天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

句会の二次生産に励め

2017-07-12 02:11:54 | 俳句

解体中の土蔵、国分寺東恋ヶ窪、今はない


広辞苑で「オリジナル」を引くと、②の意味に、
原物、原型。特に、美術品・文芸作品の原画・原作・原典・原本。複製・模造品・翻に対していう、とある。

世の中にオリジナルはそう多くない。これを「一次生産」とすると世の中のほとんどが「二次生産」で満ちている。
ぼくの好きな小説は一次生産。それに関してぼくがブログに書く感想、書評などは二次生産である。小説は書き手と読み手がくっきり分かれていて、小説を書くアマチュアはきわめて存在しにくい。

句会へ出るために句をつくるのは一次生産、句会はそれに句評を述べる二次生産の場である。
俳句は一次生産も大事だが二次生産も同じくらい大切だと思っている。
作り手が読み手になり、読み手が作り手になるという劇的な交差を意識してほしい。
ひこばえ句会のみならず世の中の句会において、二次生産の意識が高いとは思えない。したがってぼくは俳句を読もう、読もうと繰り返し書いて俳句関係者の意識をゆさぶろうとしている。
二次生産、すなわち読みを磨くことが一次生産(作句)を輝かすのであり俳句活動に必須なのである。

むかし出版社で編集業をしていたとき、この仕事は二次生産だと強く意識した。
編集者自身に残念ながらオリジナルを創り出す才能が乏しい。オリジナルを創り出す才能が潤沢ならばむしろ作家になっているだろう。編集者は虎の威を借る狐である。
オリジナルがありそうな人、事物などに働きかけて作り出そうとする。
聖書から含蓄のある言葉を抽出して「聖書に見る愛の言葉100」などという本をつくったとすれば完全な二次生産。アフォリズムの蒐集は企画に窮するとぼくの同僚がよく使った奥の手であった。

最近、京都大学から広まった輪読会「ビブリオバトル(Bibliobattle)」が注目を浴びている。「知的書評合戦」とも呼ばれ、選手が自分が読んだ本のよさをいかに巧みに伝えられるかの競争をするイベントである。これも典型的な二次生産。

新聞記者などの報道も二次生産的と考えていい。
現象、事件などは意思のある作品ではないが、それを記事にしようとするのは二次生産の色が濃い。報道必ず意図が入り込む。したがって真相を伝えようとしていてもそれになかなか辿り着けないうらみを持つ。
読み方が大事である。
報道された内容が真相ということは疑ってかかるほうがいい。もっといえば世の中に真相なるものが存在するかということである。さらにいえば真相という概念を打っちゃって考えるか、真相も複数あると高を括るかである。
世の中は二次生産のニュースが行き渡ってできているがゆえに真相が曖昧模糊としている。
それを嘆いたり憤ったりするより、おもしろいと感じて探究心を養うほうがいいだろう。

報道という二次生産はときに人を生死の淵に立たすこともあるが、俳句の二次生産、句評はそうではないだろう。どんなに自分勝手な解釈をしても笑いを誘うだけでそう害はない。
そこで各人がきちんとした二次生産の意識を持つことで文化の担い手になる。
仲間を利し自分を豊かにする二次生産に励もうではないか。
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