)します。

 (紙数の関係上極ゝ大要のみ掲載いたしました。次号は「五箇法門と三道」「統一原理の諸問題」に就て)

 

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

修験第百十二号 新編寺門天台宗学読本(2) ―第一編 ―

2014年08月24日 08時08分20秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

 第二章  宗学の組織

 第二節  教観二門

 観行門

 後者(こうしや)は知識を根柢(こんてい)として解脱成佛(げだつぜうぶつ)の理想を目指(めざ)して、実際的価値(じつさいてきかち)ある宗教生活(しゆうけうせいかつ)を営む方面(ほうめん)でありまして、之(これ)は観(かん)とも観心(かんじん)、観行(くわんけう)とも呼ばれる。即(すなは)ち宗教の部門(ぶもん)である。その内容(ないよう)は大別(たいべつ)するに二種(にしゆ)あつて観行と生活規矩(せいかつきく)であります。観行は定恵双運(ぜうえそううん)して修(しゆ)する宗教本質(しゆうけうほんしつ)の問題で、一佛乗(いちぶつぜう)の修練(しゆれん)である。それには観行の方法、本尊(ほんぞん)、浄土(ぎようど)、機根(きこん)、修道(しゆどう)の行位(げうゐ)、断或(だんわく)の遅速(ちそく)、成佛(ぜうぶつ)の時間、即身成佛等(そくしんぜうぶつとう)の問題があります。生活規矩は戒学(かいがく)の倫理方面(りんりほうめん)で、止悪懺悔(しあくざんげ)の菩薩個人(ぼさつこじん)の規範(きはん)、知恩謝徳(ちおんしやとく)の作善(さぜん)と更(さら)には宗教の最大特色(さいだいとくしよく)である絶対愛(ぜつたいあい)の慈悲等(じひとう)で、三聚浄戒(さんじゆせうかい)が之(これ)であります。

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

修験第百十二号 新編寺門天台宗学読本(2) ―第一編 ―

2014年08月17日 07時35分55秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

 第二章  宗学の組織

 第二節  教観二門

 教理門

 前者(ぜんしや)は先(ま)ず五時五教判(ごじごけうはん)または一大圓教判(いちだいえんげうはん)の教判(けうはん)によつて、如来一代(によらいいちだい)の聖説(せいせつ)を判檡(はんじやく)してその最高の眞理(しんり)を知識する。換言(かんげん)するならば、菩薩(ぼさつ)の宗教生活上(しゆうけうせいかつぜう)に於(お)ける一切(いつさい)の善悪(ぜんあく)を批判校量(ひはんかうりよう)して、その採(と)るべき態度(たいど)を決定(けつてい)し得(う)る正當(せいたう)な知識の体得(たいとく)である。普通(ふつう)には教(けう)とか教理(けうり)、教義或(けうぎあるひ)は教相(けうそう)と呼(よ)ばれてをります。その内容(ないよう)とするところ第一(だいいち)に実在(じつざい)の問題たる世界観(せかいくわん)、生成(せいせい)の問題たる縁起観(えんぎくわん)を中心(ちうしん)として、佛心観(ぶつしんくわん)、認識論(にんしきろん)、種性論(しゆせいろん)、等の問題が含(ふく)まれてゐる。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

修験第百十二号 新編寺門天台宗学読本(2) ―第一編 ―

2014年08月16日 13時22分11秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

  第二章  宗学の組織

 第二節  教観二門

 教観二門

 既(すで)に圓(えん)の三学(さんかく)が宗学(しゆうがく)の根本(こんぽん)をなす体系(たいけい)であるとするならば、宗学には大約(たいやく)するに自(おのづか)ら二方面(にほうめん)が存(そん)することを知り得(う)るだらう。即ち一つは哲学(てつがく)で理論問題(りろんもんだい)の方面であつて、恵学(ゑがく)がこれにあたる、則(すなは)ち教理門(けうりもん)であります。また一つは定学戒学(ぜいがくかいがく)の学で価値(かち)の問題を中心とした観行門(かんげうもん)がこれであります。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

修験第百十二号 新編寺門天台宗学読本(2) ―第一編 ―

2014年08月16日 09時52分59秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

 第二章 宗学の組織

 第一節 圓三学

 三学一源

 禅定(ぜんぜう)であつて、実践観法(じつせんかんはぶ)の宗教であり、恵学(ゑがく)は眞理(しんり)を知識する哲学の方面であります。この三学は互(たかひ)に対立し孤立(こりつ)してゐるものではない、圓頓三学(えんどんさんがく)は阿字実相(あじじつそう)なる統一原理(とういつげんり)に一源(いちげん)してゐ三即(そく)一・一即(そく)三の関係(かんけい)に於(おい)て成立してゐる。この三学一源(さんがくいつげん)は三学具足(さんがくぐそく)ともいひ、完全に佛教の総(すべ)てを把握(ひあく)した最高の教法(けうほう)を意味して、宗学(しゆうがく)の根本体系(こんさいたいけい)をなすものであります。これ寺門(じもん)に於て成佛(せうぶつ)なる絶対的人格完成(ぜつたいてきじんかくかんせい)に関しては、至高(しゆかう)なる道徳的(だうとくてき)、宗教的、哲学的教養を全(まつた)うする圓三学(えんさんがく)を具備(ぐび)するを必要とするを強調(ちやうてう)する所以(いぇん)であります。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

修験第百十二号 新編寺門天台宗学読本(2) ―第一編 ―

2014年08月15日 08時24分49秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

 第二章 宗学の組織

 第一節 圓三学

 圓三学

 圓(ゑん)の三学(さんがく)は圓頓三学(ゑんどんさんがく)とも虚空不動(こくうふどう)の三学とも称せられるが、圓とは完全とか不偏(ふへん)とかの意味であつて、圓戒学(えんかいがく)・圓定学(えんぜいがく)・圓恵学(えんゑがく)を圓の三学といふのであります。戒学(かいがく)は道徳的戒律(だうとくてきかいりつ)の行持(げうじ)で倫理方面(りんりほうめん)であり、いまこれを菩薩生活(ぼさつせいかつ)の規矩(きく)または規範(きはん)の義(ぎ)と定める。次の定学(ぜいがく)は心を一境(いつきやう)に住(ちゆう)せしむる。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

修験第百十二号 新編寺門天台宗学読本(2) ―第一編 ―

2014年08月08日 08時14分27秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

故 直林敬煩 監修

  吉田光俊   編

 第二章 宗学の組織

 第一節 圓三学

 宗学の組織

 宗学(しゆがく)の組織とは佛教の目的である「転迷開悟(てんめいかいご)即ち成佛(ぜうぶつ)の理想に到達するに必要な、知識(哲学)と実践(宗教)と宗教生活の方法(倫理)との相互関係(さうごくわんけい)の次第秩序(しだいちつじよ)を意味するものであります。佛教が佛(覚者(かくしや))と法(達磨(だるま))の合成を語義(ごぎ)とするならば、宗学ー宗門(しゆうもん)の教学ーはこの上に開祖(かいそ)の佛教に対する批判(教判(けうはん))と独特の哲学が加へられたものと見なければならぬ。いま曩祖立教(のうそりつけう)の本旨(ほんし)に則(のつと)つて、宗学全般(しゆうがくぜんぱん)の組織を眺(なが)めることにする。この宗学を組織する根本(こんぽん)の体系(たいけい)が必要であつてそれは即(すなは)ち圓三学(えんさんがく)である。

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加