天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

俳句をぱくる病

2017-03-28 04:06:52 | 俳句


何年も前、ぼくの年賀状の俳句をみて俳句の弟子にしてほしいと言ってきた人がいる。
彼女はぼくが出版社で編集をしていたとき人を集めて臨床心理セラピーみたいなことをやっていた。その集まりの主宰という立場であった。そこを取材することで彼女とつきあいが生じた。
心理療法で人とおつきあいすることを業とすれば言葉は茶飲み話以上の重きを持つだろう。彼女は俳句向きの資質をお持ちなのだろうと思った。
ただしぼくが年賀状に書いているのは「戯れ句」であって俳句本来の詩精神のあるものではないことを再三言い、鷹誌も見せて納得してもらうことにつとめた。

彼女は本格的な俳句をやりたいのでぼくの弟子になりたいとおっしゃった。鷹にも入会した。
2年ほど個人教授(面談)したが次第に疲れてきた。そのころネット句会が軌道に乗ったのでそこへ入ってみなさんと一緒に句座を共にしてもらうことにした。
しばらく順調であった。
ところがある日、ネット句会で出た誰かの句とほとんど同じ句を彼女が出してきた。
3ヶ月ほど前に出た句だから盗まれた人も周りの人も気づいて大騒動になった。
彼女が寝たきりの母の介護をしていることは知っていた。俳句を考える時間も十分ないことも理解していた。したがってそうそうレベルの高い句もできないことも承知していた。彼女は「頭がこんがらがってしまって…」という弁明をしたがぼくは理解できないし彼女を弁護することができなかった。
そういった事情で疲れていたとしても人の句を自分の発想と間違えてしまうものだろうか。
俳句をやっていていちばんやってはいけないことをやってしまったのだ。
盗まれた人が今後気をつけてもらえれば一緒にやっていけると温情を示してくれたが、彼女は会から身を引いた。
ぼくは会の方々の了承を得て半年の謹慎で復帰できる道筋を用意した。
けれど彼女は戻らなかった。

彼女からずっと盆暮の付け届けが来る。ネット句会に戻らないとするとそれをいただくことが重くなってきた。
それで贈答品に応えるべくまた個人教授をはじめたのである。
しばらく句が来ないなあと思っていたら忙しいとき句がやってきた。
しかし鷹の30句に入った句と一字しか違いのない句が混じっていた。ぼくは目を疑った。
前回犯したあの間違いは彼女の頭の中でどうなったのであろう。
前回の間違いもぼくは納得できていない。
それは彼女が心理療法により悩める多くの方々の心に寄り添ってきたという実績とまるで裏切るような背信行為であったからである。
人の心の翳に寄り添ってその人が安らぐように尽力しようとする方が、人より抜きんでようとか人を凌駕して目立ちたいという欲望をあらわに表現活動をするのであろうか。
人は見かけによらぬものとはいうもののそのへんがどうしても理解しがたいのである。

ぼく自身人の優れた句を詠んでたくさん暗記している。
それは自分の作句において高い指針となっている。そういった秀句にいくら惚れこんでもそれが自分のものであるという錯覚や幻想には決して陥らない。
人の秀句を知らずに近似してしまうことはある。それは鷹主宰にだってある。けれどそういったミスは頻繁に起こすものではない。
やはり彼女の頭のなかのどこかが故障しているのだろうか。
簡単に「盗癖」という言葉では片づけられない何かが彼女の頭のなかにあるのだろうか。

「そんなに盗むのなら俳句はもうやめなさい」と引導を渡してしまおうか。
こういうとき人との関係はばっさり切り捨てるのがいいのか、つないで補正できるのか、補正するのがいいのか………わからない。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (こんぱんは)
2017-03-29 21:34:28
いつも楽しく読ませていただいております。
ぱくる問題、こわいですね。記事のかたの場合は若年性アルツハイマーなどの可能性もあるのではないでしょうか。自分はまだ40代ですが近年急に記憶力がかなりひどくなり一度読んだはずのものでも全く覚えていないことも多々あるので、無意識にぱくらないように、作句の際はできるだけ実感中心にと気をつけています。
Unknown (こんばんは)
2017-03-29 21:43:32
もちろんどんな状況であれ、ぱくるのはだめですので、やめてもらうのもいたしかたないかもしれませんね。

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