天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

椀の中で味噌を溶かす

2017-06-16 14:50:10 | 身辺雑記

多磨霊園にて


朝の卓上、妻がぼくの前に置いた椀の中がなにか変だと思った。味噌汁にしては透明。
「澄し汁かな」と問うと「味噌汁よ」という。
「味噌汁にしてはえらく透明だよ」というと妻はやっと味噌を入れてないことに気づいて冷蔵庫から味噌を出してきてぼくの茶碗に入れた。
「かきまぜてね。だしは入っていたでしょう?」
味噌を入れ忘れたことをなんだかんだ弁明している。大丈夫なのか。

妻は味噌汁にするはずのものを作りながら、あなたは生活のことができないからダメというような話をえんえんとしていた。すなわち、風呂もトイレも洗わない、皿を洗ってもぬめりがつきている、等々。
したがってぼくが妻より長く生きたら息子夫婦が困惑するだろう、と話を発展させるのであった。
その直後だけに味噌の入れ忘れは妻にショックを与えたかもしれない。

いつもぼくは妻のおっしゃることに異を唱えずに聞いている(反駁すると嵐になるから)が、ぼくが生き残るほうが息子夫婦の負担になるという説に大きな思い違いがあることに気づいていない。
いま妻は幸い元気で家事や孫の世話など役に立っているのだがそれは元気で活動できるという前提での話である。
寝込んでしまったらお荷物になる。妻であろうと。
仮にぼくが妻の死後も元気で活動できていたとすればどうだろう。息子夫婦や孫がぼくを訪れることは激減するだろうがそれでいい。
問題は家事能力ではなく寝込むか否かにある。そこへ考えが至っていない。
自分はいつも正しくて夫は役に立たない、邪魔になる、という認識に凝りかたまっている。

家事のこまごましたことができなくたって生きていける。独身時代はそうして生きてきて不都合はなかった。
ぼくが家事ができないうんうんに問題を持ってくるのは妻が自分の生き方、立場を誇る材料にしているにすぎない。敢えて問題化して自分を浮上させたい心理が見て取れる。
妻がいなければいないでなんとか生きていくだろう。
家が汚れようとシンクが汚くても大勢になんの影響もない。
世の中のあれこれは大勢に影響のないことばかりである。

桐野夏生の『デンジャラス』(中央公論新社)を買った。
帯文の「日本文学史上でもっとも貪欲で危険な文豪・谷崎潤一郎」に惹かれた。このときピカソと谷崎はどちらがより危険かと考えた。
こんな話題を妻に振ってもしかたないなあ。

椀の中で溶かしてできた味噌汁はうまかった。
妻のミスを咎めず「おお、うまいな」といっておけば妻はまだがんばれるだろう。妻の相手をする夫にもいろいろ気づかいはあるのだよ。
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2 コメント

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楽しいね (ハーモニーひろ)
2017-06-18 11:41:32
味噌汁に味噌を入れることを忘れる奥様に大笑い!
そのあとお椀で味噌を溶かす奥様の機転と、賢明さと
ユーモアに感心し、更に「うまいね」・・・とおっしゃった天地わたる様の優しさに、なんて愛情たっぷりなご夫妻なんでしょうかと、羨ましく思いました。

夫婦はどんな形でも、ふたり揃っていなければ・・・と、
ひとりになった時、痛感します。
楽しいね (ハーモニーひろ)
2017-06-18 11:45:11
味噌汁に味噌を入れることを忘れる奥様に大笑い!
そのあとお椀で味噌を溶かす奥様の機転と、賢明さと
ユーモアに感心し、更に「うまいね」・・・とおっしゃった天地わたる様の優しさに、なんて愛情たっぷりなご夫妻なんでしょうかと、羨ましく思いました。

夫婦はどんな形でも、ふたり揃っていなければ・・・と、
ひとりになった時、痛感します。

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