天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

出光佐三はマルクスをどう読んだか

2017-05-03 15:28:42 | 


百田尚樹『海賊とよばれた男』(講談社)は、出光興産創業者の出光佐三をモデルとした主人公・国岡鐡造の一生と、出光興産をモデルにした国岡商店が大企業にまで成長する過程を描いた評伝といっていい小説である。

出勤簿がない、組合がない、定年がない、馘首がない。そして株式を上場しない、
これが出光佐三がめざした会社である。
「士魂商才」、社員は店主にならい滅私奉公。
残業という概念さえなく朝から夜まで店主(佐三はこの呼ばれ方を好んだ)以下社員みんなが身を粉にして働いた。同業者が嫌がる仕事を引き受けたりすることでやっかみを受けたりした。
それは他の同業者のできないところであり煙たがれ、政府の既成・統制を味方につけた同業者連合に絶えず攻撃されるところとなる。
日本のほかの同業者が次々海外石油メジャー資本と合併・吸収される中で、叡智と度胸とすば抜けた倫理感で日本民族の自由と権利を主張した。

「海賊とよばれた男」の由来は、規制された状況での創業時、門司と下関との間の海上のみが既成の抜け穴であり、ここで伝馬船を出して石油を売ったことによる。
それが発展して自前タンカーを建造して当時イギリスとの係争中であったイランへ石油買付に行くという隠密行動に出て世界中をあっといわせる。
イラン国民、日本国民の喝采を浴びることになる。

読み進んでいて出光さんの滅私奉公の働きぶりになにか<あり得ない優れた形の共産主義>を感じてしまった。
すると晩年、出光さんは共産主義にそうとう興味をお持ちになったようで、社内でマルクス研究会を開いていたという。
ああ、やはりと思い納得した。

そこで、出光佐三『マルクスが日本に生れていたら』(春秋社)も併せて読んだ。
出光さんは資本主義、社会主義、共産主義、なんでもいいところは吸収したいとの考えの方だが、共産主義との根本的な違いを次のようにおっしゃる。

マルクスとぼくの考え方の相違は、結論的に言えば、西欧民族と日本民族の違いということになると思うね。別の言葉で言えば、「物の国」と「人の国」の違いとも言えるがね。

西欧民族の祖先は我欲、利己の祖先でありそのためには善悪を問わず征服してしまう。そうするとまた我欲、利己の人が出てきてどんな善政をしていてもこれを征服しようとする。無益だという。

物欲や儲けにとらわれない心の満足を求めないと人は幸せになれない、というのが出光さんの哲学。

こんど関門海峡へ行ったらいままでと違う思いであの流れの速い海を見ることになるだろう。出光美術館へもぜひ行こう。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 昇り藤は俳句に詠めますか? | トップ | 出光佐三の遺した言葉 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。