天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

俳句甲子園ディベートの心得

2014-06-18 00:12:57 | 俳句


第17回俳句甲子園の東京大会を終えていろいろなことを思う。
聞くところではこの大会に出場する各校はディベートの訓練をしいているとか、結構なことだと思う。
その成果か、立て板に水を流すこと黒柳徹子級であり、吉本興業から引きがくるほどの話術を発揮して審査員を笑わせてくれる人材が出た。
話にユーモアがあって人を楽しませるのはとてもいい。
しかし審査員はそれはそれとして楽しみつつ本質的な内容をじっと注意している。

ユーモアも知性のかけらもない言葉の無駄使いもそうとうあった。
その代表的なのが、
「この句はどういう意味ですか」「この句はどういうことを狙ったのですか」というたぐいのもの。
これはナンセンスではないか。

発表した文字作品(俳句)は読み取るが大前提。その読み取りを放棄するのが自句自解を求める発言だ。
こんな発言じたいにマイナスポイントをつけたいほどだ。

たとえばこういう句。
アスファルト湿らせ南風抜ける 松田直樹(立教B)
「湿らせってどういうことですか」などと質問するのはディベート以前の児戯。
ディベートは話題をつくって引き込むことでもある。
たとえば、
「湿らせは雨をふつう思うのですがアスファルト(が)湿らせですから雨じゃないですね。すると暑さで中から黒いタール状なものが出てきたみたいなことでしょうか、あるいは南風に水分があったのでしょうか。そうだとすると原因結果でつまらないでしょう。
とにかくこの句の眼目は湿らせですが、ぼく一人でも考えあぐねているのですから十人いればもっと違う見方が出るでしょう。そういうふうに解釈が割れるのは言葉と景色との間の精度に問題がないのでしょうか。鑑賞側の問題より作り手側の問題を含んでいるといえませんか」
などと冷静に追い込んでいくのがいい。冷徹な知性のはたらきがポイントをもたらすだろう。

横浜へ行く母の背燕来る 鈴木啓史(立教A)
この句の対戦校・駒場の切り込みはなぜ横浜としたか、であった。これに対して立教Aは池袋よりちょっと遠いのでといった感じで歯切れが悪く自分自身の句のよさを理解していないうらみがあった。この歯切れの悪さに対して駒場は、「横浜は港町ですから開放感がある」と読んでみせた。すばらしい!
この敵に塩を送るかの読みは有功打でありポイントが駒場へ大きく傾いた。
相手の句の鑑賞のよさで相手からポイントを奪う。痛快ではないか。ラグビーでいうジャッカルである。

南風吹きまぶしき花の香しき 松村嘉人(立教B)
この句の対戦校は下妻第一A。女子高である。
やさしい声ながら花というのは何ですか、南風が季語ならば季語はダブりませんか、と切り込んだ。
審査員は内心やった!と喝采を上げる。
この句の最大の弱点をついたことで有効打。ボクシングだとこれで相手はマットに這う。
花といえば雪・花・月の一つ。ふつう桜のことだが南風の季節まで持つのか…持たないなら何か。とにかく絵が浮ばない。立教が苦しまぎれに向日葵と小さい声で言ったがそれでは季語のダブりがはなはだしく墓穴を掘る。

声はそう張り上げなくてもしっかり言えばいい。いかに句の本質をつかんでいるかだ。
自分の句を理解しているのは当然のことだが、相手の句の良さと傷を瞬時に把握する読み。
この句のもう一つの弱点は、「まぶしき」と「香しき」という二つの形容詞がよけい句を弱くしていること。さすがに高校生はそこまで突けなかったが…。
言葉は多くなくていいから確実に的を射ること。有功打が大事である。

俳句は韻文であり散文とは違う。散文にはない切字があるし、切字がなくとも切れがあって短い文脈において最大限の空間を持とうとしている。
読解力の養成が大事である。
読解力の養成は俳句の詩的構造を理解することに通じる。それはまた優れた句を生み出す技術アップに通じるだろう。
俳句の構造を知り、読解力を鍛えてほしい。
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