天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

俳句を読むこと読み合うこと

2016-09-18 12:23:17 | 俳句

きのう田無駅で降りて句会の前「RAJ」という店でインドカレーを食べた。
田無で昼飯を食うのは五十数回、ずっと「メースィールアン」というタイ料理店で野菜炒め定食を食べていたがきのうは何としてもインドカレーを食べたくなった。

カレーに舌鼓を打ちながら鷹主宰が奈良でおっしゃった「俳句は読まれて初めて俳句になる」という言葉を考えていた。これはぼくもずっとひこばえ句会で目指してきたものである。
主宰は芭蕉の「草いろいろおのおの花の手柄かな」を引いて鷹に優れて個性的な句がたくさん集まることを期待した。
みなさんの個性を私は覚悟して見落としのないようにきちんと読みそれなりの位置づけをします、自由闊達にお書きください、という主宰の鋭意と覚悟をしかと受け止めたのであった。

これを聞いてぼくは自分の句会に出た鷹同人・会員の句をさらにきちんと読まねばと思った。ひこばえ句会に来る方々はぼくの読みをかなり尊重していてくれる。ぼくがきちんと読まずに句を葬れば鷹主宰まで届かないだろう。
ぼくは中間管理職的立場であるからめぼしい句をきちんと鷹主宰に届ける意味でまず見逃さないようにしたい。それはずっと念じてきた。

けれど見落としはある。
それを補うのは句会に集まる方々一人一人の読みである。各人は一人の指導者の読みや見解だけをありがたがるのでなく、自分の読みを磨くこと。
そのことはずっと言ってきのうも読むことを取り上げた。
みんなが自由に発言できる空気を涵養すること、なんでも発言していいこと、指導者の句にもずばずば問題点を指摘できること。
自分の思いを発散できることが句会を活性化して豊かにする。
めいめいが俳句をきちんと読むことである。読んだ内容を、間違っているかもなどと考えないことである。
俳句甲子園では「鑑賞点」を競うディベートがあって、それが発言力を鍛える原動力となっている。
とかく発言に消極的な旧世代からみると頼もしいかぎりである。

句を読み合うことの楽しさ、豊かさについてぼくは5年間ずっとひこばえ句会言い続けてきた。
さいわい次第に読む意識が育ってきたようである。
きのうの小生の句。
露天湯に石を枕の月見かな
7点入ったが異論が出た。
全体にいいのだが「月見かな」という決着はあからさまで余韻に欠けるのではないか、月今宵みたいなフィニッシュのほうがマイルドでいいのではないか、という意見であった。
なるほどと思った。それは書いた者もうすうす意識していたのである。
これが互選句会のよさである。
みんなの読みが深まってきたと思った。

また次のわがはいの句。
古書店の下積みの本火恋し
ぼくは自信があったのだが1点しか入らなかった。
これに関して二人が「火恋しだと火事になりそう」といった。このことはぼくの意識にまったくなかったので面食らった。
しかし面食らうという体験が句会の醍醐味なのである。

発言することが楽しい、発言しても誰からも変な目で見られない、ワイワイ騒げる句会を続けて行きたい。楽しいことが句会であり俳句をするよさなのである。
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